②‐第十二話
久しぶりに来店したかと思えば、差し出されたカードを見下ろし、シルビアは眉をひそめた。
「何ですの?」
「見てわかりませんか? 招待状です」
爽やかな笑顔を向けられて、信じられない思いでユリウスを見返す。中身を知らなければ極上の貴公子なのに、とため息をついているうちにカードを握らされていた。それは紛れもなく夜会の招待状で、これが噂の……とシルビアは目を疑ってしまう。
「なぜ私に?」
「来て頂きたいからです」
答えになっていないと思ったものの、店内には他のお客さんもいることだし、話を長引かせたくなくて、「分不相応ですわ」と突き返そうとするが、「仮面舞踏会ですので、どうぞ気兼ねなくいらしてください」とさらりとかわされてしまった。
なぜお見合いパーティーが仮面舞踏会になるのかと、それでは相手の名前や顔、身分すらもわからないのではないかと不思議に思いつつも、
「着ていくドレスもありませんし……」
「こちらで用意しますよ」
もちろん行くつもりなどなく、丁重にお断りしたものの、ユリウスは引き下がらなかった。「ギルバート様もいらっしゃいますよ」と教えられ、だから何? と言い返したいのを必死にこらえる。彼は自分のことを、父王の愛人だと勘違いしているため、好意から誘ってくれている可能性もあるのだ。
――王の愛人を表に引っ張り出すことが好意?
いや、絶対に裏があるに違いない。
「お店を休むわけにはいきませんわ。植物の世話もありますし」
毅然とした態度で、しかし相手に失礼がないよう断ると、ようやくユリウスもわかってくれたらしく、「……わかりました、しつこくお誘いして申し訳ありません」と残念そうに引き下がってくれた。
「あなたにダンスを申し込みたかったのですが」
王の愛人だと思いこんでいる平民の娘を、貴族のご令嬢方がひしめくお見合いパーティーに招待した挙げ句、ダンスを申し込むなんて、正気の沙汰とは思えない。
――きっと、公爵に対するあてつけね。
「だったらなおのこと、お断りしなければ。踊れずに恥をかくだけですから」
「踊れない? 本当に?」
元々ダンスは得意なほうではないので、堂々とうなずくと、ユリウスはおかしそうに笑った。「気か変わったら、いつでも声をかけてください」と言い、軽く会釈して店を出ていく。彼の姿が見えなくなると、シルビアは招待状を見下ろして、途方に暮れた。ユリウスにはああ言ったものの、夜会にはガジェも出席するというし、正直、心が揺れていた。
――会いたい。
ここ最近、すれ違いが多く、まともに顔を見ていない。必ずあとで時間をとってくれると約束してくれたものの、それもいつになるかわからないし。たまには自分から会いに行っても良いはずだ。
――それに仮面舞踏会なら、正体を知られずにすむし。ほんの少しくらいなら……。
行くと決めたからには準備が必要だったが、そのことをユリウスに言うつもりはなかった。彼が何を企んでいるのかわからない以上、来ないと思われていた方が都合が良い。そもそも、今の自分は平民なのだから、淑女として振る舞う必要はないのだ。こっそり行って、こっそり帰ってくればいいと、軽く考えていた。問題は、夜会で身につける衣装や仮面をどこで調達するかだけど。
……
「バーナード公の夜会に出席されるのですか?」
翌日、お茶の時間に現れたリリィに招待状の件を相談すると、彼女は渋い顔をした。そのことを意外に思いながらも、
「仮面舞踏会だったら、正体を隠したまま忍び込めるでしょう?」
「いくらノーマン殿に会うためとはいえ、賛成しかねます」
いつになく厳しい声を出されて、目を丸くする。
「そもそも、シルビア様が来られることを、陛下は望んでおられないでしょう」
「どうしてそこでお父様が出てくるの?」
子ども扱いされた気がして、むくれて頬を膨らませるが、リリィは質問には答えず、ため息をついた。
「ユリウス様がシルビア様に招待状を渡された理由は、なんとなく想像がつきますわ。あの方は、シルビア様の正体をご存じありませんし、ゆえにあなた様のことを疑っておられるのでしょう」
「疑うって、なんのこと? 彼は私のことを王の愛人だと誤解しているわ。その上で、さらに何を疑われなければならないの?」
「こちらの話ですわ」
「答えをはぐらかさないで」
「ご説明したいのは山々ですが、今はできません」
心苦しげに言い、リリィは目を伏せた。
「どうかこれ以上、何もお訊きにならないでくださいませ」
結局、反対理由もろくに教えられないまま、リリィは慌ただしく王城へ戻ってしまった。父やガジェだけでなく、リリィですら、自分に何か隠している。王女としての身分を捨てた自分が、疎外感を覚えること自体、あってはならないことだが、
――仮面舞踏会へ行けば、何かわかるかもしれないわ。
誰も教えてくれないのであれば、自分で探るしかないと、シルビアは開き直っていた。しかしリリィの協力をあおげない以上、どうやって衣装を調達すればいいのか。アイスハーブティーを提供するようになってから、店の売り上げは飛躍的に伸びているものの、夜会用のドレスなど買ってしまったら、せっかくの蓄えが一瞬で吹き飛んでしまう。
とりあえず二階の寝室に入り、何か使えそうな物がないか、クローゼットにしまってある服を取り出して並べてみる。庭仕事用のつなぎ服や麻のワンピースといった動きやすく実用的な服がほとんどだが、一着だけ、光沢のある衣装がまじっていた。母の形見としてとっておいた、絹とレースがふんだんにあしらわれた、淡い紫色のドレスである。夜会用としては地味で型も古いが、今の自分には十分に思えた。靴は王城から持ち出したものが一足あるし、あと必要なものは手袋と仮面だけである。イツカに相談したところ、彼女が働いている服飾店で安く売っているとのことだった。
「仮面はレース素材なので、ひもで長さが調節できるようになっています。私がシルビアさんに似合うものを選んで買ってきましょうか?」
「ありがとう、あなたの見立てなら間違いはないし、ぜひお願いしたいわ。このドレスに合うものを選んできて欲しいんだけど」
早速二階の寝室へ連れて行き、ドレスを見てもらう。イツカは、ためつすがめつドレスを眺めると、ほうとため息をついた。
「生地は最高級品、色合いもシルビアさんの瞳に合うと思います。ただ……」
やたらと膨らんだ袖の部分が気になるらしく、唇を尖らせている。
「今は身体の線に沿ったデザインのドレスが流行なんですよね」
「よく知ってるわね」
イツカは現在、個人経営の服飾店で働いており、手先の器用さを見込まれ、縫製の仕事を任されるようになったという。新しい服を作るだけでなく、傷もの、もしくは古い型のドレスを格安料金で仕立て直し、流行の服に生まれ変わらせるといった仕事も請け負っているらしい。「思い出のある服だから、傷があっても捨てられないという方や、金銭的な理由で新しい服が買えないという方、結構いらっしゃるんですよね」とこっそり教えてくれた。
「このドレス、少し手をくわえるだけで、もっと素敵になると思うんですが」
「でも夜会まで、あと十日もないのよ」
それまでに間に合わせますと約束してくれたので、ドレスの改良も併せてお願いすることにした。残る問題は、パーティー会場までの移動手段である。トーマスに相談すると、馬車での送迎を請負う業者があると教えられたので、さっそく予約を入れ、当日、店まで迎えに来てもらうことにした。帰りは辻馬車を利用すればいいし――きっとうまくいくはずだと、自分を奮い立たせる。




