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書籍特典SS 「出会い」



 レイシア・ハナがその視線に気づいたのは、買ったばかりの日記帳を手に、雑貨店の前で、母親の用事が済むのを待っている時だった。


 ――子ども?


 細い道を挟んだ向こう側で、男の子が呆然とした様子で立っている。身なりは良く、驚いたようにこちらを見ていた。その顔に見覚えはなく、レイシアは首を傾げて少年に近づくと、


「あなた、独りなの? あたしに何かご用かしら」


 少年は答えず、食い入るようにレイシアの顔を見上げた。


 おかげでレイシアも、相手の姿をじっくりと観察することができた。少年はひょろひょろとして背が高く、やや目つきがキツいものの、レイシアの目に、その姿は幼く映った。


 近くに大人の姿はなく、おそらく迷子だろうと考える。


「……なんて美しいんだ」


 少年の口からこぼれた、子どもらしからぬ台詞に、レイシアは耳を疑い、同時に吹き出していた。月光を編み込んだような銀色の髪に、染み一つない白い肌、吸い込まれるような紫色の瞳――容姿を誉められることはこれが初めてではなかったし、特に異性の目には、自分の姿が魅力的に映るらしいことは知っていたが、レイシアにとってはあまり喜ばしいことではなかった。


 ――男の人って苦手なのよね。


「なぜ笑う?」


 憮然とした口調で訊かれ、少年の存在を思い出したレイシアは、「あら、ごめんなさい」と目尻に浮かんだ涙を拭った。異性は苦手でも子どもが相手ならば話は別だ。


「坊や、お名前は?」

「坊や、ではない。エ……ギルバードだ」

「あら、勇ましい名前ね。確か、そんな名前の騎士さまがいらしたような……まあ、いいわ。あたしはレイシア・ハナよ」

「……レイシア・ハナ」


 ギルバードは何度も確かめるように自分の名をつぶやく。

 そのことをくすぐったく思いながら、レイシアは言った。


「困っているのなら力になるわよ。なんなら一緒にご両親を捜してあげましょうか?」


 ギルバードは考えこむように顔を伏せると、


「そうだな……彼を捜すがてら、この辺を案内してもらうか」


 やはり迷子だったようだ。ずいぶんと偉そうな迷子だが、単に大人ぶっているだけだろうと思い、レイシアは気にしなかった。一度、食料雑貨店に戻り、母にこのことを伝えた。母の許しを得て、ギルバードのところへ戻ろうとすると、


「まったく、捜しましたぞ。少し目を離した隙にどこへ行かれたのかと……」

「この外見のせいか、悪漢どもにからまれてな。気づけば裏路地にいた」

「まさか……」

「案ずるな。気絶させただけだ」

「――陛下」

「おまえが変に気を回して、ジェイトンに幻視のまじないなどかけさせるから……」

「御身のためでございますれば――」


 身なりの良い大柄の男性と話をしているようだ。小声で話しているため、会話の内容までは聞き取れなかったが、男の顔には見覚えがあった。


 ――近衛騎士団団長ギルバード・サイラスさま?


 彼は宮廷だけでなく、下町でも広く顔が知られている有名人だ。元は貴族ではなく平民出の兵士で、戦場で多くの功績をあげ、現在の地位にまで上り詰めたという豪傑である。気さくな人柄で、上流階級の空気が合わず、下町の飲み屋にたびたび顔を出しているという噂だ。


 ――だったらギルは……?


「どうやらお父さまに会えたみたいね」


 声をかけると、少年が弾かれたようにこちらを向いた。


「レイシア……勘違いしないでくれ……彼は……」


 なぜかうろたえている様子だったが、レイシアはかまわず、ギルバード・サイラスの前に立った。若い頃は鬼と恐れられた騎士らしいが、レイシアの目には、どこにでもいるような初老の男性に見えた。けれどよく見れば眼光が鋭く、体つきもがっしりしていて、肉体的な衰えを感じさせない――彼は晩婚で、三人の息子がいるという話だったが、


「この方が近衛騎士団団長ギルバード・サイラスさまのご子息とは知らず、とんだ無礼を」


 軽く挨拶してその場を立ち去ろうとしたレイシアだったが、


「待ってくれ」


 少年に腕を捕まれ、ぎょっとした。ひょろりとした外見に反して、ものすごい力だ。


「行かないでくれ、まだ町を案内してもらっていない」


 そもそもそんな約束したかしらと困惑していると、


「いやはや、これはこれは」


 ギルバード・サイラスは意味ありげに少年とレイシアの顔を交互に見ると、「お嬢さん、一つ、お願いしたいことがあるのだが」とおもむろに口を開いた。


 彼の話によれば、ギルバート少年はサイラス家の遠縁の子で、観光がてら町を案内している最中とのこと。しかし自分は急用で城へ戻らねばならないため、しばらくギルバート少年の相手をして欲しいと、レイシアに頼んできた。


 突然の頼みごとにも動じず、レイシアは挑発的に相手を見返す。


「見ず知らずの小娘に、お預かりしている大事なお子さんを預けてもよろしいんですか?」

「これでも、君のことはよく知っているつもりだがね。薬師サキアの娘と言えば、働き者で町一番の器量良しだと、もっぱらの評判だよ」


 言いながら、「もちろん、お礼ははずませてもらうから」と付け加える。


「あら、お礼なんて結構ですわ」


 持ち前の勝ち気さで即座に断ると、レイシアはギルバート少年の手を引いて歩き出した。事情を知って、レイシアは少年に同情していた。ギルバート少年はきっと、今日という日を楽しみにしていたに違いないのに。


「まったく、男の人って勝手なんだから」


 レイシアの文句を聞いて、「耳が痛いな」とギルバート少年がつぶやく。


「どこか行きたいところはある?」

「そうだな……」


 考え込んで、いつまでも決められないようなので、


「思いついたら言ってちょうだい。それまで適当に回るから」


 休日のレイシアの過ごし方といえば、天気が良ければ青空市場を冷やかしつつ、屋台で飲み物と軽食を買い、噴水広場の木陰で味わって食べる。それからあちこち歩いて、知り合いに会ったらつかの間お喋りを楽しみ、また歩き出すのだが、


「……今度はどこへ向かっているんだ?」


 ややして、どこか戸惑ったようにギルバード少年が口を開いた。


「ただ散歩してるだけよ。目的地は決めない主義なの」

「楽しいのか?」

「あなたは楽しくない?」


 顔をのぞきこむようにして訊ねると、ギルバート少年は困ったように目を伏せた。最初、彼は無口で、レイシアが話しかけても、言葉少なく返すだけだったが、


「井戸の周りにいる女たちは集まって何をしているんだ?」

「先ほど通路の端で眠っていた男は何者だ? なぜ誰も彼を起こさない?」

「あの店の小麦の値段は妥当か?」


 途中から矢のような質問をレイシアに浴びせた。好奇心旺盛な子どもほど、やたらと質問したがるものだが、「にしても、ギルは変わってるわ」とレイシアは考えた。「それに賢い」


 城下町のはずれまでくると、レイシアはとある建物の前で足を止めた。


「このお店、まだ閉まったままなのね」


 興味をひかれたように、ギルバート少年が顔をあげた。


「ここ、昔はお花屋さんだったの。子どもの頃、父に連れられて何度か来たことがあるんだけど、店主の顔がちっとも覚えられないんで不思議だったわ」


 父は記念日のたびにこの店に来ては、母に贈る花束を楽しそうに選んでいた。ふと懐かしさを覚えて、レイシアは建物と建物の隙間に入ると、店の裏側に回った。


「確かこの辺りに裏庭があったはずなんだけど」


 敷地を囲う塀は高く、外から敷地内の様子をうかがい知ることはできない。レイシアはためらうことなく壁のヘコみに足をかけ、塀を上った。塀の縁に手をかけ、中をのぞきこむ。不法侵入になるのではと、ギルバート少年は渋い表情を浮かべているが、


「誰もいないんだからかまやしないわよ。ほら、こっちに来て」


 手招きすると、しぶしぶといった様子でレイシアの隣に並んだ。


「下に何か見える?」


 しばらく目を凝らした後、「何も」とギルバート少年は首を横に振った。

 建物の壁と塀の隙間は狭すぎて、庭と呼ぶにはあまりにも……、


「でしょ?」


 わかっているとばかり、レイシアは彼の言葉を遮った。


「でも店内からだと、裏口の扉から広い庭が見えたのよ。それは綺麗な眺めだったわ」

「夢でも見たのではないか?」

「失礼ね。これでも記憶力には自信あるんだから」

「……だったら」


 ギルバート少年は塀の上にのぼり、何かを探すようにあたりを見回した。「まさかとは思うが」何やらぶつぶつつぶやきながら、しゃがみこんで足下に手を滑らせる。やがて、「あった」と声をあげる。

思わず彼の視線の先をたどると、小さな文字らしきものが刻まれているのが見えた。


「これは何? 何て書いてあるの?」

「古い言葉で《見るべからず》と」

「そんなことよく知っているわね」


 素直に感心しつつ、「それで、何がわかったの?」とさらに訊ねるが、「何も」と決まり悪そうに答えをはぐらかされてしまう。


「嘘。何か知っているのなら教えなさいよ」


 少年は黙って肩をすくめると、さっさと塀から降りてしまう。


 すかさずあとを追い、前に立ちふさがる。「教えてくれるまでここを動かないから」と、しつこく訊ねると、やがて観念したように少年は口を開いた。


「もしかしたら、この店にはまじないがかけられているかもしれない」

「なぜわかるの?」

「まじないの痕跡が残っていた」


 まじない師は自ら刻んだ古代文字に魔力をそそぎこむことで奇跡を起こすのだと教えられ、「なるほど」とまたもや感心してしまう。


「だったらこの店はまじない師の隠れ家なのね」


 正確には、「だった」かもしれないが、


「話が飛躍しすぎだ」


 とギルバート少年は苦笑いを浮かべる。


「なぜそうなる?」

「だってまじない師はお金持ちしか相手にしないじゃない」

「この店の主人にはとても支払えないと?」

「少なくとも繁盛しているようには見えなかったわね」


 その時、レイシアの声にかぶさるように、すぐ近くから女性の声がした。


「まさかここにおられたとは……不思議なご縁ですわね」


 はっとして振り返ると、すぐ後ろに白いフードを目深にかぶった女性が立っていた。いつからいたのか、まるで気配を感じなかった。女性はレイシアに向かって会釈すると、「失礼」と言って脇をすり抜け、まっすぐ少年の方へ向かっていく。


「サイラス殿の代理でお迎えにあがりました。急ぎ対応して頂きたい案件がございまして」


 顔は見えないものの、声を聞く限り若い女性のようだ。ためらいなく臣下の礼をとる彼女に、「よせ」とギルバート少年は顔をしかめる。


「ギル、彼女は誰なの? それに、これはどういう……」


 この状況を見て、さすがのレイシアも驚かずにはいられなかった。しかしギルバート少年は質問には答えず、「あとで必ず説明するから」と言い、女性に促されるようにその場から立ち去ってしまう。

途中で我に返り、二人のあとを追いかけて走り出したレイシアだったが、


「いない……」


 見通しの良い通りに出るものの、二人の姿はなく、レイシアは足を止め、その場に立ち尽くしてしまう。まるで狐にでも化かされた気分だ。


「もう、何なのよ」


 後日、レイシアの店に、ギルバート・デミックと名乗る、やたらと目つきの鋭い青年騎士が現れるのだが、それはまたあとの話だ。



 END


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