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②‐第二十五話



 多めのバターで炒めた玉ねぎに、小麦粉が玉にならないよう混ぜ合わせ、たっぷりのミルクと鶏肉のスープを少しずつくわえていく。あらかじめ炒めておいた人参やジャガイモなどの野菜の他に、キノコと鶏肉、タイムやミント、パセリなどのハーブ類を加えて、かき混ぜながらじっくり煮込む。最後に塩と胡椒で味を調えれば完成だ。


 ――良い匂いがしてきたわ。


 大きめに切ったジャガイモが崩れるくらい煮込むのがシルビアの好みだ。出来立てほかほかのミルクパンに、とろとろのシチューがよく合う。いつもは一人で夕食をとるものの、今夜は招待客がいるため、はりきって料理を作った。サラダや果物も用意したし、食後のお茶の準備も万端整っている。

 

 けれど夕食に招待した客のうち、来てくれたのはわずか二人――リリィとイツカだけで、シルビアは落ち込んだ。ガジェとトーマスは仕事で到着が遅れるらしい。食後のお茶には間に合うはずだと自分に言い聞かせ、二人を待たせるのも悪いので、先に食べることにした。


「ところで、お父様を襲った赤目の少年が誰か、わかったの?」


 ガシャっと音を立てて、イツカがスプーンを皿の中に落とした。


「お行儀が悪いですわよ」

「ご、ごめんなさい」


 隣の席に座るリリィにたしなめられて、イツカは首をすくめる。


「料理が口に合わなかったかしら?」


 シルビアも心配して訊ねると、ぶんぶんと激しく首を横に振られた。


「そ、そんなことは……。ああ、シルビアさん。どうか何も訊かないでください。あたしが馬鹿だったんです」


 何か心配事でもあるのかと、首を傾げる。そういえば、店に来た時からどこか様子がおかしかった。


「仕事でミスでもしたの?」

「それならまだ良かったんですけど……」


 それ以上は何も答えてくれず、黙々と食事を済ませると、まだやり残した仕事があるからと、珍しく食後のお茶を辞退し、落ち込んだ表情で店を出て行ってしまった。扇子の弁償代について話をしようと思っていたのに、本当にどうしたのかしらと心配になる。


「リリィは何か知ってる?」


 食後に出した、濃いめに淹れたレモンバームティーをすすりながら、彼女は素知らぬ顔で「さあ」と首をすくめる。 


「ところで、例の少年の件ですが……」

「何かわかったの?」


「シルビア様がご心配なさる必要はありませんわ。質の悪い、子どものいたずらです。現場の近辺を調査したところ、厚紙で出来た偽物のナイフが見つかりましたし、当事者も名乗り出ました」


 口を開きかけたシルビアを見、リリィは首を横に振った。


「獣人の子どもではありません。瞳は紅茶色をしておりましたし――おそらく光の加減で赤く見えたのでしょう。陛下にも確認していただいた上で、それ相応の罰も与えましたから、この件は解決済みです」


 それを聞いて、シルビアはほっと胸をなで下ろした。


「だったら、ヘルマン様の依頼を受けたまじない師は誰だったの?」

「それはわかりかねます。おそらく当人も名乗り出ないでしょう」

「お父様は何て?」


「すておけと。そのまじない師は忠実に自分の仕事をこなしただけで、おそらく悪意はないだろうと、ご寛容にもご容赦くださいました」


「あなたとお父様がそうおっしゃるなら、何も問題はないと思うけれど」


 言いながらも、シルビアは釈然としないものを感じたが、自分が口を挟むことではないと、ぐっとこらえる。


「ユリウスはそれで納得するかしら」

「納得させますわ」


 珍しく強い口調でリリィは言った。


「元よりウィザー伯の目的は、父君であらせられるバーナード公への疑いを晴らすことですもの。目的は達成されたのですから、これ以上、私の仕事に口出しはさせませんわ」


 他にも気がかりなことはあったものの、リリィの迫力に押され、シルビアは口を閉じた。今はこの、ゆったりとしたお茶の時間を楽しもうと、レモンパイの皿に手を伸ばす。


「リリィも、もう一切れいかが?」


「結構ですわ。十二分に堪能いたしました。代わりに、お茶をもう一杯いただけますかしら」


「もちろんよ」

「結局、ノーマン殿はお茶の時間にも間に合いませんでしたわね」


 リリィの言葉に苦笑したその時、店の扉が開く音がし、シルビアは立ち上がって振り返った。しかし、現れたのは待ちこがれた恋人の姿ではなく、


「まったく、捜しましたよ、ジェイトン卿」


 渋い顔をしたユリウスを見ても、リリィは動じた風もなく、にこやかに立ち上がり、優雅に礼をしてみせる。


「よくここがお分かりに」


「密偵を放ったところであなたの居場所を把握することは困難ですからね。今回は直感に頼りました。この店はあなたの隠れ家ではないかと、前々から疑っていたもので」


 ということは、彼はまだこの店に関する記憶を取り戻していないのだと、シルビアは内心ほっとした。ユリウスはそんなシルビアの存在には気にもとめず、まっすぐリリィを睨みつけている。一方のリリィは、困ったように首を傾げて、


「私の一存では記憶をお戻しすることはできないと、再三申し上げましたわ」

「その件で来たわけではありません」


 ふうと息を吐き、ユリウスは強い口調で続けた。


「陛下はあなたのことを完全に信じきっておいでだが、私には理解できない。ジェイトン卿、あなたは一体何を企んでいるのですか」


「突然何を……」


「ヘルマン・カートにまじない無効化の術式を施した者が誰か、あなたはわからないと言った。そして、陛下が赤目の少年に刺されたと証言していた護衛騎士が、唐突に前言を翻した。少年は偶然ぶつかってきただけで、危害をくわえる様子はなかった、自分が見誤っただけだと」


 話が見えてきましたわ、とリリィはあきれたようにうなずく。


「まさかまだ疑っておられるのですか、私がフォンティーヌ様の共犯者だと。かつて、私はあの方の命令で、ノーマン殿に殺されかけたというのに」


「あなたは何かを隠している」


 切り込むようにユリウスは告げた。


「それがわからない限り、あなたを信用することはできない」

「隠し事の有無に関わらず、人を信じることは容易なことではありませんわ」

「まわりくどい言い方はやめましょう」


 今一度店内を見回しながら、ユリウスは口を開いた。


「アマーリエ王女はどこにいますか」


 この質問に、リリィはすぐには答えなかった。必死に平静を装うシルビアとは違い、怪訝そうに眉をひそめている。


「第一王女はお亡くなりになりました」


「いや、彼女は生きている。現にこの目で見た。触れた感触もまだ手に残っている。幻ではない」


「見間違えの可能性は?」

「あなたが私にそれを言うのか」


 ユリウスらしからぬ、吐き捨てるような口調に、リリィは思案げに目を伏せる。


「彼女は美しく、聡明で、王女として何不自由ない暮らしをしていた。その気になればいくらでも贅沢ができる身分だ。私も含め、誰もが彼女を幸福な女性だと思うだろう。だが現実は違った。彼女は継母に虐げられ、暗殺の恐怖に怯える日々を送っていた」


 フォンティーヌが投獄された後で事実を知ったユリウスは、激しく己を責めたという。けれど同時に、ある希望も抱いていた。


「子どもの頃、彼女は私を慕ってくれて、どこへ行くにも後をついてきた。私はそんな彼女が可愛くて、かまい倒して、嫌われてしまったけれど――ある時、彼女の気を引きたくて、わざと彼女のドレスに飲み物をこぼしたことがある。彼女は怒って、外へ飛び出して行ってしまった。しばらくして戻って来た時にはいっそうドレスを汚していて、彼女はそれを私のせいにしたんだ。おかげで私は教育係の女性にこっぴどく叱られてね。シルビィは一切お咎めなしだ。彼女はドレスが汚れるほど、外で遊び回っていたというのに」


 そういえばそんなこともあったなと、シルビアは懐かしさのあまり目を細めた。ユリウスもまた小さく笑うと、あらためてリリィに向き合う。


「彼女は見た目によらず強かで、機転も利く。必ずどこかで生きていると信じていた。そして現に生きていた」


「私に何を言わせたいんですの?」


 徐々に熱を帯びるユリウスの口調とは対照的に、リリィの声は落ち着いていた。


「彼女の居場所を教えて欲しい」

「死者の国へ旅立つおつもりですか」


「ヘルマン・カートが毒殺された日、我が家の騎士の一人が、この店から出てくる銀髪のご令嬢を目撃している。行き先はバーナード邸だ。どうやら彼女は、仮面舞踏会に出席していたらしい」


 リリィから、ほらみたことかと言わんばかりの視線を向けられて、シルビアはまともに彼女の顔を見ることができなかった。深く頭を下げて、許しをこう。


「おそらくこの店は、あなたのまじないによって、様々な場所に通じているのでしょう。人目に付かず、長距離を移動できるようにと。陛下が足繁くこの店に通われている理由もうなずける」


「そして、亡き殿下のいる場所にも通じているとお考えなのですね」

「違いますか?」

「……会って、どうなさるおつもり?」

「何も。ただ彼女に会って、生きていることを実感したい。それだけです」


 やれやれとリリィは冷静な仮面を脱ぎ捨て、げっそりとした様子で天井をあおいだ。


「ゆっくりお茶を飲む暇もありませんわね」



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