②‐第二十二話
慎重に鍵を差し込み、重い扉を開けて中に入る。むき出しの床の上に悪臭を放つ木箱、ボロ切れを重ねて敷いただけの寝床以外、何もない部屋。広さは、端から端まで歩いて十歩くらいか。室内を見回していると、暗い部屋の隅に座り込んでいた女囚人がゆっくりと顔を上げ、こちらを見るのがわかった。
「見ない顔ね。新しい執事かしら。ちょうど良かったわ。暖炉に火を入れるよう、下男に命じてちょうだい。ここは寒すぎるのよ」
レオナールの言う通り、長い監禁生活のせいで気が病んでしまったのか、それとも単に状況の理解が遅れているだけなのか。
「ちょっと聞いているの? ひざまずきもしないなんて、なんて無礼な執事なのかしら。あたくしを誰だと思っているの」
まじないで若さを保たれていた容貌は一気に衰え、ぼさぼさの髪の毛は白髪交じりで痛み、囚人服からのぞく手足は枯れ枝のようにやせ細っている。見るからに同情を誘う外見だが、シルビアは騙されなかった。
――この人の中身は何一つ変わってなどいないわ。
素早く服を脱いで正体をさらすと、女囚人の目つきが変わった。
「おまえは……アマーリエ、アマーリエ・ルドヴィカ・シルビニアっ」
長い髪の毛を振り乱し、憤怒の表情で迫ってくる。
「あたくしを陥れた女狐めっ。殺してやるっ」
伸びきった爪が自身の眼球に届く寸前、シルビアは機敏な動きでさっとよけた。それでもフォンティーヌは狂気に満ちた目で追いかけてくる。狭い部屋での追いかけっこが始まった。
「私を憎むなんて、逆恨みもいいところだわ」
「おまえがあたくしから全てを奪ったっ。美しいドレスも、宝石も、若さも、美貌も、愛も――全てっ」
「ガジェのこと言っているのであれば身から出た錆よ。あなたこそ、なぜ私を放っておいてくれなかったの? あなたさえ、私や母に嫉妬しなければ――」
「嫉妬? あたくしが、卑しい生まれのおまえたちに嫉妬しただと?」
さらに息巻き、手を伸ばしてシルビアの衣服を掴んでくる。びりっと生地が破けるイヤな音がし、咄嗟にフォンティーヌを引き剥がそうとするが、彼女は歯をむき出しにし、いっそうしがみついてきた。
「うぬぼれるのもたいがいにおしっ。あたくしのほうが、おまえたちよりも何十倍も美しく、高貴で――」
「今の状況が目に入らないの? あなたはもう王妃でも貴族の令嬢でもない。牢に閉じこめられた、ただの罪人よ」
「おだまりっ」
頬にぴりっとした痛みを感じ、シルビアは顔をしかめた。ぶたれた拍子に頬を引っかかれたようだ。これではまともに話ができないと、はしたないとは思いつつも、シルビアは足をあげてフォンティーヌの身体を蹴り飛ばした。普段、立ち仕事で鍛えた脚力のおかげか、また、フォンティーヌ自身、監禁生活で筋力が衰えているせいか、彼女はあっさりと手を離し、「ぎゃっ」と悲鳴を上げて床に倒れ込む。
「済んでしまったことを今さら蒸し返すつもりはないわ。今日はあなたに話があって来たの。レオナールのことよ」
「王女の位を捨てたおまえが、王太子殿下の名を呼び捨てにするではないっ」
上から見下ろされることがよほど許せないらしく、よろつきながらも、壁に手をついて立ち上がる。表情は依然、憤怒のままだ。
「そうかもしれない。似たようなことをレオナールにも言われたわ。けれど、あの子に対する愛情まで、捨てたつもりはない」
フォンティーヌから距離をとりつつ、きっぱりと告げる。ふと手に何か当たったような気がして、視線を向けるが、窓から細い光が差し込んでいるだけだった。
「わけのわからぬことを……」
「お継母様、あなたに、少しでも我が子を慈しむお気持ちがあるなら、ご自分の罪を認め、事実を話してください。ヘルマン様が陛下のお命を狙い、自害したのは全てあなたの策略だと。でなければ、レオナールの心は一生救われないまま――」
「黙れ黙れ黙れっ」
叫んで、フォンティーヌは壁に拳をぶつける。
「あたくしが何をしたというのっ。あたくしはこの部屋に閉じこめられ、外に出ることも、陛下にお目通りすることもかなわないというのにっ」
「自分の罪をレオナールになすりつけて、彼を苦しめているわ」
フォンティーヌはせせら笑い、挑発的に首を傾げる。
「どこにそんな証拠があるのかしら?」
怒りを鎮めるために、シルビアはふうと息を吐いた。幽閉されて気が病んでしまったなんて、少しでも考えてしまった自分が恨めしい。
「とぼけないで。レオナールから話は聞いているのよ。ヘルマン様のことも、あなたの差し金だということはわかっているわ」
「ヘルマン・カートがどうかしたの?」
あくまでしらを切るつもりらしい。デジャブを覚える光景だが、あの時と違っているのは、ここがきらびやかな宮廷ではなく監獄だということと、お互い、誰も味方をしてくれる者がいないことくらいだろうか。
「知っているくせに。彼は死んだわ」
「死んだ、なぜ?」
「レオナールに渡された薬を誤って飲んでしまったからよ。あなたが指示したのでしょう? 窮地に陥った時に飲むようにと。レオナールはそう言っていたわ」
「まあ、可哀想なレオナール。母親恋しさのあまり、あたくしの夢でも見たのでしょう。夢と現実の区別もつかないなんて、よほど心労が溜まっているに違いないわ。周りの者たちは何をしているのかしら」
責めるような視線を向けられて、このままでは埒が明かないと思ったシルビアは、
「未遂とはいえ、国王暗殺は大罪よ。このままでは、レオナールが全ての責任を負うことになる。あなたは唯一の希望である息子を失うことになるの。それでもいいの?」
失う、という言葉に反応してか、フォンティーヌの顔から初めて笑みが消えた。
「何を言っているの?」
「囚人であるあなたに外の情報を教えることは、本来禁止されているけれど、かまわないわ。あなたに会うのも、これが最後でしょうから教えてあげる。陛下はレオナールの代わりに甥のユリウスを後継者に据え、レオナールを国外追放、もしくは処刑するおつもりよ」
口に出すのも恐ろしい言葉だが、鎌をかけるために、ここはあえてきっぱりと告げると、フォンティーヌの顔から、みるみる血の気が引いていくのがわかった。
「あたくしを動揺させようとしても無駄よ。いくら王とはいえ、何の証拠もなく、レオナールを罰することなどできないわ」
「彼は自白したの。何度も言ったでしょ。レオナールは王の前で自分の罪を認めているのよ。あなたが何と言おうと、処罰は免れない」
「か、仮にそうだとしても、陛下が、そのような残酷なことをなさるはずがない。わ、我が子を、処刑するなど――」
「でなければ王として、側近らや民に示しがつかないと、苦渋の決断を下されたのよ」
シルビアの嘘を信じたのか、彼女は長いこと黙っていた。
「殿下は――レオナールはなんと言っているの?」
気丈に振る舞っていても、声がかすれて震えている。さすがの彼女も、レオナールに関しては冷静ではいられないらしい。
「何も。ヘルマン様の死にショックを受けて、抜け殻のようになっているわ。それでもまだ、あなたのことをかばってる」
フォンティーヌは歯軋りし、うつむいた。
「そう、あたくしをかばって……」
彼女の震える肩を見、シルビアは泣いているのだろうと思った。彼女にもまだ、人としての心が残っているのだと、信じたい気持ちもあった。けれど、
「なんて弱く、いくじのない、情けない子なの」
フォンティーヌは泣いてなどいなかった。開き直ったように笑い出し、かと思えば、吐き捨てるように告げる。
「王太子ではないあの子になど、もう用はないわ」




