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②‐第十三話



 夜会の前日、店の営業は午前中までにし、午後は二階の寝室にこもって、瞳を輝かせるイツカの目の前で衣装を身につけた。ドレスの出来映えは素晴らしいものだった。膨らんだ部分は身体に密着するよう作り直され、胸元や背中の部分は大胆にカットされて、開きが大きくされていた。


「肌を見せすぎじゃないかしら」


 特に胸のあたりがすーすーして、何も着ていないような、心もとなさを感じる。王女だった頃ですら、ここまで襟ぐりの深いドレスは着たことがない。そんなシルビアを、ベッドに座ったイツカは恨みがましい目で見上げた。


「シルビアさんはご立派なものをお持ちなんですから、隠すなんてもったいないこと、しないでくださいよ」


 言いながら、自分の胸と見比べて、ため息をつく。

 気を取り直して、彼女は言った。


「仮面もつけてみてください」


 黒いレースの手袋に合わせてか、仮面も黒いレース素材で、蝶の形をしている。目元から鼻の半ばまで隠れているものの、レースは透けているし、これだけで大丈夫かしらと不安になった。イツカは仕上げとばかり、シルビアの首に絹とレースのチョーカーを巻き――ドレスの切れ端で作ったというから驚いた――乱れた部分を整えてくれる。


「最後にこれを。仮面舞踏会に小道具は必要でしょう?」


 店主の好意で、一日だけ貸してくれるらしい。黒い扇子を手にし、これで口元など、あらわになっている部分が隠せると、シルビアはほっとした。イツカには感謝してもしきれない。


「ありがとう、まるで別人にでもなった気分だわ」


 さながら月の女神か、妖精の女王のようだと、イツカは大げさに褒めてくれたものの、夜会ではあまり目立ちたくなかったので、複雑な気持ちだった。


 ……


 ――やっぱり、来るべきではなかったかしら。


 公爵邸に着いて早々、シルビアは後悔していた。大広間は人で溢れ、美しく着飾ったご令嬢方が、そこかしこで談笑を楽しんでいる。仮面をつけているので誰が誰だかわからないが、参加者は未婚女性だけではなさそうだ。母親らしき中年女性や若い男性陣の姿もあり、それぞれパートナーと楽しげに踊っている。


 幸い、主催者であるバーナード公と息子のユリウスは招待客に囲まれており、身動きがとれない状態にあった。初めから顔を隠すつもりなどないのか、申し訳程度に小さな仮面をつけたユリウスは、珍しく緊張した面もちで周囲に目を光らせている。


 主催者への挨拶そっちのけで、シルビアはガジェを探していた。かろうじて、貴賓席にいる黄金色の仮面をつけた父王と正装姿のヘルマンらしき男性を見つけられたものの、近くにガジェと思われる騎士の姿はなく、外で見回りでもしているのかと首を傾げる。


 けれど庭に出ようとしたところで、道化の仮面をつけた男性にダンスを申し込まれ、断るのに苦労した。化粧室に向かう途中だからと言って逃げ出し、ようやく解放されたと思ったら再び別の男性にダンスを誘われてしまう。そこで初めてシルビアは、会場にいる招待客の目が、自分にそそがれていることに気づいたのだ。


「あちらにいらっしゃる、黒蝶の仮面をつけたご令嬢はどなた?」

「あのドレス、素敵ね。誰がデザインしたものかしら」

「凛としたたたずまいが、亡きレイシア様を彷彿とさせますわ」


 慌てて扇子で顔を隠し、壁側に避難しようとするものの、時すでに遅く、いつの間にかぐるりと男性陣に囲まれ、逃げ場を失ってしまった。


「美しい人、どうか一曲だけでも」


 招待客のほとんどが女性だと思っていたので、まさかこのような事態に陥るとは思わず、背筋に冷や汗が流れた。やはり来るべきではなかったと後悔しつつも、助けを求めてガジェの姿を捜す。しかし運悪くユリウスと目が合ってしまい、扇子をあおいでごまかそうとしたものの、彼は女性陣の群から身を振りほどき、まっすぐこちらに向かってきた。


 ――まずい。


「失礼、人を待たせておりますので」


 やや強引に男性陣を押しのけ、足早にその場から立ち去ると、目立たないよう壁側を歩き、広間の隅にある植木鉢の後ろに素早く身を隠す。ひとまず難を逃れたとほっとしたのもつかの間、


「……シルビィ?」


 呆然としたその声に、シルビアは耳を疑った。こわごわ顔をあげると、凍り付いたような表情で自分を見下ろしているユリウスの姿があった。


「僕は夢でも見ているのか」


 一人称が「私」から「僕」になっているあたり、ひどく動揺しているらしい。それよりも、仮面と扇子で顔を隠しているというのに、なぜひと目で正体がばれてしまったのかとシルビアもまた動揺していた。そういえば、ユリウスは昔から、記憶力がずば抜けていた。背格好だけでシルビアだと判断したのかもしれない。


「……人違いです」

「その声、間違いなくシルビィものだ」


 歓喜に満ちた声をあげたかと思えば、いきなり腕をつかまれ、引き寄せられる。レオナールの時のようにしらを切るつもりだったが、ユリウスが相手ではうまくいかず、あらがう間もなく扇子を奪われてしまった。


「なぜ君がここに……いや、そんなことはどうでもいい。生きていた、生きていたんだ」


 目に涙を浮かべて喜ぶユリウスの姿に、ずきっと胸が痛んだ。いつも余裕たっぷりで、どこかつかみ所がない、柔らかな笑みを浮かべている聡明な従兄――そんな彼の泣き顔を見たのは初めてで、シルビアは内心、動揺していた。


「お願いだ。仮面をはずして、よく顔を見せてくれ」


 否定しなければと思うのに、言葉が出てこない。黙ってかぶりを振るシルビアに向かって、ユリウスがもどかしげに手を伸ばす。 


 その時、耳をつんざくような悲鳴が二人を引き離した。


「なんだ……?」


 ユリウスの視線を追って、シルビアも目を見張った。


 貴賓席にいたはずの父が、床に倒れている。そばにいたヘルマンが、周囲の使用人や騎士らに何事か指示しているようだが、ここからでは何も聞き取れない。「お父様っ」と反射的に駆け寄ろうとしたシルビアだったが、


「彼は陛下ではない。陛下に変装した兵士だ」

 

 強い力でユリウスに引き留められ、はっとして彼を見上げる。倒れている男性が父ではないとわかってほっとしたものの、家族が無事ならそれでいいのかと、自己嫌悪に陥ってしまう。


「どうやら、獲物が罠にかかったらしい」


 彼はいつになく険しい表情を浮かべて、人だかりのほうに視線を走らせると、再びシルビアに視線を戻して言った。


「すぐに戻るから、ここで待っていて欲しい」


 名残を惜しむようにシルビアの頬に触れて、彼は姿を消してしまった。


 いったい何が起きているのか。少しでも状況を把握しようと、シルビアは植木鉢の陰から飛び出し、小間使いの一人を捕まえる。


「何があったの?」

「へ、陛――いえ、貴賓席にいらっしゃるお客様が、突然、苦しみだされて……」


 自分だけでなく、小間使いもまた、黄金色の仮面をつけた紳士のことを国王だと思いこんでいるようだ。現在彼は意識不明で、応急処置を施されつつ、医師の到着を待っているとのこと。彼女も詳しいことは聞かされていないらしく、それ以上の情報は得られなかった。しかたなく小間使いを解放し、辺りを見回す。それにしてもユリウスはどこへ行ってしまったのか、どうせならあとをつけるべきだったと後悔していると、


「まったく、あなた様ときたら……」


 聞き覚えのあるその声に、どきっとして振り返る。白いローブに白い絹の仮面を身につけたリリィ・ジェイトンが、憤然とした表情で自分を見返していた。


「どうかこれ以上、事態をややこしくしないでくださいまし」


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