2.まさかの結婚
エルザの開くパーティーに向けてリネンの修繕をしていると、「クララ!急いで下りて来て!」と母の叫び声がした。
何事かと階段を駆け下ると、応接室のドアから顔だけを出した母が忙しなく手招きをしている。入るなり、勢いよくドアが閉まった。母は興奮が抑えきれない様子で、胸の前で両手を小刻みに上下させている。
「どうしたの、お母様?」
「クララ!大変よ!あなたに結婚の申し込みが来たのよ!」
「え…」
母がクララの手を握っても、クララは信じられず立ち尽くすばかりだ。
だってそうだろう。一日の殆どを家で過ごし、ろくに友人だっていないのだから。
「それ、多分エルザの間違いよ。お母様」
自虐気味に笑うと、母が何度も首を横に振った。
「それが間違いじゃないんですって!私も何度もエルザじゃないかって確認したのよ。でも姉のクララで間違いないって言うのよ」
「え、本当!?本当に私に結婚の申し込みがあったの?」
「ええ!おめでとう、クララ」
「ありがとう、お母様!」
余りの嬉しさに上下に跳ねそうになったが、ハタと気づく。もしそれが本当だとしたら相手はきっと高齢かよほど相手に困っているかだ。
恐る恐る母の顔を見る。
「…お相手は?」
「お相手はなんと!バルン伯爵家の長男ビクター様よ!」
そう言われてもピンとこない。
「…お年は?」
「年はあなたよりも年上の」
ほら、きた。
「二十二歳よ!」
「え?」
三つ上だ。それなら…。
「極悪非道で有名な方?」
「いいえ。社交会でもとても人気だと聞くわ」
「貧乏で使用人を探しているとか?」
「詳しくは知らないけどお役人らしいわ。だからお給料もいいはずよ。領地からの収入もあるし。我が家とは比べ物にならないほど大きいのよ」
それなら残るは…。
「お顔は…?」
「肖像画が届いているわ!驚かないでね」
じゃん、と母がかざして見せたのは、なんとも美男子。
「……………………」
しばし無言で母と見つめ合う。
「ねえ、お母様。やっぱりエルザの間違いじゃ…」
「…正直、私もそう思うけど、何度、確認してもクララだって言うのよ」
クララはジッと肖像画に見入る。
すらりとして長い手足、透き通るようなオレンジの髪、凛々しい瞳、すっと通った鼻、色っぽい唇。こんな美形は本の中にしかいないというくらい理想的だ。
「まあ、肖像画って盛って描かれるものだから、違ってもあからさまにガッカリしちゃ駄目よ」
「…そうよね。だってこんなの、明らかにおかしいもの」
詐欺だと言われればすんなり納得できるほど、話が美味しすぎる。
それでも嬉しさが隠せない。初めて未来に光が射し込んだ気がした。
だって結婚なんて夢のまた夢と思っていたんだもの!何より、私なんかを選んでくれる人がいるなんて!
冴えない見た目に加え、出会いのない毎日。この家に骨を埋めるのだと腹をくくっていたのに。
クララは心が軽くなって天にも昇る気持ちになった。
パーティ―から戻ったエルザが香水の匂いを振りまきながら、ファミリールームの椅子に座る。両親と兄がクララにお祝いの言葉を述べている最中だった。
メイドが運んできたホットミルクを、音もなく喉に流し込んで、隣に座るクララを見た。
「お姉様、結婚するんですってね」
「ええ、そうなの」
「まさかお姉様が私より早く結婚するなんて夢にも思わなかったわ。世の中には色んな人がいるものね」
珍しく驚いた表情から、嫌味ではなく心底そう思っていたようだ。
「エルザはバルン伯爵家のビクター様を知っているの?」
「ビクター様?特長のない名前だから覚えていないわ。私は大富豪にしか興味ないし」
「あら、見る?ビクター様の肖像画。これが美男子なのよー」
母が余計なことを言う。
エルザが鼻で笑い、一蹴した。
「いらないわ。肖像画なんて大嘘だもの。あれを見て浮かれていると痛い目を見るわよ」
良かった。エルザにはビクター様に興味を持ってもらいたくなかったから。
だって勝ち目がないもの…。
何の興味もなさそうなエルザに安心して、クララもホットミルクを飲んだ。
☆
結婚式は両家だけで執り行うこととなり、胸を撫で下ろす。
政略結婚が多いこの国では、ドレスは花嫁側が用意し、その他を男性側が負担するのが通例だ。男性側としては会ったこともない女性のドレスの好みなど分からないし、かと言って花嫁に任せて莫大な衣装代を請求されても困るという事情がある。
当然、ドレスを買うお金などないので自分で作ることになった。
自作のウェディングドレスを着て、母のおさがりのヴェールを被る。
クララはドレスをとても気に入っていた。刺繍で作ったお花をたくさん散りばめた、自分好みの可愛らしいドレスに仕上がった。
けれど、目の肥えたビクターや彼の両親はどうだろう?招待客に笑われずに済んだのが幸いだ。
不安を抱えたまま教会のドアが開いた。父とともにヴァージンロードをゆっくりと歩く。家族がヴァージンロードを挟んで左右に分かれ、見守ってくれている。オルガンの音色が耳に響いて心地よい。
ヴェールの向こうにビクターの姿が見えた。
ドクンと胸が鳴る。
祭壇の前で父と別れ、初めてビクターと向き合った。ヴェール越しでも彼の優しい微笑みがはっきりと見えて頬が熱くなる。
肖像画の通りだわ!いや、オーラがあるからそれ以上!
すらりとして長い手足、透き通るようなオレンジの髪、凛々しい瞳、すっと通った鼻、色っぽい唇。肖像画と寸分たがわぬ姿が目の前にある。
「とても素敵だ。君もドレスも」
「…ありがとうございます」
初めて人にそんなことを言って貰えた。なぜか顔をしっかりと見られないし言葉もすんなり出てこない。ただ心臓だけがはしゃいでいる。
ビクターによってヴェールがあげられた。
直接目が合うと倒れそうで、ギュッと目を瞑る。
頬に何かが触れた。
それがキスだと数秒後に気づく。
生まれて初めてのキスはビクターの爽やかな香水の香りに包まれていた。
夫婦となる署名を終え、ビクターと腕を組んでヴァージンロードを歩く。彼の両親や弟も笑顔で拍手を送ってくれているのが見えホッとした。
教会の鐘の音が鳴り、二人の結婚を街中に告げた。
その時に見た空があまりにも澄んでいて、クララの目尻に薄っすらと涙が滲む。
ああ、私、本当に結婚したのね。




