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禍根の封印  作者: 尋道あさな
第二幕
32/71

【誘拐】

 

 僅か三十秒の間に、相模は結界を破り依月の身体を持ち上げた。

 それを容易く見逃す程に隻弥の身体は鈍っていない。

 依月を取り返す為に伸ばした腕は何故か引かれ、同時に落とされた依月の身体が畳みにダンッと叩きつけられる。


「お前ッ……」

「残念。狙いはアンタだ」


 依月を狙っていると思い警戒していたせいで、隻弥の反応は遅くなった。


 その隙を見逃さず、相模は隻弥に有りったけの力を撃ち込んで――屋敷の周りに待機させていた仲間の元へ、隻弥の身体を乱暴に投げ渡す。

 同時に相模は跡形もなく、一陣の風になった。


 一分後、屋敷の客間に残されたのは速水と八衣、眠ったままの依月だけだ。


 途中で目論見を変えたのか、最初から隻弥が狙いのだったのかは分からないが、間違いなく今隻弥は相模により拐われた。呆気に取られて呆然と立ち竦む二人が、数秒後我に返る。

 既に隻弥の気配は消えて、相模の気配も掴めなくなっていた。


「アイツ……!なに考えてんだ!八衣!俺は研究所に行く、依月ちゃんを頼む!」


 状況を把握した速水はとにかく研究所へ行くべく、依月の世話を八衣に任せる。

 八衣は浅く頷いたが、半分以上放心しているようだった。


「八衣!」

「隻弥が……」

「依月ちゃんのこと、宜しくね。酷だろうけど隻弥さんの為だから」

「那央っ!」

「うん?」

「隻弥を、取り返さなきゃッ」

「……分かってるよ」


 青ざめた八衣の肩を叩き、速水は居間を後をにした。




 落とされた依月は、畳の上で横を向いて眠っている。

 静かな寝息と、気力のない白い顔。

 日に日に痩せる依月の姿は、八衣を厳しく責め立てる。


 そんなつもりじゃなかった――と、今更思っても取り返しはつかない。


 依月の身体を抱き起こし、その身体を布団へとゆっくり横たわらせた。


 八衣は小さく息を吐く。

 自分も依月も、大嫌いだ。

 依月は年下の癖に心が強く、八衣から隻弥を奪っていく。


 それを許容出来ない異常な依存心を持った自身も、寒気がする程に恐ろしい。

 八衣が隻弥を傷付けて依月が眠りについてから、視界が開けたような、そんな気持ちを抱いていた。


 以前よりずっと、隻弥への執着が薄れている。

 それは依月が命懸けで隻弥を救おうとしたから、なのかも知れない。


 速水は八衣を気遣い、話そうとはしなかった。

 だが、八衣も開錠師である。

 隻弥に施された術を見抜けない程に、弱くも鈍感でもなかった。


 依月が命を懸けて隻弥に癒しの術を掛けたのは、未完成でぐちゃぐちゃな術痕から読み取れた。不完全だったとしても、隻弥を救ったのに違いはない。


 もしかしたら、才能があるんじゃないの。


 まるで依月の存在を肯定するかのように、八衣は嫌悪を薄れさせようとしていた。

 無自覚なまま、無意識のまま、八衣は自然と依月へ触れる手が穏やかになっている。


 それでも、禍根は構わず襲う。

 八衣の祖父が守りを施した、絶対に割れない耐久力があったはずの鏡にパリンとヒビが入り込んだ。


「……っ!」


 これでは依月に触れない。

 隻弥の禍々しい禍根にも耐えた強力な鏡なのにも関わらず、依月はついに壊してしまった。


 まだ数えられるほどしか触れていないのに、鏡は遥かに早く割れた。

 八衣の額に汗が滲む。

 鳥肌の立った肌を擦りながら、八衣は唇を強く噛んだ。


「この子は危険過ぎる……」


 図らずも速水と同じ言葉を八衣は吐く。


 一介の高校生が、身体に受け入れられるようなものではない。それなのに依月は身体に秘めた大きな禍根に未だ耐え、しっかりと息をしている。


 この世のものではないと言われた方が納得出来る状態だった。

 眠っているから助かっているのか、それとも依月に才能があるのか。


 一先ず、触れられなくなった事をどうにかしなければならない。

 八衣はその場から立ち上がって、一旦自宅へ戻る事にした。





 完全に八衣の気配が消えた後、客間に現れたのは一つの影。

 薄暗い部屋の中でも、麗しい顔が引き立っている。美麗とも言える顔立ちの男は、男性には珍しく長い漆黒の髪を後ろで一つに纏めていた。


 禍々しい気配を発する依月を、目を細めてただ静かに見下ろしている。


「――解き放て、影の力を」


 男が言葉を発した途端、依月の身体が浮遊する。


 畳から約一メートルほど浮いたかと思えば、依月は眠ったまま男の前に立った。



 開錠師の“開錠”を告げる言葉は、一族毎に違いがある。

 何から力を借りるか、潜在能力をどれだけ引き出すか。


 多種多様に渡るやり方があるせいで、全てを把握出来ているものはこの世には存在しなかった。


 博識な八衣の祖父も、知っているのは数種のみ。

 その中でも一際秘匿とされている開錠の言葉を紡ぎ、長髪の男は昏睡する依月を(さら)った。




 八衣が隻弥の屋敷に戻った時、既にそこはもぬけの殻だった。


「――何でッ!」


 陽動作戦だったのか、それとも違う人間が依月を拐ったのか。


 悔しさの余り、八衣は唇を噛み血を流す。


「どこに、行ったの……」


 油断していた。

 ほんの数分だから、と依月を無防備に置いていった事が原因だ。


「御霊を(いま)(われ)に貸さん」


 集中して八衣は開錠する。


 己の潜在能力を引き出し、この世に留まった死者の霊に助力を請う。

 依月の気配と残った術の色を探り、見たことのない術の色に辟易とした。


「気配は無し、色は――黒紫?」


 ――そんな色があっただろうか。


 術の影響を受ければ受けるほどに、開錠師は色に蝕まれる。


 篝家の場合は赤錆、東雲家――八衣の一族は漆黒だった。

 色の影響を受けるのは、未熟者だという証拠。

 隻弥の場合は力が大き過ぎて、否応なしに身体に影響が出てしまっているだけだ。

 速水の場合は、他人の力の影響を受け単純に色素が抜けてしまっている。

 使う人間には色が出るが、使われた人間は色素が抜ける。

 速水が一部白髪になっているのは、隻弥が加減を間違えただけ。


 どちらにしても、開錠師の一般的な認識は“未熟者”だから影響を及ぼすというものだ。


 もしも、依月を拐った人間が少しでも力の影響を受けているなら、少なからず髪に紫が出ているはずだ。手掛かりはそんな頼りないものしか無く、八衣は途方に暮れてしまう。

 もしも優秀な人間なら、見た目には何も出ないからだ。



 家に帰宅した八衣は、祖父の部屋で文献を流し読みしていた。

 鏡の作り方、それを確認したほんの数分間で依月は拐われてしまった。


「那央……」


 今、頼れるのは速水だけ。


 意気消沈した八衣は、本来の勝ち気さが出ない程に落ち込んでしまっていた。


 依月の気配も近くない、拐った人間も分からない。


 相模と言う男は、開錠が使えないと言っていた。

 その言葉を鵜呑みにするのであれば、依月は相模ではない人間に拐われたと言う可能性が強まる。


 切っ掛けを作ったのは全て自分。

 八衣は涙を我慢して、黒紫の一族について調べる事を第一に決める。


「そんなつもりじゃ、なかったのよ」


 心からの叫びだった。


 拳を握り締め、畳に叩き付ける。悔しげな表情には、悲痛ささえ浮かんでいた。


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