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②‐第十六話



 ヘルマンは拘束中、奥歯に仕込んでいた毒を飲み、自害していた。近くには見張りの騎士が立っていたものの、ユリウスたちが入ってくるまで、異変に気づかなかったらしい。リリィがすぐさま彼の肉体を調べたところ、腹部にまじないを無効化するための術式が彫り込まれていたという。また、駆けつけた医師が胃の内容物を調べると、大量の痛み止めを服用していた形跡があり、消化しかけた食べ物の他に、金製のロケットペンダントがまじっていたそうだ。


「――ペンダント?」

「ええ、中には黒い髪の毛が一房、おさめられていましたわ」


「それなら、私も見たことがあるわ。確か、恋人から贈られたものだとおっしゃっていたけれど」

 

 しかし、そんな大切な物がなぜ胃袋に入っていたのか。


「証拠隠滅を図ったのかもしれませんわね」


 小声でつぶやきながら、リリィは辻馬車の中にシルビアを押し込んだ。料金を払って御者に行き先を告げ、扉を強引に閉めようとする。


「もう遅いですから、あとのことは私たちに任せて、いいかげんお帰りください。ただでさえ、ウィザー伯の相手をするのは骨が折れますのよ」


「……わかったわ、今日は色々と迷惑をかけてしまって、ごめんなさい。時間がある時でいいから、またお店に顔を出してね」


 扉が閉まり、馬車が動き出すと、ぐったりと背もたれに寄りかかり、シルビアは息を吐いた。ヘルマンが――少し前まで生きて、動いていた彼が自殺したなんて、今でも信じられない。今回の事件が明るみになれば、ハルバート侯爵家もただではすまないだろう。それほどまでに彼が成し遂げたかった事とは、一体何なのか。


 ――このことを知ったら、レオナールもきっとショックを受けるでしょうね。


 レオナールは幼少時より、ヘルマンから剣術の稽古を受けていた。通常、王太子の剣術指南役は団長であるセドリックの仕事だったが、彼の指導は厳しい上に荒っぽいため、過保護な王妃の命令で、副長であるヘルマンに替わったらしい。真面目な彼なら、一に体力、二に体力だと言って、王太子に王城の周りをひたすら走らせるような真似はさせないと期待したのだろう。


 ――そういえば、セシリア・マーレンのことを聞きそびれていたわ。


 そもそもリリィは、姉弟子が自分を訪ねに来たことを知っているのかと不安になる。セリシアは黒髪であるため、一瞬、彼女がヘルマンの恋人であり、共犯者ではないかという疑いが脳裏をよぎったものの、ありえないとその考えを打ち消した。


 セリシア・マーレンは、貴族の中では変わり者として有名だ。若い頃から、自分はオールドミスになるのだと公言してはばからなかったし、社交界デビューすると同時に断髪して、結婚の対象となる異性とはほとんど口をきかなかったそうだ。当時、そのような振る舞いが許されていたのは、彼女が魔力を有する希有な人間だったからだろう。まじない師に変わり者が多いのは世の常で、彼女のそういった言動も、まじない師特有のものだと考えられていたそうだ。実際、普段の彼女はまじないの研究に余念がなく、オールドミスになった理由も、思う存分、仕事に没頭するためらしい。


 ――そもそも王の暗殺に荷担して、彼女に何の得があるというの?


 考えれば考えるほど、頭がこんがらがってくる。馬車が停まり、店の前に到着した。馬車から降りる際、イツカから借りた扇子がないことに気づいて、シルビアは慌てた。


 ――確かユリウスに奪われて……。

 

 仮面と手袋の購入代にドレスのリフォーム代、馬車の運賃――イツカの意見を取り入れつつ、できるだけ出費を押さえたつもりだが、合計すると、けしてお安くない額になる。その上、扇子の弁償代まで……と気が遠くなってきた。庶民には痛い出費だが、おかげで父の置かれた状況を知ることができたのだから、よしとしなければ。


 店の敷地の手前で降り立ったシルビアは、御者がひどく驚いた顔で開けっ放しの扉を見ていることに気づいた。そういえば、透明化のマントを羽織ったままだったと思い、


「ご苦労様」


 慌てて扉を閉めて姿を現すと、御者は「ひっ」と悲鳴を上げ、馬を走らせて逃げ出してしまう。急に現れたらそりゃ驚くわよねと反省しつつ、重い足取りで店の中へ入った。


 慣れ親しんだハーブの香りを嗅いだ途端、猛烈にお茶が飲みたくなった。ひとまず着替えを後回しにして台所へ入り、お湯を沸かす。そろそろ夜風が冷たくなってきたので、ホットのままでいいだろう。お茶の準備が整ったら、ティーセットをテーブルに運ぶ。朝焼いたパンが少し残っていたので、たっぷりの蜂蜜をかけてお茶請けにした。パンを食べて、口の中に蜂蜜が残っている状態で、お茶を一口――甘い香りのカモミールとスパイシーなセージのブレンドティーが、じんわりと身体を温め、こんがらがった思考をほぐしてくれる。


 ――私がお父様のためにして差し上げられることって、本当に何もないのかしら。


 ゆっくりとお茶をすすりながら、これまでのことを振り返り、「そうだわ」とあることを思いつく。お茶を飲み干し、慌ただしく食器を片づけると、まっすぐ二階の寝室に向かった。転移のまじないが施された姿見の前に立ち、懐中時計を確認する。もうすぐ夜中の二時だ。


 ――人を訪ねるには非常識な時間帯だけど、リリィがいつマントを取り戻しに来るかわからないし……。


 シルビアは再び透明化のマントを身につけると、思い切って鏡の中に足を踏み入れる――転移のまじないは使用回数に制限があるとはいえ、最近ではほとんど使用していないため、回数を心配する必要はない――直後に《鏡の間》に出る。鏡を覆い隠している布の隙間から、フロアの様子をのぞき見るが、辺りはしんと静まり返り、フロアの隅に見回りの兵士がぽつんと立っているだけだ。


 追放された身で、再びここへ来るなんてと皮肉に思いながら、シルビアは足音を立てないよう靴を脱ぎ、ゆっくりと歩き出した。向かう先はレオナールの寝室である。彼の部屋は東の塔の最上階にあるが、一階は兵士たちの詰め所になっているため、外からの侵入は難しい。だからまず二階にあがり、細い連絡通路をわたって、東の塔へ行くことにした。


 歩く途中、見張りの兵士の数が以前より増えていることに気づき、げんなりしてしまう。おそらく国王暗殺を警戒しての対応だろうが、今まさに不審者の侵入を許しているけれど大丈夫かしら、と心配になる。そういえば、以前リリィは、不法侵入者を退けるまじないをかけていても、鏡を通って来た者に対しては効果がないと言っていた。それはシルビアの店に限らず、王城にもあてはまるのかもしれない。


 連絡通路の前に立ちはだかる衛兵の姿を見、シルビアはいっそう強く、マントを身体にまきつけた。抜き足差し足で壁と衛兵の隙間をすり抜け、息を殺す。通路をわたって階段を上がり、ようやくレオナールの寝室にたどり着いたものの、再び衛兵に行く手を阻まれてしまう。以前、ソフィーヌの部屋に忍び込んだ時は衛兵などおらず、すんなり中に入れたというのに。やむをえず、持っていた靴の一つを離れた場所に放り投げた。物音に気づいた衛兵が、怪訝そうにその場を離れる。


 すかさず扉を開けて、中に忍び込んだシルビアだったが、


「誰だ」


 てっきり、ぐっすりと眠り込んでいると思ったのに……。


 かすかな物音に反応して、レオナールが上体を起こしていた。毎日の鍛錬の賜物か、彼は寝台横の蝋燭に火をつけると、射抜くような視線をこちらに向けた。その目が父のそれに酷似していて、思わずどきっとしてしまう。


「……私よ、レオ」 



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