②‐第二十三話
信じられない、とシルビアは唇を震わせた。
「レオナールに罪を着せるつもりなのね」
「あの子がそれを望んだのよ」
「あなたがそうし向けたんじゃないっ」
たまらず怒鳴るが、フォンティーヌにこたえた様子はなく、どこかなげやりな態度で天井を見上げる。
「王のお世継ぎとして、誰よりも恵まれた立場にいたにも関わらず、あの子はその恩恵を自ら手放した。ただ黙ってさえいれば良かったものを――愛情を注いだ息子にまで裏切られるなんて……あたくしも落ちたものね」
「レオナールは裏切ってなどいないわっ。それを裏切りだと感じるあなたのほうがおかしいのだと、なぜわからないのっ。どうして――」
「……姉上、もうやめてください」
声が聞こえた。
どこかあきらめを含んだような、かろうじて聞き取れるほどの、小さな声が。
「もう、良いのです」
窓から光が射し込む場所、突如として姿を現したレオナールに、フォンティーヌは唖然としていた。レオナールのすぐ後ろにはリリィの姿もあり、シルビアに向かって力強くうなずいてみせる。
レオ……とシルビアが呼びかける前に、フォンティーヌが動いた。
「ああ、あなたなの? レオナール」
目に涙を浮かべ、よろよろと彼に近づいていく。
「どんなに会いたかったか。お母様は、毎朝、毎晩、あなたのことを考えていてよ」
息子を前にした途端、手のひらを返したような態度に、今度はシルビアのほうが唖然としてしまう。おそらく、レオナールがここに現れたことで希望を抱き、同時に、これまでのシルビアの言葉に疑念を抱いたのだろう。
「母上……」
しかし、近づいてくるフォンティーヌを拒むように、レオナールは距離をとった。息子の態度に違和感を覚えたのか、フォンティーヌは舌打ちせんばかりに顔をゆがめ、かと思えば、すぐさま打ちのめされたような表情を浮かべる。
「どうしたのレオナール。お母様のことがわからないの?」
「……僕を裏切り者呼ばわりしたのは母上のほうですよ」
意外にも、レオナールは毅然とした態度で応えた。怒りに震えることもなければ、失望して泣き崩れることもなく、真実を見極めようと、しっかりとフォンティーヌの顔を見据えている。
「あんな……あんな母上を見るのは初めてで、正直、あなたのことをどうお呼びすれば良いのか、わからなくなりました」
「アマーリエの嘘を見破るために、あえてあのような言い方をしたの。どうか真に受けないでちょうだい」
「とてもそうは見えなかった。あなたは心から、姉上のことを恨んでおられるようだった――なんて……なんて見苦しい。王族としての品性の欠片もない」
悲しげな言葉に、先ほどのやりとりを思い出してシルビアもいたたまれなくなった。一方のフォンティーヌは、我が子の前で醜態をさらしたというのに動揺した様子はなく、
「愚かな行いだったと反省しているわ。許してちょうだい。長く独りでいたものだから、まだ少し、混乱しているのよ。人と、どう接すればいいのかわからなくて……」
開き直ったように再び演技を始める。
あらためて室内を見回したレオナールは、少し納得したようにうなずいてみせたものの、態度を軟化させる様子はなく、
「では、ヘルマンの死については、どう弁解なさるおつもりですか」
「あれが毒だとは、あたくしも知らなかったの。薬だと思いこんでいたのよ」
「だったら、あの薬をどこで?」
「若い頃にパリスからもらったのよ。当時のあの子は、まじないを使った薬の開発に夢中だったから――きっと失敗したのね」
「ありえませんわ」
唐突にリリィが口を挟んだ。
「ヘルマン殿の肉体には、まじないを無効化する術式をほどこされておりました。まじないがかけられた薬が効くはずがありません」
「あらやだ、あたくしったら勘違いして。今思い出したわ、あれは――」
「あなたがヘルマン・カートを殺したんだ」
静かだが、確信のこもった声でレオナールは告げる。
「初めからそのつもりで――だから僕にあんな嘘を――彼が、僕の本当の父親などと、嘘をついた」
言いながら、感情の高ぶりを抑えられずに目に涙を浮かべる。
「彼は、そのせいで何日も悩み、苦しんだというのに。けれど最後は笑って、僕に忠誠を誓ってくれました。どんなことをしてでも僕を守ると、そしてあなたを救い出すと約束してくれた。でもまさか、父上の命を狙うなんて……」
「彼が勝手にやったことよ」
「でもあなたにはわかっていたっ。察しがついていたんだっ。彼の死を知って、未だ驚くことも、嘆くこともしないのだからっ」
声を荒げたせいか、突然咳込みだしたレオナールに、シルビアは駆け寄って背中を撫でようとするが、
「あたくしの息子に触れるでないっ」
すさまじい剣幕でフォンティーヌに怒鳴られてしまう。しかし、伸ばしかけた手を掴んだのは、レオナールのほうだった。
「僕はもう、あなたの息子ではありません」
「レオナールっ」
「あなたのことを母上とお呼びすることは、二度とないでしょう」
「……あたくしを見捨てるというの?」
その言葉に、レオナールは悲しげな笑みを浮かべた。
「見捨てられたのは僕らのほうですよ」
シルビアが黙ってレオナールの手を握りしめると、強く握り返された。
「ジェイトン卿、今すぐ僕を父上のところへ連れて行ってください。早急に話したいことがあります。僕が、間違っていたと」
「……待って。行かないで、レオナール。お願いだから、あたくしも一緒にここから――」
追いすがろうとするフォンティーヌの前に、リリィが立ちふさがった。
「罪人が、殿下の御身に触れることなど許されません。立場をわきまえなさい」
フォンティーヌがヒステリックな叫びをあげると同時に、リリィは声を大にして牢番を呼んだ。シルビアはすかさず脱いだ衣をまとい、直後に扉が開いて、数人の牢番たちが中に入ってくる。
「大丈夫ですか、デイン殿」
その時にはもう、リリィとレオナールの姿はなく、おそらく透明化のまじないを使ったのだろうと察しがついた。
「どこにいるの、レオナールっ。戻ってきなさいっ」
取り乱したフォンティーヌはただちに拘束され、牢番に手荒く扱われていた。尋問官ハワード・デインに扮したシルビアが、彼らに仕事が終わったことを告げて外へ出ようとすると、「待ちなさいっ」と怒鳴られた。
「これで終わりだと思わないことね。あたくしに背を向けたところで、逃がさないわ。殺してやる……必ずここを抜け出して、殺してやるからっ」
「デイン殿に向かって、なんだっ、その口のきき方はっ」
頬を殴られても、フォンティーヌはシルビアから目をそらさず、憎しみのこもった目で睨みつけてくる。その執念深さにあきれながらも、「逃げるものですか」と真っ向から応じ、シルビアはゆっくりと部屋を後にした。
……
後日、王は、国王暗殺未遂、及びヘルマン・カートを毒殺した罪で元王妃フォンティーヌへの死刑を言い渡した。ただし、元王妃ということで体面を考え、拷問による公開処刑は行わず、監獄内での薬殺刑に処すると。
父王と側近らの温情もあってか、レオナールは一切の罪を問われず、また殺害されたヘルマン・カートも同様であった。彼らは王妃によって操られ、捨て駒にされた哀れな被害者なのだと誰もが考え、多くの同情が寄せられた。
フォンティーヌは最後まで無実を訴えていたが、激しい抵抗もむなしく、二人の死刑執行人によって毒を飲まされ、絶命した。彼女の死体は他の死刑囚と同様、監獄の敷地内片隅にひっそりと葬られたという。処刑内容は執行人により詳細に記録され、翌日、王へ提出された。




