第八話
「まあ、レモンをたらすと色が変わるのね」
青紫色から桃色に変化したマロウティーを眺めて、老婦人は目を輝かせる。見た目が美しいだけでなく、風邪や胃炎、便秘などにも効果がありますと説明すると、「あら、いいわね」と乗り気になる。けれど一口くちをつけた途端、「やっぱりカモミールのほうが好みかも」とつぶやかれてしまった。
まただわ、とシルビアは内心でため息をついた。
見た目が美しいから、この効能を得たいから、という理由で試飲されても、味が好みではないからと、結局、当初求めているものと違ったハーブティーを購入されるお客さんが多い。商品を買ってもらえるのは嬉しいけれど、どうにも気持ちがすっきりせず、店の手伝いに来てくれたトーマスに相談した。
「だったら、よその店がその辺りどう対応しているのか、調査してきましょうか?」
「そ、そんなことしていいの?」
ふいに真顔になったトーマスは、
「問題を放置したままじゃ、いつかお客さんが来なくなりますよ」
思わずどきっとしてしまう。「フレッシュハーブティーが気軽に試飲できて、しかも安い」という評判が徐々に広がり、客足は伸びているものの、もし、うちよりも安いドライハーブの店が近くにできてしまったら、あっさり客をとられてしまうだろうと、トーマスは言った。
「問題はその都度解決しつつ、新しいことにも取り組んでいかないと。食うか食われるかの世界で遠慮なんかしてたら、こっちがやられますよ」
自分よりも六つ年下の少年に諭され、シルビアはたじたじになりつつも「調査、よろしくお願いします」と頭を下げた。
……
「ブレンドティーね」
人気店では、お客さん一人一人の好みを事前に把握した上で、得たい効能のハーブを他のハーブとブレンドし、飲みやすくして提供しているそうだ。相乗効果を得るだけでなく、複数の効能が期待でき、お得感も与えている。また、お客さんの味覚に合わせるのではなく、その店ならではのオリジナルブレンドを売りにしている店もあるらしい。
――色々試してみないと、一朝一夕でできるものじゃないわね。
「あと、ハーブティーに合うお菓子を一緒に販売しているお店もありました」
ハーブティーは総じてすっきりとした飲み心地で、バターやクリームを使ったお菓子に合うという。もちろん好みにもよるので断言はできないが、店員の話では、ミント感の強いお茶にはチョコレート類、カモミールといった甘い香りがするお茶には、あまり香りが強くない、クッキーといった焼き菓子類、柑橘系の香りがするお茶には、クリームをたっぷり使ったケーキ類、などが合うという。組み合わせの相性がいいと、まろやかな味わいを楽しめるそうだ。
「何種類か買ってきたので、実際に試してみましょう」
お茶菓子にはいつもクッキーしか用意していなかったシルビアだったが、一緒に食べる菓子によって、これほどお茶の味が変わるのかと、軽くショックを覚えた。さすがに売り物になるようなお菓子を作ることはできないけれど、サービスとして提供する分なら、なんとか用意できるかもしれない。ブレンドティーに関しては、試行錯誤が必要になるため、すぐに販売することはできないものの、お菓子に関しては、すぐに実行に移せそうだ。
「ありがとう、トーマス。何かあったら、また頼むわね」
今回かかった費用にお礼金を上乗せすると、トーマスは嬉しそうに受け取ってくれた。最初はガジェ・ノーマンの命令だからと遠慮していたのだが、あの人にこれ以上、借りを作りたくないからと言うと、不思議そうな表情を浮かべつつ、報酬として受け取ってくれるようになったのだ。
「シルビアさんって、本当にガジェ様の何なんですか」
「またその話?」
私がヘマをして、万が一にも、王妃に生きていることがばれたら、あの男に今度こそ消されちゃうかもしれない関係よ、と言いたかったが、トーマスを巻き込むわけにはいかないので、ぐっとこらえる。
かといえ逃げようにも、どこへ逃げればいいかわからないし、ここ以上に安全な場所など思いつかないしで、さらに言えば失敗すれば殺されてしまう可能性もあるため、まったく身動きがとれない状況だ。
「だって、恋人はありえないですし……あ、シルビアさんに問題があるとかではなくて……」
慌ててフォローされるが、そのフォローが逆に胸に突き刺さる。
「私だって」
事実ではないにしろ、王妃の愛人だと周囲に目されている騎士と、どうこうなる勇気は、私にはないと断言すると、トーマスは「あー」と苦笑した。
「その件なんですが、この前偶然、ジョス……宮廷の内部事情に詳しい方とお会いしたので、詳しいことを教えていただきました」
実は、王妃がガジェ・ノーマンに恋いこがれていることを知った侍女たちが、故意に噂を広めていたらしい。その噂を当事者である王妃が否定しなかったことで、愛人認定されてしまったというから、あきれて言葉もでなかった。一方のガジェ・ノーマンに王妃との関係を訊ねる者はいなかったため、否定する機会さえ与えられなかったという。
「ちなみに何者なの、その人は」
「以前お城勤めをされていた方で、王妃様の怒りを買ってクビにされたそうです」
お気の毒に……。
「でもよくあの人も、王妃の圧力……じゃない、誘惑に耐えているわね」
王族の命令は絶対で、たとえ理不尽な命令であっても、従うのが臣下のつとめだ。いくら能力が高くても、彼だけ特別扱いは許されないはず。
「それは……奴隷暮らしが長かったせいか、ガジェ様は身体的な問題を抱えておられて……一種の病気というか……といっても、仕事には差し障りはありませんし、そのことは、国王様も王妃様もご存じなので……だから国王様も安心して王妃様付きの騎士に任命されたのだろうと……」
珍しく歯切れの悪い口調で言い、視線をそらした。
「すみません、僕の口から、これ以上は……」
何だろう、ものすごくデリケートな問題に触れてしまった気がする。
だからあの時、男女の関係はないと言い切ったのね。
そういえば、ガジェ・ノーマンが王妃付きの騎士になってからというもの、王妃が熱心に医学書を読む姿を、何度か見かけたことがあった。時折、国内から優秀な医師を王城に呼び寄せて、何かしているようなので、ついに体調を崩したのかと、密かに喜んでいたのだが、
――実はガジェ・ノーマンのためだったとか?
というか、自分の欲望を満たすため? シルビアも初めて知った情報なので、王妃が周囲の者たちに口外しないよう、箝口令を敷いているのだろう。それで、恋人はありえないというわけね……。




