③-第六話
「さすがは獣人の血を引く騎士だ。こんなに早く追いつかれたのはお前が初めてだよ」
必死になって探し回ったのだろう。珍しく、ガジェの顔に疲労がにじんでいる。しかし、息を切らせたガジェを前にしても、一向に悪びれた様子もなく、キィニールはけろりとして続けた。
「もう少しくらいはゆっくりできると思ったのに」
ガジェは背筋を正すと、いつもの淡々とした声で言った。
「サジェットの騎士たちもまもなくここへ到着するかと……」
「それはないな。あいつらには嘘の情報を流しておいたから」
にやりと笑いながら断言する。
「今頃は狩猟の森にいて、右往左往していることだろう」
「……ニールさま」
周囲の目を気にしてか、ガジェは小声で言った。
「お戯れもたいがいに……」
「陛下のお膝元であるこの城下町で、僕が危険な目に遭うとでも?」
「貴方の身をお守りすることが、彼らの勤めですから」
「やつらは護衛ではなく監視役さ」
顔をしかめながら、キィニールはかぶりを振る。
「あんな強面連中に付きまとわれては、女性を口説くこともままならん」
さすがにこの発言にはあきれたらしく、ガジェの眉間にシワが寄る。
「……視察目的ではなかったのですか」
「現地の女性を知ってこそ、その国の良さがわかるというもの」
「屁理屈をこねないでください」
息を殺して二人の会話を盗み聞きしていたシルビアだったが、
――まったく、トーマスったら。肝心な時にいないんだから。
間違いなくイツカのところで油を売っているに違いないと、心の中で八つ当たりする。
屋台を出すことに、反対こそしなかったものの、ガジェはあまりいい顔はしなかった。シルビアの身を案じる一方で、やりたいことはやればいいと、意見を尊重してくれた。しかし今、キィニールに声をかけられているシルビアを見、窮地に陥っていると判断したに違いない。相変わらずの無表情っぷりだったが、口もとが微妙に引きつっているのが分かった。
珍しく動揺しているのか、それとも――、
――こういう時、恋人としてどう振舞うべきなのかしら。
彼は今、仕事中でピリピリしているし、一時的なものとはいえ、キィニールは彼の仕えるべき主人であり、警護対象でもある。ここで自分が余計なことを言えば、ガジェの立場が悪くなるかもしれないと、黙って成り行きを見守ることにしたのだが、
「ついでに申し上げますが、先ほどから貴方さまが口説かれている女性は、俺の恋人です」
ずばりと切り出され、シルビアは顔をあげた。真剣な表情を浮かべるガジェと目があった瞬間、嬉しいやら申し訳ないやらで、頬が熱くなる。
「……なんだって」
一方のキィニールは、耳を疑うといった様子で、ガジェの顔をまじまじと見ている。
「驚いたな。ただの頭のかたい奴だと思っていたが……お前でも冗談を言うことがあるのか」
「冗談ではありません。彼女は俺の恋人です」
声には、明らかに牽制する響きがあったものの、
「嘘だ……」
キィニールはショックを受けたように二歩、三歩と後じさりする。牽制されて憤るわけでもなく、また、一介の騎士が隣国の王子に対して無礼だろうと叱責することもなく、代わりに、
「こんな男のどこがいいんだ」
と、恥ずかしそうに顔を赤らめているシルビアに詰め寄った。
「見るからにクソ真面目で面白味のない……」
本人を前にしてなんてことを言うのだと、シルビアはまなじりを釣り上げる。
「あら、彼にだってユーモアのセンスはあるわ」
「外見なら僕のほうが上だ」
「そう思っているのはあなただけ」
にべもない態度に、キィニールは本気で悔しそうな顔をする。
同じ歳のガジェと比べると、明らかに精神年齢の低さがうかがえるが、
――けれど、サジェットでは人気の王子さまなのよね。
どこの国でも、王侯貴族は尊大でプライドが高いと思われがちだが、キィニールは王族には珍しく、相手の身分に関係なく、誰に対しても分け隔てなく接する。中には、あまりに気安過ぎる、王家の威信に関わるかもしれないと、非難の声もあがっているらしいが、当の本人はどこ吹く風だ。
――そういうところは尊敬できるのだけど。
ふと、キィニールは何かに気づいたように、シルビアを見た。
「ということは、君は初めから、僕の正体に気づいていたんだね」
「……何のことかしら」
「とぼけたって無駄だよ」
問い詰めるというよりは面白がるような口ぶりで、キィニールは言った。
「恋人がどんな仕事をしているのか、知らないわけじゃないだろ」
「でも詳しいことは聞いてないの。彼、無口だから」
「噂も耳にしたことはない?」
「……興味ないもの」
「嘘だね」
いたずらっぽい目をして、シルビアの顔を覗き込んでくる。
「客商売しているのに、情報に疎いなんてありえないだろ」
どうやら墓穴を掘ってしまったらしい。
どうやって切り返そうか悩んでいると、
「それにさっきだって、僕とノーマンの会話を興味津々で盗み聞きしていたようだし」
「興味津々だなんて……」
「盗み聞きしてたことは認めるんだね」
思わずぎくりとして、助けを請うようにガジェのほうを見ると、
「やっぱり」
キィニールは弾けるように笑いだした。
「いいんだ、君が僕の正体に気づいていようがいまいが……むしろ気づかないふりをしてくれていたほうがありがたい。その方が僕としても話しやすいしね」
この言葉をどう受け止めるべきか悩むところだが、キィニールの態度は相変わらずで、
「ところで、こんな堅物の朴念仁と別れて、僕に乗り換える気はない?」
「あなたもしつこいわね」
「……ニールさま」
険を帯びたガジェの声を聞いて、さすがにこれ以上はまずいと思ったのだろう。
キィニールは茶目っ気たっぷりに片目を瞑ると、
「今日はこの辺で引き下がることにするよ。じゃないと、後ろから切り殺されそうだ」
そそくさとその場を立ち去ってしまう。




