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気落ち令嬢は三人の小人に癒される(仮)  作者: 松原水仙


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1.クララの日常

 クララは毎朝まだ外の薄暗さが残る頃に起床して、メイドの母娘ゾエとポリーヌとともに掃除を始める。エプロンをつけて次々と窓を開けていくと、一瞬で冷気に包まれた。外では雪がちらついている。


  寒い…。


 赤くなった手をこすり水の中に雑巾を入れて、ギュウと搾る。手を伝う水が痛いが、そんなことは言っていられない。

 お金を持っていた頃の名残で屋敷だけは広いので、三人でも大変な作業だ。といっても下級貴族にしては、という意味で、部屋数は十五室ほど。


 窓や壁を磨き終えると、ふう、と一息吐く間もなく、近くの酪農場へと出向いていく。真っ暗だった空に少しだけ白さが混じり始めている。作業着を身につけた三十代の男性が、牛舎の床を磨いていた。


「おはようございます!」

「おはようございます、クララ様。あの子でどうぞ」

「ありがとう」


 彼が指さした先には白黒模様の牛が一頭、外の柵に繋がれている。近寄って顔を撫でてやると嬉しそうに鳴いた。草と獣臭が混じった独特の臭いがする。お構いなしにミルク瓶を下に置いて、すぐ横に座る。乳しぼりも慣れたものだ。

 両腕で抱えるようにミルク瓶を運ぶ。重くて大変だけど、搾りたてのミルクが飲めるのはやはり有難い。

 屋敷に戻った頃には、すっかり朝日が顔を覗かせていた。


「貰って来たわ」

「もうすぐできるから用意して」


 台所の入り口で声を掛けると、後ろ姿の母が顔も向けずにそう答えた。エプロンを腰に巻き、じゅっと何かを焼いている。ミルク瓶を台所のテーブルの上に載せた。


 いい匂い。


 クン、と台所に漂う香りを嗅ぎながら、コップとお皿を磨く。たぷったぷっとミルクを五人分注ぎ、竈のパンを取り出してお皿にのせる。ちょうどよく焼き終わった母が、できたてのスクランブルエッグを同じお皿に盛っていく。できた順にファミリールームに運んで、リィン、リィンとベルを鳴らした。朝ごはんの合図だ。


 温かい暖炉の前で待っていると、父と兄がやって来た。長テーブルの左端が父の席、その隣に兄が座る。


「おはようございます」

「おはよう、クララ」


 エプロンを外しながら入ってきた母が、父の前に座った。クララも席に着く。スクランブルエッグと一切れのパンがのったお皿とミルク入りのカップが五つ、各自の席の前に置かれている。兄の向かいの席では主人を待ち構えたそれらが少し寂し気に佇んでいる。

 誰も朝食に手をつけようとしない。そうしている間に出来立てのスクランブルエッグがどんどん冷めていく。

 妹のエルザが欠伸をしながら現れた。寝起きでメイクをしていなくても、その美しさは全く損なわれていない。吸い込まれそうなエメラルドの瞳に長い睫毛、高い頬にぷっくりと色づいた唇。何よりその存在感が場にいる全員の目をくぎ付けにする。

 エルザは気だるそうに椅子を引き、ゆったりと腰かけた。

 使用人のような服を着たクララの横で、エルザは上質のドレスを身につけ、美しいピンクベージュの髪には宝石付きのヘアピンが輝いている。


「おはよう、エルザ。よく眠れたかい?」

「全然よ。朝からお掃除の音がうるさいの。どうにかならない?」

「あらあら。クララ、エルザの部屋の周りの掃除は朝食後にしてあげて」

「…分かったわ」


 同じ姉妹なのにどうしてこんなにも扱いが違うのかというと、それはエルザが美貌の持ち主だから。


 全てが凡庸なクララとは違い、圧倒的美しさを持っているエルザはこの間デビュタントを済ませたばかり。デビュタントは令嬢にとって一生に一度の晴れ舞台だ。しかし多額の寄付が必要な為、その舞台に立てるのは一握りの令嬢だけ。

 貧乏子爵家のクララには元々、縁のない話だ。出たいなんて思うこと自体がおこがましい。

 分かっているのに、妹が出たとなると胸がざわつき始める。


 それはそれは特別な時間だったのだとか。いいなぁ、私も出たかったな。


 エルザがその舞台に立てたのは、ひとえに彼女こそが貧乏から脱してくれる救世主だと両親が期待しているから。

 デビュタントには国中の大貴族や他国の王子たちも出席する。

 これ程の美貌があるのならば大金持ちの目に留まるはずだ、というわけである。


 その為、掃除なんかは絶対にさせないし、身を飾るドレスも無理をして買い与えている。といっても細部までこだわる程のお金は出せないので、クララが手縫いで特別なドレスに仕立て直す。


 正直、領地からの収入と貴族年金だけでは我が家は火の車。メイドも二人しか雇えず、手が足りない部分をクララが補わないとやっていけないほど。


 エルザの美しさだけが頼りなのだ。



 真っ白で皺ひとつないエルザの手を見る度に、自分の手が恥ずかしくなった。




「そういえば、エルザ。ゲイリー公爵家の息子、トーマス様とは上手くいっているの?」

「ええ。もちろんよ。彼ったら私に夢中なのよ。今度、宝石がたっくさん付いたネックレスをくれると約束してくれたの」

「すごいじゃない!絶対結婚まで放すんじゃないわよ」


 トーマスにはデビュタントで見初められ、既に結婚話も出ているらしい。

 肖像画で見たトーマスは背が高くて美男子で、おまけにこの国一の大富豪ときたもんだ。両親が喜ぶのも当然だ。


 私はきっと結婚なんてできない。両親もそれを理解している。

 一生、家の為に家事をこなして、もし兄が結婚すればその子の世話でもするのだろう。


 気にしていない素振りをしていても、同じ姉妹でこうも違うとやはり比べてしまう。

 輝く未来を当然だと笑うエルザと、何もない私…。



 誤魔化すように牛乳をごくりと飲み干すと、いまだにパンにも手をつけていないエルザが思い出したように母を見た。


「ねえ、来週、友人を呼んでもいいかしら?」

「急ねえ。トーマス様?」

「違うわよ。男女の友人が二十名程。トーマス様の友人もいるから食事も豪華にして欲しいの」

「ええ。そういうことなら奮発しましょう」


 またなのね。


 節約の為にパンからミルク粥になる生活を思い浮かべて、うんざりした。家族がミルク粥を食べている間、エルザはパーティーで美味しいものを食べるのだ。


 それに…。


『あ、そこのメイドの君。ちょうど良かった。ワインが切れたんだ』


 いつぞやの出来事を思い出してズンと気持ちが沈む。


 あれ、私が持っている中で一番良いドレスだったんだけどな…。


 身なりの良い彼からすれば、今クララが着ている使用人服と大差なかったのだろう。エルザも姉がいるとは言っていないようだし。

 それにきっとそれ以外にも理由はある。日焼けした肌に、艶のない髪、痩せた体つき。メイドだと思われて当然だ。


 だってエルザや彼女の友人たちとは全てが違うもの…。



「ご馳走様」


 いつのものように一人だけ早めに朝食を終わらせ、調度品の手入れに取り掛かった。

 その間も脳裏に嫌な思い出が蘇ってくる。


 一度だけ注意したことがあった。


「エルザ、少し家でのパーティーが多いんじゃないかしら?我が家は財政的にも苦しいし、もう少し頻度を落としても」


 二人っきりの廊下でそう声を掛けると、エルザは意味が分からないというように首を傾げた。


「どうして私が我慢しなくてはいけないの?」

「え?」

「お父様もお母様も、『いい』って言ってくれたわ。その状況で私が我慢しなくてはいけない理由があるかしら?」

「それは…お父様もお母様も無理をして」

「無理をしてでも、『いい』って言ってくれるのはなぜだか分かる?」


 エルザのエメラルドのような瞳がこちらをじっと見つめる。その瞳が可笑しそうに僅かに細められた。


「私が美しいからよ、お姉様。私は将来、大富豪と結婚するわ。そうしたら家にもお金が入るでしょう?今だって宝石をたくさんくれるし、お父様やお母様が無理をするのもそれを期待しているからよ。つまりウィンウィンなの。分かる?」


 エルザは肩にかかった長く美しい髪を、さらりと後ろに流し、「それにね」と付け加えた。


「美しい花や蝶を思い浮かべてみて、お姉様。心がときめくでしょう?つまり私はいるだけで十分、皆を幸せにできているってこと。だから恵まれているの。お姉様は?何か与えられるものがある?」

「私は…」


 エルザの目に憐れみと優越感が見え隠れして俯いてしまったところ、すぐ近くでフッと笑い声が聞こえた。


「私ね、お姉様のことを尊敬しているの。雑巾や針を手に持つなんて、貴族の令嬢ならまずできないわ。私ならきっと惨めで泣いてしまう。それができるお姉様は本当にすごいわ!少なくとも使用人と同じくらいの価値はあるのだから、そんな顔をしないで。ね?」


 何も言い返せないクララに興味を無くしたように、エルザは美しい肢体をくねらせるように去って行った。



 使用人と同じ、か。

 エルザの言う通りね。私がエルザに注意するなんて…。今思い出しても恥ずかしい。

 どちらが家の為になっているかなんて、父と母を見れば明らかなのに。


 鏡を磨く手を速めて、虚しさでいっぱいの胸に気づかない振りをした。




 掃除が終わったらベッドメイキング、リネンの修繕、ドレスの作り直しをして、最後に詩作をする。パーティーでエルザが披露するもので、これが一番時間がかかり大変だ。

 そうしてやっと一日を終える頃にはくたくたになって、ベッドに入った途端に寝落ちする。


 これが一日の流れ。


 明日もまた同じ事を繰り返すのだろう。



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