③-第四話
ブレスレットのことをリリィに相談するつもりでいたシルビアだったが、
「え、まだマザーに話していないんですか」
トーマスから責めるような視線を向けられて、後ろめたい気持ちで言い返す。
「だって彼女、あれから一度も店に来ていないんだもの」
「そういえば僕もここ最近、マザーのお姿を見ていないような……」
誕生祭当日、シルビアとトーマスは早朝から中央広場に来ていた。
吐く息は白く、辺りはまだ薄暗い。
それでも多くの人々が広場に集まり、出店の準備をしている。
シルビアも今日のために、髪の毛を茶色に染め、髪型は町娘風に結い上げ、伊達メガネをかけるなどして変装していた。トーマスは不安そうな顔をしていたが、町の住人はみな祭りの準備で忙しく、シルビアのことなど気にもとめない。
露天商組合から貸し出された、車輪つきの屋台を引きながら、割り当てられた区画へ向かう。
「珍しいわよね。どんなに忙しくても、時々は店に顔を出してくれたのに」
「ですよね」
「お父さまがリリィに何かお命じになったのかしら」
「それで隠密行動中とか?」
「イツカが何か知ってるかも」
「彼女も今日来るんですか?」
弾んだ声をあげるトーマスに、シルビアはにっこりする。
「ところで、この屋台すごいわね。煮炊きや洗いものができるなんて」
「全ての屋台にまじないがかけられているそうですから」
「露天商組合って、そんなに資金力があるの?」
驚くシルビアに、トーマスは首を横に振る。
「宮廷まじない師さまによる、無料奉仕活動の一環らしいです。まじない師が高給取りの役立たずだと思われないよう、イメージアップを図るためだとか」
「……リリィらしいわ」
「使用は誕生祭のあいだに限られていますけど」
「だから貸出料金も安かったのね」
「あ、ここですよ」
指定された場所まで来ると、
「ずいぶんと端っこなのね」
シルビアはがっかりしながら足を止めた。
露店を出す場所は組合で決められるらしいが、
「良い場所を取るにはそれなりにコネが必要ですから」
「場所代もけっこう払ったのに」
「あれでも安いくらいですよ」
トーマスに慰められながら、出店の準備をしていると、
「あ、いたいた。シルビアさーん」
手を振りながら現れたのは、大きな布の包みを抱えたイツカだった。
「出店場所、離れちゃいましたね。あたしは日用品や雑貨を扱う区画だから」
「荷物、重そうね。良かったら荷車を貸しましょうか」
「平気ですよ。むしろまだ余裕ありますから」
「それなら……」
間食用にパンプキンパイの包みをあげようと思ったのだが、トーマスに先を越されてしまった。
イツカ用によけておいたパイの包みを、「シルビアさんからです」と言い、イツカに渡している。
「うわあ、ありがとう。嬉しいな」
お礼を言われて、顔を真っ赤にしている。
なんて抜け目のない、と感心していると、
「そうだ。聞いてくださいよ、シルビアさんっ」
イツカはシルビアのほうを向くと、鼻息荒く切り出した。
相変わらず職場の人間関係に悩まされているらしく、ストレスが溜まっているらしい。以前、愚痴をこぼしてすみませんと謝られたものの、シルビア自身、イツカやトーマスにはよく相談に乗ってもらっているので、自分にできることがあればと、すすんで話を聞くようにしている。
「この前、職場の同僚に「あなた、声が大きすぎるから静かにして」って言われたんです」
「まあ」
「でもその人だって、仕事中に恋人の話ばかりしてるんですよっ」
「お前が言うなって感じですよね」
絶妙なタイミングでトーマスが相槌を打っている。
「しかも、あたしよりあとに入ってきたくせに、年上だからって先輩面するんです」
「そうなの」
「だからあたしも言ってやったんです。喋る暇があるのなら仕事をしてくださいって」
ふんふんとうなずく、
「それで?」
「彼女、怒って店を出て行っちゃって……」
言いながら、イツカは落ち込んだ様子で肩を落とした。
「結局、閉店まで戻ってこなかったんです。翌日も休みだったし」
どうやら責任を感じているらしく、声に元気がない。
すかさずトーマスがフォローする。
「イツカのせいじゃないですよ」
「でも、あたしが追い出したみたいで、居心地が悪くて」
自分も似たような経験があると、シルビアも苦笑いする。
以前、友人のように親しく接してくださったお客さまから突然、
「あなた、声が大きすぎるのよ。静かにお茶が飲めないじゃない」
邪険に扱われて、ひどくショックを受けたのだ。
ご高齢で、何度も説明を聞き返されるから、てっきり耳が遠いのだと思っていたけれど。
「他のお客さまと扱いが違うから、不満を感じていらしたみたい」
「ご自分が年寄りだってことを認めたくないのかもしれませんね」
「それ以来、店に来られなくなったわ」
「シルビアさんは悪くないですよ」
きっぱりと言い、イツカは吹っ切れたような表情を浮かべた。
「ありがとうございます、シルビアさんに話したらスッキリしました」
「お互いさまよ」
口もとを押さえながら笑うと、イツカが何かに気づいたように声をあげた。
「シルビアさんがブレスレットをつけてるなんて、珍しいですね。贈りものですか」」
きらきら輝く瞳を向けられて、「ああ、これ」と決まり悪そうに腕を掲げてみせる。
「たいしたものじゃないの。その」
「すごく綺麗。表面に細かい彫刻があって……」
イツカの指先がブレスレット触れた瞬間、バチっと音がして、ブレスレットが地面に落ちてしまった。一瞬だけ唖然としたシルビアだったが、
「ご、ごめんなさい。どうしよう」
おろおろするイツカの声で、はっと我に返る。
咄嗟に事情を説明すべきか迷ったものの、
「気にしないで。留め金が緩んでいただけだから」
長い話になりそうなので、笑ってごまかした。
「でも、真っ黒に変色しちゃってますけど」
「そういうものなのよ。それより早く、開店の準備をしないと」
イツカが立ち去ったあとでブレスレットを拾い上げる。
少し前まで光り輝いていたそれは、シルビアの手からポロポロと崩れ落ちて、跡形もなく消えてしまった。
「一体なんだったのかしら、これ」
「何にしろ、外れてよかったじゃないですか」
トーマスはこれで一安心とばかり笑っている。
釈然としないものを感じつつも、シルビアはうなずいた。
陽が昇るにつれて、広場に客が集まってきた。
ズラりと立ち並ぶ屋台の前を歩きながら、人々は楽しそうに商品を物色している。食べ物を扱う区画では、すでに行列ができている店もあり、店主がもの凄いスピードで商品を売りさばいていた。
「やっぱり、広場の出入口付近が一番盛り上がってますね」
偵察から戻ってきたトーマスの報告に、シルビアは不安げに返す。
「……お客さま、ここまで来てくれるかしら」
「大丈夫ですよ。毎年、広場には入りきらないほど人が集まってくるんですから」
トーマスの言葉通り、お昼近くになると、広場の隅のほうにまで客足が浸透し、シルビアの店もにわかに忙しくなった。広場は熱気に包まれ、緊張と興奮で体温が急上昇する。いっとき、客足が途切れると、シルビアはそわそわしながら切り出した。
「ねえ、トーマス。少しのあいだだけ、お店を任せていいかしら」
「かまいませんけど、どこに行くんですか」
「さっきから、揚げ物のいい匂いがするでしょ。我慢できなくて」
「そういえば僕ら、昼食がまだでしたね」
言いながら、トーマスは踏み台から降りてエプロンをはずす。
「僕が買ってきますから、シルビアさんは留守番しててください」
「いいのよ、トーマス。ここは私が……」
「どこも混雑していますし。迷子になるのがオチですよ」
年上の女性に対して失礼なことを言いながら、トーマスは瞬く間に人ごみの中に消えてしまった。昼食を買うついでに、少しだけお祭り見学でもしようと思っていたシルビアは、がっかりして肩を落としてしまう。
――まあ、いいわ。ここからでもお祭りの雰囲気を楽しむことはできるし。
ひんやりとした空気の中に立ち上る煙、美味しそうな香りと食べ物がじゅうじゅう焼ける音――イツカのいる日用雑貨を扱う区画はどんな感じかしらと、シルビアが考え事をしていると、
「そこの綺麗なお嬢さん」
声をかけられた瞬間、ぞくりと背筋に寒気を覚えた。
低く、芝居がかった声――聞き覚えのある声に嫌なが予感がして、恐る恐る顔を向けると、
「少しあいだだけでいい、匿ってくれないか。悪漢に追われているんだ」
爽やかな香水の香り、完璧にセットされた髪型にサジェット特有の灰色の瞳、男性ものの化粧で整えられた端正な顔立ち――王族らしからぬ、派手な装いのこの男のことを、シルビアは知っていた。
――キィニール・ヘクトル・スタンレー。




