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②‐第十話



「いらっしゃ――あら、珍しい」


 私服姿の近衛騎士団副長ヘルマン・カートの来店に、シルビアは軽く目を見張った。他にも数人のお客さんがいるため、大きな声は出せなかったが、「おひとりですか?」と訊ねると、彼は困ったようにうなずく。


「なかなか時間がとれず、出向くのが遅れて申し訳ありません。ノーマンから既に話は聞いているとは思いますが、落とし物を保管して頂いた礼に、これを」


 言って差し出されたのは、高級菓子店の包みで、シルビアは目を輝かせる。精悍な顔立ちに逞しい体躯、父王は、真面目が服を着て歩いているような男だと彼を称していたが、こういう律儀なところが彼らしいとシルビアは微笑んだ。


 忙しそうだからと遠慮して帰ろうとする彼を引き留め、テーブルに案内した。お勧めのアイスハーブティーとお菓子を出すと、「恐れ多くも殿下にここまでして頂かなくても」と恐縮されてしまい、


「その単語は禁句だと、以前も申し上げたはずですよ、お客様」


 小声で言い、軽くにらみつけると、ヘルマンはしまった、とばかりに苦笑する。


「これは、申し訳ない」


 彼はシルビアの正体を知る数少ない人間の一人であり、その実直な人となりを知っているからこそ、ペンダントの持ち主との関係が気になった。そのことを彼に訊ねて良いものか――さすがに踏み込みすぎではと悩んでいると、他のお客さんに呼ばれた。


「どうぞ、ゆっくりしていってください」


 名残惜しく思いつつも一礼し、いったんテーブルを離れる。


「ありがとうございました、またのご来店をお待ちしております」


 最後のお客さんを見送り、そろそろ休憩にしようと、休憩中の札を表に出した。ヘルマンがいたテーブルを見るが、彼の姿はなく、もう帰ってしまったのかとがっかりする。しかし裏庭で人の気配がし、出てみると、興味深そうに植物鑑賞をしているヘルマンの姿があった。


「こちらにいらしたんですね」


 シルビアに気づくと、いたずらが見つかった子どものような顔をする。


「先ほど、私が頂いたお茶はどれですか」

「ローズマリー……この、薄紫色の小さな花をつけている植物ですわ」

「なるほど。では、隣の植物は?」


 ひとしきり説明を終えると、シルビアは思い切って、以前から気になっていたこと――ペンダントのことをヘルマンに訊ねた。


「大変不躾ですけれど、ペンダントの中にあった髪は一体どなたの……」

「……いやはや、見られてしまいましたか」


 慌てて謝ると「やめてください」と再び恐縮されてしまう。


「責めているわけではないのですから。昔、交際していた女性がいて……その方から頂きました」


 嫌がられるかと思いきや、ヘルマンは照れくさそうに答えてくれる。実は今でも彼女のことが忘れられないのだと打ち明けられて、他人事ながら、シルビアは「まあ」と胸を高鳴らせた。


「それで、独り身を貫かれておられるのですね」

「……そういうことにしておいてください」

「お相手の女性はどういう方ですの」


「このローズマリーの花のように、清楚で可憐な方ですよ。ただ、私の愛があまりにも強すぎたのでしょう。ある時、彼女は何も言わず、私の元から去っていきました。それでもいつかは、戻ってきてくれると信じていましたが……」


 見かけに寄らず、しつこ……情熱的なタイプらしい。

 熱に浮かされたような表情で、ヘルマンは続ける。 


「時が経つにつれ、私は不安を覚えるようになりました。私の、彼女に対する想いは膨らむ一方なのに、彼女は私のことなど見向きもしない。もはや彼女にとって、自分は過去の男にすぎないのだと、絶望した時期もありました。ですが最近になって、彼女もまた、私と同じ気持ちだということがわかったのです」


 嬉しそうに言いながら、彼はシャツの下に隠していた、例のペンダントを取り出してみせる。


「彼女からだと言われ、人づてにこれを渡された時は、自分の目が信じられませんでした。昔、彼女に髪を一房欲しいと言って、断られたことがあるもので」


 何とも思っていない相手に、自分の髪を贈る女性はいないと思うので、ヘルマンの言っていることはあながち間違いではなさそうだとうなずく。


「以来、肌身離さず身につけていたのですが、無くしたことに気づいた時は血の気が引きましたよ。いつ、どこで落としたのか、まったく記憶になかったものですから。拾ってくださった方があなたでよかった」


 いえいえ、とシルビアはかぶりを振る。


「でしたら、長い年月を経て、お二人は再び相思相愛の仲になられたということですね。素敵です。ご婚約はいつなさるのですか」


「彼女に会え次第、すぐにでも。ですが現在、彼女は遠い地にいて、私も仕事でここを離れるわけにはいかず、なかなか難しいですね」


 ヘルマンの年齢を考えると、お相手の女性はおそらく実家に身を寄せている寡婦か、独身の職業婦人に違いない。遠距離恋愛も素敵だわ、とシルビアはうっとりと、両手を組み合わせる。


「時おり、いっそ仕事など放り出して、彼女の元へ飛んで行けたらと、年甲斐もなく考えてしまいます」


 仕事一筋だと思っていただけに、真面目な人間が恋に落ちると、これほど変わるものかと、意外に感じた。そういえばガジェも、以前と比べて顔つきががらりと変わり、自分に対して、優しいというよりかは、少し甘くなったような気がする。これが愛されるということなのね、としみじみ幸福を実感していると、


「彼女は私に、人を愛することの素晴らしさを教えてくれました。ですが今の私には、それに見合うだけの価値がありません」


「そんな、ご謙遜なさらなくても」


 いいえ事実ですと、ヘルマンは卑屈な笑みを浮かべる。


「少し前まで、私は、彼女の愛に報いたいと思いながらも、仕事上の立場や、陛下に対する忠誠心で、身動きがとれない状態にいました」


 ペンダントをいじりながら、ヘルマンはため息を付く。


「そのせいか、これがあるべきところにないと気づいた時、優柔不断な私に嫌気がさして、自ら姿を消してしまったのだと錯覚したほどです。ですが幸い、こうして戻って来てくれました。その時、私は覚悟を決めたのです」


 まるでペンダントが想い人自身であるかのように、彼は語る。それにしても、一体何の話をしているのかと、シルビアは首を傾げた。


「覚悟、ですか?」


 そこで我に返ったように、ヘルマンは顔を伏せた。


「申し訳ありません、つまらない話をしました」

「そんな、ぜひ続きを聞かせて頂きたいわ」

「それはまた、次の機会にでも」


 はにかむように笑い、一礼すると、ヘルマンは足早に店を出て行ってしまった。


 ……


 店が終わると、シルビアはいそいそと台所にこもり、ノーマンからもらった高級菓子の包みを開けた。直後に「きゃあ」と歓声をあげる。


 王室御用達マダム・アンリの《甘いひと時》である。地方の修道院で古くから作られている伝統菓子で、マダム・アンリは子どもの頃、当時修道女だった家庭教師に作り方を学び、そこに独自のアレンジをくわえることで、《甘いひと時》という作品を生み出したと言われている。


 見た感じは黒っぽい、ただの一口サイズの焼き菓子だが、初めて口にした時の感動を、シルビアは未だにはっきりと覚えていた。外側は飴でコーティングされたようにカリッとしているのに、しっとりとしている部分もあって、それでいて中はふっくら柔らかく、お酒の香りがさらに蜂蜜の甘さを引き立たせ――まさしく恋人同士が語らい過ごす甘いひと時のように、気持ちを高ぶらせ、酔わせてくれる魔法のお菓子。


 ――今のヘルマン様の心境そのものね。


 なんてロマンチックなの、と胸の前で手を合わせつつ、シルビアは鼻歌を口ずさみながらお茶の支度を始めた。



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