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②‐第九話



「ここのどこが良いところなのですか」


 店に入ってから目隠しをはずすと、レオナールは露骨にがっかりした顔をした。その反応に、「失礼な」とシルビアは目尻をつり上げる。


「おいしいお茶を飲んで、甘いものを食べれば元気になるわよ。その前に、服を脱いでお風呂に入ってきなさい。そのままじゃ風邪をひくわ」


 浴槽には浄化と保温のまじないが施されているため、減った分のお水を足せば、いつでも入浴できるようになっている。それだけでも十分ありがたいのだが、疲労回復とリラックス効果が期待できるローズマリーを入浴剤として入れることで、癒しの空間としても機能していた。


「今のところ食欲はないですし、甘いものは苦手です」

「だめよ、男の子がそんなことじゃ」


 また子ども扱いして、とぶつぶつ文句を垂れるレオナールを浴室に押し込み、二階に駆け上がる。部屋に入ると、ちょうど姿見から出てきたリリィと鉢合わせした。


「さすがはリリィ、もうレオナールの居場所を突き止めるなんて」

「ということは、やはりここにいるのですね」


 穏和なリリィが珍しく、厳しい顔をしている。


「あの子に何があったの」


「その前に、レオナール様がどのようにしてあなた様の居場所を突き止めたのか、教えてくださいまし」


「ああ、誤解しないで。私があの子をここへ連れてきたの。でも、ちゃんと目隠しさせたから、道順は覚えていないはずよ」


 シルビアはこれまでの経緯をリリィに話した。


「あの子、白昼夢を見ていると思いこんでいるみたい」


「よほどシルビア様の死が強烈だったのでしょう。それが事実なら、忘却のまじないをかけずに済みそうですわね。陛下には、すでに許可を頂いておりますが、あまり気がすすまなかったもので」


「あの子が無断で城を抜け出すなんて、初めてよね」


 リリィはふいに黙り込み、ややして決まり悪そうに口を開いた。


「最近、レオナール様の寝室で、パリス・メイデンのものと思われるまじないを見つけました。でずが文字は既に削りとられていたため、効果は不明、残された魔力量も微々たるもので……」


 ふうとため息をつき、リリィは小声で続ける。


「王城にほどこされたパリス・メイデンのまじないは、ほぼ無効化したつもりでしたが……私もまだまだですわね。まじないの痕跡を調べたところ、ごく最近、使用された形跡がありました。レオナール様のご様子がおかしいのはそのせいではないかと」


「そういえば、ちょっと気になることを言っていたわ」


 シルビアの言葉を聞き、リリィは表情を引き締める。


「陛下にご報告申し上げ、ただちに監獄へ使者を送ったほうがよさそうですわ。もっとも、あの方が容易に口を割るとは思えませんが」


 その前に、レオナールの着替えを持ってきて欲しいと頼むと、既に用意していたらしく、布の包みを渡された。


「雨が降っておりましたので、念のためにとお持ちしました」


「ありがとう。あの子、今お風呂に入ってるの。着替えとお茶を済ませたら、すぐにそっちへ送り返すから。鏡の近くで、誰かを待たせておいてくれると助かるのだけど」


「承知しました、ノーマン殿にお願いしてきますわ」


 小声でのやりとりを終え、シルビアはそそくさと一階に降りる。レオナールはまだ入浴中らしく、ほっとした。


「着替え、ここに置いておくから」


 浴室の扉の前に包みを置いたら、次はお茶の準備だ。食欲がないと言っていたので、胃腸の調子を整え、食欲増進の効果があるレモンバームティーを淹れることにした。お菓子も、生地にレモンバームの葉を刻んで焼き上げたカップケーキ――お昼に試食しようと思い、朝方焼いておいたものだ。


 浴室から出てきたレオナールは、「この服、どうしたのですか」と不思議そうな顔をしていた。「あつらえたようにぴったりだ」


 近所の人から借りてきたものだと咄嗟にごまかすが、夢の中だと思っているせいか、レオナールは深く追求してこなかった。けれどテーブルの上に置かれたハーブティーを見下ろし、顔をしかめる。


「ハーブティーは嫌いなので、紅茶に替えてください」

「なんてこと言うのよ。ハーブティーに謝りなさい」


 そもそも食わず嫌いはよくないと指摘すると、


「飲んだことがあるから苦手なんですよ。ハーブティーは癖があるし、苦みが強くて飲みにくいです」


 確かにお茶の好みは人それぞれ、特にハーブティーは草っぽい香りがする、苦い、味が薄い等の理由から、苦手だという人も多い。けれどハーブ贔屓のシルビアは、ハーブティーの良さがわからないなんて、と憤慨した。


「たった一度や二度飲んだくらいで、まずいなんて言わないで欲しいわ。たまたま飲んだものが、自分の好みに合わなかったって可能性もあるでしょ」


 お茶として飲めるハーブには百種類以上ある上に、単体として楽しむだけでなく、ブレンドティーも含めれば、茶葉の比率や量、種類や産地によって、それこそ無限大の組み合わせが可能となる。であれば、探せばきっと、その人にとっての理想のハーブティーが見つかるはずだとシルビアは信じていた。そして自分の仕事は、その手伝いをすることだと。

 

 実際に、お店に来ているお客さんの中で、これまでは苦手だったが、この店のブレンドハーブティーなら、毎日でも飲みたいと言ってくださる方もいるのだ。


「ほら、早く椅子に座って。良い香りがするでしょ」


 レモンバームティーはレモンに似た柑橘系の香りがするのに酸味はなく、くせもない上にまろやかな味わいがある。さらにいえば、甘いものが苦手なレオナールのために、蜂蜜の代わりにほんの少し紅茶をブレンドしてある。これでまずいなんて言わせないと、シルビアは「試しに飲んでみてよ」とうながした。


 しぶしぶ椅子に座ったレオナールは、こわごわカップに口をつけると、


「……信じられない」


 目を見開き、熱いのもかまわず、ごくごくと飲み干してしまった。「どうよ」と得意げな顔をするシルビアに、「お代わり」と言ってカップをつき出してくる。食欲がないと言っていたわりに、カップケーキを二つも平らげてしまった。


「夢でも、腹は膨れるものですね」


 さすがにこれ以上、ここに留まらせるのはまずいと思い、シルビアは再びショールを手にした。再び目隠しをさせると、「次はどこへ連れて行ってくれるのですか?」とわくわくした声で訊ねられる。


「それは、着いてからのお楽しみ」


 彼の手を引いて、ゆっくりと階段をあがる。廊下を過ぎて部屋に入り、姿見の前で足を止めた。久しぶりに会えたせいか、名残惜しい気もするが、そっと背中を押してやる。


「このまま、まっすぐ歩いて。あたしの手が離れても、歩き続けるのよ」

「……姉上は、一緒に来ないのですか?」

「何度も言ってるでしょ、あたしに弟はいないって」


 それでも動こうとしないレオナールに、シルビアはため息を付くと、そっと手を離した。「さあ、行って」


「姉上、どこにいるのですか」


 いくら呼ばれても、返事をせずに黙っていると、じれたレオナールが目隠しをはずそうとしたので、やむをえず、彼を後ろから突き飛ばす。


「さようなら、レオ」


 鏡に吸い込まれるようにして、レオナールが消えると、シルビアは涙をこらえつつ、一階に降りた。こういう時こそお茶の力が必要だと、自分のためにカモミールティーを用意する。二杯目のお茶を飲む頃には気持ちも落ち着いて、ふうと息をついた。


 ――あとは、ガジェがうまくやってくれるのを祈るだけね。


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