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②‐第二十四話



 その日、リリィ・ジェイトンは城下町にあるマーレン家の別邸を訪れた。主人は不在だと言い張る使用人を押しのけ、半ば強引に中に入ると、まっすぐ地下室へ向かう。扉の前には《何人たりとも邪魔をするべからず》という注意書きのメモが貼られていたものの、構わず扉を開けた。


「まったく、誰が来ても人を通すなと、あれほど言っておいたのに」


 壁という壁にびっしり書き込まれた古代文字の数々、薄暗い明かりの中で、多くの書物や書類の山に囲まれたセリシアを見、リリィはため息をついた。


「あいかわらず、まじないの研究に余念がありませんわね」


 その声を聞き、セリシアは嬉しそうに書物から顔をあげた。


「あら、リリィだったの。そちらから出向いてくれて助かったわ。ここまで来て、あなたに会わずに帰るなんてできないもの」


「陛下の御身に、危険が迫っていることを教えて頂いたことには感謝いたします。けれど、あのようなやり方は、あんまりですわ」


 かつての妹弟子に責められて、セリシアは首を傾げた。


「何のことかしら」


「とぼけないでくださいまし。ヘルマン・カートの肉体に、まじない無効化の術式を施したのが誰か、気付かないとでもお思い?」


「あたくしだとでも言いたいの?」


「他のまじない師であれば即座に断ったでしょう。あまりにリスクが大きすぎますもの。けれどお姉様はリスクを恐れない」


「そうね、それどころか、めったにない依頼だと飛びついたわ」


 やっぱり、とリリィはため息をついた。


「相変わらず、まじないのこととなると理性を失いますのね」

「でも、依頼主がそれを使って何をするかまでは聞いていないわ。興味がないもの」


「聡明なお姉様のこと、ヘルマン殿の思い詰めた表情を見れば、容易に察しはついたはずですわ。だから、あのような茶番劇を演じさせたのでしょう? よりにもよって、私の大事なイツカ・ベルタを使って」


 憤慨するリリィに、セリシアは初めて笑みを浮かべた。


「あら、彼女だって乗り気だったわ。ただのいたずらだと思ったのね。試しに少年に変装させてみたら、これがよく似合うんで驚いたもの。ただし、彼女は少しも嬉しそうじゃなかったけれど。しきりに胸もとを気にしていたわね」


 ヘルマン・カートの依頼を受けて城下町を訪れたセリシアは、仕事の後で、そのことをリリィに伝えるつもりだったらしい。しかし、多忙を極める宮廷まじない師に会うことは容易ではなく、どうしようかと悩んでいたところに、《子どもの館》でイツカ・ベルタに出会い、この計画を思いついたという。


「口で説明するよりも実演したほうがより危機感が増すでしょ? 平和ボケした騎士たちにも、良い薬になると思ったのよ。それに、依頼主に施したあたくしの術式は完璧だから――」


「まじないに頼りすぎると痛い目を見ると、言外に忠告なさりたかったのでしょう? だから、獣人の血を引くイツカを役者に選んだ。しかも、ナイフまで持たせて」


「厚紙で作った小道具よ。本物ではないわ」

「イツカから話を聞いた時は、気絶するかと思いましたわ」

「ただのお芝居でしょ。通りすがりの男を、偽物のナイフで刺しただけ」

「その通りすがりの男の正体を、イツカに教えなかったのはなぜですの?」


「彼女が尻込みすると思ったから。でも彼女、予想以上に良い仕事をしてくれたわ。度胸がある上に逃げ足も早い。その上、獣人の血を引いている。あなたさえよければ、あたくしのところで雇いたいくらいよ」


「あの子をお姉様の実験材料にするつもりはありませんわ」

「まあ、ひどい言いようね」


「ひどいのはどちらですの。これでは、イツカを人質にとられたも同然ですわ」


「そうなの?」

「白々しい」


 抜け目のない笑みを向けられて、リリィはふんと鼻を鳴らす。


「笑い事ではありませんわ。フォンティーヌ様亡き後、ウィザー伯は未だ共犯者として、陛下を襲った赤目の少年を捜しておりますのよ」


「だったら、あたくしたちはどうなるのかしら? 絞首刑?」


「どうにもなりませんわ。イツカが関わっている以上、私がどんな手を使ってでももみ消しますもの。幸い、陛下は寛容にもお許しくださいましたし。このことを知っているのは、ごく限られた者たちだけですから」


「さすがは宮廷まじない師殿。姉弟子としてあなたを誇りに思うわ」

「もう二度と、このようなことはなさらないと約束してください」


 リリィは表情を引き締め、ことさら怖い顔をしてみせるものの、まるで効果はなく、


「あら、どうして? 今回の一件で、あたくしの術式があなたのまじないを無効化できるとわかった。大きな収穫だわ」


「……そういうところも相変わらずですわね」

「競争なくして、技術の進歩は望めないわ」


 苦々しい笑みを浮かべるリリィに、セリシアは申し訳なさそうな表情を浮かべる。


「あんまりあの子を叱らないでやってね。お金に目がくらんだだけなのよ」


「もう遅いですわ。高額な報酬にはリスクがつきものだと、厳しく言い聞かせておきましたから。たとえ偽物であっても、陛下の御身にナイフを突き立てるなんて――護衛騎士に斬り捨てられても、文句は言えませんわ」


「あたくしがそれを許すと思って? 姿は見えなくても、ずっと彼女のそばにいたのよ。もちろん、いざという時、助けるつもりでね」


「後のことはお考えにならなかったのですか? 事情を知って、あの子は自分のしでかしたことに怯え、三日も眠れぬ夜を過ごしたのですよ」


「だからあれほど、あなたには内緒にしようと言ったのに」

「そういう問題ではありませんわ」


 ぴしゃりと言い、リリィは大きく息を吐いて怒気を鎮めた。この人の前では、自分はいつも怒ってばかりだと、軽く苛立ちを覚える。そもそもまじないは、高度な術であればあるほど、それに見合うだけの魔力量と知識、忍耐強さが要求される。心の乱れが失敗に繋がるため、まじない師は常に冷静沈着でなければならず、調子を崩されることをひどく嫌うからだと、リリィは自己分析した。


「ともかく、お姉様の研究に私やイツカを巻き込むのはおやめください」


 しかしセリシアに反省した様子はなく、この上なく好ましい研究対象を前にした時のように、不気味に瞳をきらめかせている。


「この際だから言っておくけど、陛下のお命がどうなろうと、誰が毒殺されようと、あたくしの知ったことではないわ。あたくしにとっては、まじないが全てだもの。研究はどこにいてもできる。けれどあなたは違うわ。そうでしょ?」


「ええ、ええ、陛下に対する忠誠心さえお持ちであれば、今頃はお姉様が宮廷まじない師の地位を賜っておられるはずですもの」


「それは過大評価しすぎよ。昔から、あなたにだけはかなわなかった」

「かなわないふりをしていたのでしょう?」

「馬鹿おっしゃい」


「不自由を強いられるのが嫌で、宮廷まじない師の地位を私に譲ったのだわ。お姉様は昔から、周囲の人間を騙すのが得意でしたもの。未だ独身を貫かれているのも、仕事に没頭するためというより、そもそも男性嫌いだから……」


「そう思いたければそう思えばいいわ」


 相変わらずつかみ所のない人だと、リリィは笑う。


「ところで、あなたが後生大事に匿っているお姫様のことだけど」


 さらりと告げられて、はっと息をのんだ。


「あの店にも行かれたのですか?」 


「一応、殿下の前では気付かないふりをしておいたわ。あたくしに見抜かれるなんて、腕が鈍ったのではない?」


 指摘されて、どきりとする。


「まじないを施したのが、ずいぶん前ですから。魔力量が減って、効果が薄れつつあるのかもしれません」


「といっても、けっこうな量の魔力を感知したわ。外まで気配が漏れ出していたもの。おそらく、並のまじない師には見抜けないわ。あたくしレベルでないと。だからといって気を抜かないことね。仕事にかまけて自己研鑽を疎かにしてはだめよ」


「……ご忠告、痛み入りますわ」



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