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②‐第七話



 このような状況で知人に遭遇するのは初めてのことではないのだろう。陛下と呼ばれても父は動じることなく、いたずらっぽい笑みを浮かべて甥のユリウスを見下ろしていた。


「私を誰かと勘違いしているようだが、ここは劇場の舞台ではないし、人目を引くような振る舞いは控えて頂きたい。店にも迷惑がかかる」


 すぐさま立ち上がったユリウスは、「失礼しました」とことさら芝居めいた動作で一礼すると、意味深な視線をシルビアに向けた。しかしシルビアが何か言う前に、「では、私はこれで」と足早に店を出ていってしまう。あまりにもあっさりとした退場に、一体何が起きたのかと、シルビアが目を白黒させていると、

 

「おそらく、おまえを私の愛人だと誤解したのだろう」


 苦笑まじりの父の声に、愕然とする。貴族が、気に入った平民の娘を愛人として囲うことは珍しくないが、いざその立場になってみると、何とも言えない複雑な気分だ。

 

 何はともあれ、嵐は去ったのだからと、気を取り直して父に挨拶する。


「来られる時は前もってお知らせくださるよう、いつも言っているのに」


 それは父だけでなく、ガジェに対する言葉でもあったのだが、


「急に思い立ってな、無理を言ってノーマンを付き合わせたのだ」


 ガジェを見ると、神妙な面もちで視線を下に向けている。ただでさえ無口な彼は、父がいる時は滅多に口を挟まないのだが、今日はどこか様子がおかしい。


 あらためて父の顔を見、以前会った時よりも窶れているように思えた。相変わらず公務に忙殺されている様子だが、それだけではない何かを感じる。珍しく、空を見上げながらお茶が飲みたいと言うので、裏庭のテーブルに案内した。


「足下にお気をつけください」


 夕闇迫る道を、ランプを手にして歩く。シルビアの後ろから、父はゆっくりとした足取りでついてきた。「ここは相変わらず良い香りがする」と嬉しそうにつぶやき、椅子にどかっと腰を下ろす。


「たいそうお疲れのようですね」


「ああ、ちょっと問題が起きてな……なに、おまえが心配するようなことではないさ」


 言いながらも、声には隠しきれない疲労がにじんでいる。人は歳を重ねるごとに疲れやすく、また疲れがとれにくいと感じるそうだが、白髪まじりの髪を見て、父ももう若くないのだと実感した。


 父のことは心配だったが、王族としての義務を放棄した自分が、国政に口を挟むなどあってはならないので、今の自分にできることをしようと、シルビアは摘み取ったばかりのハーブを手に、台所に入った。


 夕方になって気温が下がり、昼間の暑さが嘘のようにひんやりしている。とりわけ外は涼しく、アイスティーではなくホットティーを淹れることにした。疲れている時は胃にも負担がかかりやすいため、冷たいものは避けたほうがいい。使うハーブはミントの一種であるレモンバームだ。レモンような香りがするものの、味に酸味はなく、甘みもあって飲みやすい。消化や食欲を増進させたり、滋養強壮や血圧を下げたりする効果もある。また夜に飲めば安眠効果も期待できるため、シルビアは迷うことなくこのハーブを選んだ。


 ただ、甘党の父にそのまま出すわけにもいかないと、喉に良い柑橘系の果汁を少々たらし、蜂蜜をたっぷりくわえる。甘さ控えめのクリームケーキを添えて、裏庭へと運んだ。


 なぜか今回に限って、ガジェは飲食を断り、椅子にも座らなかった。仕事中だからかもしれないが、やけにぴりぴりしている。とりあえず、二人分のお茶をテーブルに置くと、父は待ちきれない様子でカップに手を伸ばした。


「……うまい」


 噛みしめるようにつぶやき、顔をほころばせる。


 父に向かい側の椅子に座るよう勧められ、「仕事中だから」と断ろうとするが「客のわがままに付き合うのも仕事のうちだ」と強引に押し切られてしまった。――お父様ったら、と内心でため息をつきつつ、言われた通り椅子に座る。


 もう閉店の札は表に出しているし、他に客もいないのだからと、シルビアも我慢できずにレモンバームティーに手を伸ばした。一口飲んで、ふうと息を吐く。やはり仕事の後の一杯はたまらない。


「ウィザー伯の件、いかがいたしましょう」


 頃合いを見計らい、ガジェが口を開いた。


「すておけ。あれは面倒事を嫌う性質だ。誰にも言わんさ」

「……ですが」


 ちらりとシルビアを一瞥し、きまり悪そうに口を閉じる。


「どうしたの?」

「いや、それより、なぜウィザー伯がこの店に?」


 うまく誤魔化された気もするが、シルビアは正直に事情を説明した。


「彼、また来るかしら」

「来たら追い返せばいい」

「さすがにそこまでできないわよ。余計に怪しまれるじゃない」


 むっとした様子で黙りこむガジェに、もしかして嫉妬してくれてる? と考えて、嬉しくなった。けれど父の前で喜びをあらわにするのは不謹慎だと思い、必死に表情を引き締める。


「そういえば昔、おまえを嫁にくれとあれにねだられたことがあったな」


 懐かしそうな顔でさらりと爆弾を落とされ、シルビアはぎょっとした。


「子どもの戯言だと相手にしなかったが、今思えば……」

「相手にしなくて正解よ。冗談に決まってるもの。あの人だって、そんなこと覚えていないだろうし」


 言葉を遮るようにして言い、父のカップに慌ててお茶を継ぎ足す。

 反応が恐ろしくてガジェの顔が見られない。


「そうだ、お父様、スミレの砂糖漬けも持ってきましょうか」


 よほど疲れているのか、二杯目のお茶を飲み終える頃には、父はうつらうつらしていた。そんな父を起こさないよう、ガジェはシルビアに近づいて言った。


「二階の部屋を使わせてもらってもいいか?」


 父を休ませるためだと思い、もちろんだとうなずくが、「長居はできない」とガジェは言った。どうやら帰りは、二階にある姿見を使って王城へ戻るつもりらしい。


「出入口付近にはジェイトン卿が待機している。見られる心配はない」


 それから小声で「ギルバート様」と父に向かって呼びかける。


「お休みのところ恐縮ですが、そろそろ城へお戻りを」

「……ああ、心配性だな」


 笑いながらつぶやき、重い腰をあげる。


 二人を二階に案内しながら、シルビアは言い知れぬ不安を覚えていた。「また来る」と言って抱擁をかわし、父が鏡の向こうへ姿を消すと、シルビアはあらためてガジェに向き直った。


「あなたも城へ戻るのでしょう?」


 寂しい気持ちが顔に出ていたのだろう。ガジェは困ったようにシルビアの顔をのぞきこむと、後で必ず時間をとるからと言って、そっと抱き寄せてきた。


 忙しいのはお互い様、でも次いつ会えるかわからないからと、名残惜しさのあまりぎゅうぎゅう抱き返して、「メロエ」と苦しげに呼ばれたところで、解放してあげる。


「お父様もあなたも私に何か隠しているようだけど、無茶だけはしないで」


 わかっている、と彼は力強くうなずくものの、本当にわかっているのかしらと、シルビアの胸は不安でいっぱいだった。



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