③-第二話
トーマスの言葉を聞いて、シルビアはごくりと唾を飲み込む。
「それはお父さまの采配で?」
「いえ、騎士団長の推薦だそうです」
そうなの、と意外に感じた。
「それだけ、ガジェの腕を信頼しているってことよね」
「僕もそう思ったんですけど、ガジェさまはむくれておられました。団長は単に面白がって自分を推薦しただけだと」
トーマスはおかしそうに笑う。
「だってキィニールさまは、シルビアさんの元婚約者なわけだし」
「一度求婚されただけで、婚約者ではないわ」
即座に訂正すると、トーマスはからかうように言った。
「でもお立場上、断れなかったでしょ?」
「だから逃げ出したんじゃないの」
軽口を叩きながら、全ての事情を知っている団長なら、ありえない話ではないと、シルビアも苦笑してしまう。
――ユリウスとは違った意味で、つかみどころのない人なのよね。
「ガジェの話に戻るけれど、国賓の警護が、重要な任務であることに変わりはないわ」
ですよね、とトーマスも同意する。
万が一にも、国内で王子の身が危険に晒されれば、同盟の強化どころか隣国と戦争になりかねない。団長もをそれを考慮した上で、騎士団の中で最も腕の立つガジェを選んだに違いないとシルビアは考えた。
――それにガジェにはまじないが効かないから。
「ところでキィニールさまの滞在予定は?」
「明日か明後日頃には城下町にお着きになられて……」
言いながら、トーマスはかわいそうなものを見るような目をシルビアに向ける。
「おそらく祭りの最終日まで、ご滞在されるかと。あの、シルビアさん……」
「そんな顔をするのはやめてちょうだい、トーマス」
一日くらい、ガジェとお祭りデートができたらいいなと期待していたのだが、
「いいのよ。忙しいのはお互いさまなんだから」
そう自分に言い聞かせて、シルビアは残ったお茶を飲み干した。
……
翌日も、誕生祭に向けてお菓子作りに精を出していたシルビアだったが、
「馬の足音?」
作業を中断して外へ出ると、ちょうど馬車が道を塞ぐようにして店の前に停まるところだった。
まもなく扉が開いて、上品な身なりをした、美しい女性がおりてくる。歳は二十代後半くらいか。この国では珍しく、灰色の瞳に、青みがかった黒髪――おそらく他国の人間だろうと、シルビアは考えた。けれどただの旅行者にしては、堂々としている。店に入る様子はなく、立ち止まって、じっと建物を凝視しているので、「何か御用ですか」とおずおず声をかけると、はっとしたようにこちらを向いた。
「あなた……」
シルビアの顔をまじまじと見、警戒するように言う。
「あなた、魔術をお使いになるのね」
「まじゅつ?」
「ああ、この国では、<まじない>と呼ぶんでしたかしら」
さも馬鹿にしたような口調で言い直す。
「単刀直入にお訊ねするわ、あなた、何者ですの?」
高飛車な言い方にムッとしたが、そこは表に出さないよう、笑顔で答えた。
「この店のオーナーで、シルビアと申します」
「店、というのはまじないの?」
いいえ、とシルビアは笑った。
「ただのハーブティー店です」
「嘘おっしゃい」
ぴしゃりと言い返されて、シルビアは面食らった。
「周囲の目は騙せても、あたくしの目は騙せないわよ」
シルビアの目をじっと覗き込みながら、断言する。
「あなたからは、とてつもなく大きな魔術の気配がする」
――もしかして、リリィのまじないに気づいたのかしら。
ドギマギするシルビアに向かって、女性は続けた。
「さぞかし名のあるまじない師なのでしょう」
「……あなたこそ、一体……」
シルビアの声を遮るように、女性は言った。
「あたくしの名はカサンドラ・マーラ。サジェットの偉大なる宮廷魔術師ドラゴ・マーラの孫娘よ」
――サジェットですって。
ふと脳裏に、キザなキィニールの顔がよぎった。
おそらく彼女は、王子の随行者としてこの国に来たのだろう。
――正体がバレたかしら? いいえ、リリィのまじないは強力だもの。
つい先日、効力が弱まるといけないからと、まじないを強化してもらったばかりだ。
「……ずいぶんとこの国の言葉がお上手ですのね」
「あら、当然ですわ。あたくしは通訳も兼ねてこの国に来たのですから」
才女であることをひけらかすような口ぶりに、リリィの魔力が彼女に負けるはずがないと、強く思った。一体何が狙いなのかと、すぐさま警戒する。
「ああ、どうか勘違いなさらないで。あたくしはあなたを脅かす存在ではありませんのよ」
シルビアの変化に気づいたのか、突然猫撫で声を出して、近づいてくる。
「ではなぜここに?」
「殿下の身に危険がおよばぬよう、先に現地入りして、治安状況を確認しているところですの」
そこで言葉を切ると、ちらりとシルビアを見る。
「殿下のことは、当然ご存知でしょう」
隣国の王子が国賓として招かれることは、この国の者なら誰もが知っている。
シルビアは軽くうなずき、慎重に言葉を選ぶ。
「ですが、それは護衛の者の役目では?」
「魔術に関しては、あたくしの領分ですわ」
言いながら、すぐ近くで足を止めると、美しく装飾された箱を差し出してきた。
「この出会いを祝して、ちょっとしたプレゼントを差し上げますわ」
結構ですと断ると、女性は意外そうな表情を浮かべた。
「あら、どうして」
「いただく理由がありませんもの」
「挨拶ついでの手土産でも?」
「引越しの挨拶に来られたわけでもありませんでしょう」
頑なに断ると、女性は笑いながら、箱をそっと足元に置いた。
「ひと目だけでもご覧になって。気に入らなければ捨てても構いませんわ」
それからさっと踵を返し、馬車のところへ戻っていく。
「今日のところは、これで失礼しますわ」
振り向きざまに言い、優雅にその場をあとにした。




