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②‐第十一話



 ちょうどトーマスが店を手伝いに来てくれたので、二人で高級菓子を摘むことにした。合わせるお茶はタイムとローズマリーのブレンドティー。タイムの苦みが焼き菓子の甘みを引き立たせ、ローズマリーの清涼感が食べ過ぎによる胸焼けを防いでくれる。


「これ、食べ始めると止まらないですね」


 とろけそうな表情を浮かべるトーマスに、シルビアも激しく同意する。あらかじめ、ガジェとイツカの分をよけておいてよかったと思いつつ、気兼ねなく三つ目の菓子に手を伸ばす。


「それにしても、未だに信じられませんよ、あの仕事一筋と思われていた副長が、近々ご婚約されるなんて……」


 王城の噂話に精通しているトーマスでさえ、相手を知らないというから驚きだ。ヘルマンにはこれまで浮いた話が一つもなく、極度の潔癖性だと周囲に思われていたらしい。


「純愛を貫くなんて、意外性があって素敵じゃない」

「真面目な副長らしいといえばらしいですけど」

「気になるわぁ、お相手はどんな女性なのかしら」

「……それとなく探ってみましょうか?」

「ダメよ、そんな詮索するような真似……」

「いいじゃないですか。どうせ後でわかることなんですから」


 後で知るより今知りたい、というトーマスの気持ちはわかるものの、やっぱりダメだとシルビアは首を横に振った。トーマスは不満げだったが、


「ちなみに、セドリック団長が昔、リリィ様にしつこく言い寄って振られた話はご存じですか?」


「詳しく話して」


 ひとしきり噂話に花を咲かせたあと、シルビアはさりげなく訊ねる。


「王太子殿下にお変わりはないかしら」

「そうだった」


 トーマスは突然思い出したような声をあげると、慌てて口の中のものを飲み下し、荷物から小さな紙袋を取り出す。


「《甘い誘惑》に夢中になって、危うく忘れるところでした。これをシルビアさんにお返しするよう、ガジェ様に言われていたのに」


「《甘いひと時》よ」


 訂正しつつ、袋を受け取る。入っていたのはショールで、レオナールの目隠しに使っていたものだ。どうやら王城へ転移した直後、異母弟はリリィのまじないによって気絶させられ、ガジェに寝室へと運ばれたらしい。


 翌朝、目を覚ましたレオナールは、傍目から見ても特に変わった様子はなく、いつも通りその日のスケジュールをこなしていたという。


「ですから、シルビアさんが心配するようなことは何もないと、ガジェ様もおっしゃっていました」


 ただ、王太子付きの侍女が、午後のお茶を、紅茶からハーブティーに変えるよう命じられたことをやけに不思議がっていたと教えられた時は、してやったりという気持ちになれた。


「万が一にも、再びお城を抜けられるようなことがあれば、リリィ様のまじないですぐにわかるそうです」


 でしょうね、とうなずく。


「ユリウスについては何か聞いていない? 彼、あれから店に来ないのだけど」


「近々、お父君であらせられるバーナード公が、ご子息のためにお見合いパーティーを開く予定だと、貴族のご令嬢方が噂されていました」


 鷲のように鋭い目をした父とは対照的に、温厚で優しい人柄の叔父の顔を思い出して、一刻も早く孫の顔が見たいのだろうと、苦笑いを浮かべてしまう。しかしあのユリウスが、素直に応じるとは思えないけれど。


「何か裏がありそうね」


「陛下もご出席されるらしく、ガジェ様は浮かない顔をしていました。当日は副長とともに、護衛の任に当たられるそうです」


「あの人、パーティーと名の付くものは苦手だから……」


「仕事だから仕方がないと割り切ってらっしゃいましたよ。それにしても、本当においしいですね、この《甘い誘惑》」


「《甘いひと時》よ」


 ……


「突然お邪魔してごめんなさい、ジェイトン卿はご在宅かしら?」


 肩に届くか届かないかくらいで切りそろえられた髪は烏の濡れ羽色、繊細な目鼻立ちに、年齢を感じさせないきめ細やかな肌――お客さんはお客さんでも訪問客らしい。どこかで見た顔だと、小柄な中年女性を凝視し、シルビアははっとした。


 ――まじない師のセリシア・マーレンだわ。


 危うく声に出しそうになり、ぐっとこらえる。名門貴族でありながら宮廷画家としても知られているマーレン家当主の妹で、かつて、同じ師のもとで学んでいたリリィは、彼女のことを姉のように慕っていたらしい。一方のセリシアも妹弟子であるリリィを可愛がり、ともに切磋琢磨し合う仲だったとか。結果的に宮廷まじない師となったリリィだが、技量において、二人の実力差はほとんどないのだと、ただ、保有する魔力量がリリィはずば抜けていたため、彼女を宮廷まじない師に選んだのだと祖父は言っていた。


 セリシアほどのまじない師であれば、この店にほどこされたまじないが、リリィ・ジェイトンによるものだと気づかれても、なんら不思議はない。ただ、シルビアの正体に気づいているかどうかは不明で、彼女がこの店をリリィの隠れ家だと思っているのであれば、なおのこと慎重にならなければと、口を開いた。


「……失礼ですけれど、どなた様でしょう」

「あら、あたくしのことをご存じないの?」


 色素の薄い、琥珀色の瞳にのぞきこまれ、その、何もかも見透かすような視線にぎくりとする。しかし、まじない師の顔や素性など、一般人には知られていない情報なので、鎌をかけられている可能性も考慮し、シルビアはしらを切った。


「申し訳ありません」

「ジェイトン卿から何も聞いていない?」

「……その、ジェイトン卿というのは、リリィ・ジェイトン様のことですか?」


「他に誰がいるというの」


 眉間にしわを寄せ、ぐるりと店内を見回す。


「彼女の魔力の気配が外まで漏れ出していてよ。ここは彼女の隠れ家ではないの?」


「ジェイトン様は、先代の頃からうちの店に通ってくださる常連のお客様です。先代とは懇意の間柄だったとうかがっていますが」


「なるほど、親しい友人のために惜しげもなく高度なまじないを披露したというわけ。相変わらず、魔力が有り余ってしょうがないみたいね。うらやましいこと。それとも単にお人好しなだけかしら」


 今一度、店内を見渡し、セリシアはあきれたように鼻を鳴らす。どうやらうまくごまかせたようだと、シルビアはほっと胸をなで下ろした。


「うちは自家製ハーブティーを販売しているお店です。よろしければ、奥でお好みのハーブを試飲されませんか?」


 とんでもない、とセリシアはかぶりを振った。


「あの子がいないのなら、こんな安っぽい店に用はないわ。ごめんあそばせ」


 くるりと背を向け、すたすたと外へ出て行ってしまう。


 どう見ても、元王女に対する態度ではない。それはつまりシルビアの正体には気づいていないということであり、まじない師としての実力はリリィのほうが上ということになる。それにしても、平民を露骨に見下したあの態度には、正直がっかりしてしまった。まじない師であるというエリート思考ゆえか、貴族の特性ゆえかは判断しかねるが。


 ――その点でも、イツカに慕われているリリィとは大違いだわ。


 ともあれ、マーレン家お抱えのまじない師が、自治領を出て、わざわざ妹弟子に会いにくるなんて、珍しいこともあるものだ。一体何の用事だったのか、次に会った時にでもリリィに訊ねてみようと思いつつ、お客さんに呼ばれ、「はーい」とシルビアは笑顔で仕事に戻った。



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