②‐第六話
「いらっしゃいませ……ブルー様」
また来たの? という表情を押し隠し、笑顔で迎えるシルビアに、ユリウスも笑顔を浮かべて応える。既視感を覚えるやりとりだが、すさかずメニュー表を渡してテーブルへ案内した。相手が誰であれ、お客はお客。リピーターになってくれるのはありがたい。
「今日はどれをお試しになります?」
「あなたが淹れてくださるお茶であれば、何でも」
「……もっと選択肢を狭めて頂けると助かりますわ」
「ミス・シルビアのお好みは?」
「香りの強いものが好きですね」
「では、その中でお勧めのものを頂けると幸いです」
にこにこと人なつこい笑みを向けられ、シルビアは内心、ため息をついた。一見、自分の気を惹こうとしているようにも見えるが、絶対に裏があるとシルビアは踏んでいた。
――たぶん、まじないの効果に気づいたんだわ。
だから口説くふりをして、探りを入れているのだろう。好奇心からか、はたまた店主がよからぬことを企んでいると思いこみ、それを阻止するつもりなのかは定かではないが――よからぬことって何よ、とつい自分でもつっこみを入れてしまう。
「ミス・シルビア、これは何ですか?」
ある時、壁に刻まれた文字を指さして、彼は言った。近づいて見れば古代文字だったが、よく見つけられたわねと感心してしまうような場所――壁下の隅――にあり、やはり彼はこの店のことを調べているのだと確信した。
「さあ、何でしょう」
厄介な人間に目をつけられてしまったものだと内心で舌打ちしつつ、シルビアはリリィの言動を真似て、とぼけてみせる。
「家具がぶつかってできた傷かもしれませんわ」
「古い文字にも見受けられるが……あなたはいつ頃からこのお店に?」
「今年の春からです」
「店の購入資金はどうのように工面されたのですか?」
「祖父が残してくれた店なので」
このような調子で質問が続くので、うんざりしたり、返答に困る質問をされた時は、他の客に呼ばれたふりをして逃げるようにしている。だからなのか、ユリウスは客の少ない時間帯を狙って来店してくるのだが、いつ、お忍び姿の父やガジェと鉢合わせしないかと、シルビアははらはらしていた。けれど、父が来る時は前もって教えて欲しいとガジェには言ってあるので、最悪の事態は回避できるはず……と思っていたのだが、
――なぜこんなことに。
父の前でひざまづくユリウスの姿に、シルビアは頭を抱えた。
少し時間をさかのぼる。
閉店間近、お客さんも皆帰ってしまい、今日は早めに店仕舞いしようかと考えていたところで、再びユリウスが来店した。すでに上客と化している彼を無碍に追う払うわけにもいかず、しかたなく――もちろん表面上はにこやかに対応する。
いつものようにお勧めのハーブティーとお菓子を出し、彼が試飲しているあいだに後片づけをするつもりだったが、突然話しかけられ、シルビアは手を止めた。顔を向けてユリウスを見ると、いつになく真剣な表情を浮かべている。
「今、なんておっしゃったの?」
「あなたは何者かと訊いているのです、ミス・シルビア」
まさか直球で来るとは思わず、「まあ」と吹き出してしまう。のらりくらりと質問をかわすシルビアに痺れを切らしたのか、珍しくユリウスは苛立たしげな表情を浮かべていた。
「知人に調査してもらったところ、この店に通う常連客や近隣住人は、あなたのことを印象の薄い店主だと認識しているようです。だからいつまで経っても顔を覚えられないのだと。しかし私はそうは思いません。まじないを使って、意図的に正体を隠しているのではありませんか?」
「何のために?」
「あなたは私のことを知っている」
そこまで気づいていたのかと、シルビアは軽く目を見張った。
「他の客に対して、あなたのほうから気さくに話しかけるのに、私のことは避けていたでしょう? それに質問もしてこなかった。もっとも単に私に興味がないだけかと思いましたが」
シルビアの顔を注視しながら、続ける。
「今の反応を見る限り、やはり知っているようだ」
鎌をかけられたのだとわかって、シルビアはふうと息を付いた。ここで否定すれば余計に怪しまれると思い、相手の話に乗ることにする。
「では、ブルー様は私が誰だと思いなのですか?」
「……他国のスパイ、いえ、宮廷まじない師の仮の姿……でしょうか」
再び吹き出しそうになり、慌てて口もとを押さえた。ここでアマーリエ王女の名が出ないのは、このような状況下でも、リリィが施したまじないがきちんと機能しているからだろうか。
この際、リリィのふりをしてこの場をやりすごそうかと考えたもののの、実際にまじないを使ってみせろと言われれば終わりなので、
「あいにく、私はブルー様に満足して頂けるような答えを持っておりません」
思わせぶりな態度で言葉を濁すことにした。
「正体を明かせない事情があるのでしょう?」
「しつこい男性は嫌われますわよ」
「ジェイトン卿の言いそうなことですね」
そろそろ切り上げようと、窓の外をちらりと見、シルビアは言った。
「暗くなる前にお帰りになったほうがよろしいわ」
さっさとお店を閉めて、裏庭でゆっくりお茶を飲みながら、一日の終わりを噛みしめたい――そんな思いが顔に出ていたのだろう、苦笑しつつ、彼は重い腰をあげた。
「つまり、私の相手をするのが面倒臭くなったというわけですね」
これを機に、自分のことを、まじないで変装しているリリィ・ジェイトンだと思いこんでくれればいいのだが。けれどユリウスの顔を見れば、どこか腑に落ちない顔をしている。彼は気前よく大量のドライハーブを注文すると、
「ところで、近衛騎士団所属のガジェ・ノーマンがこの店に入り浸っているようですが、彼もこの件に関わっているのですか」
ふいをつかれ、シルビアはうろたえた。咄嗟にかわす言葉が見つからず、黙りこむシルビアを見て、ユリウスは眉をひそめる。
「どうかされましたか」
「……いえ」
動揺を隠そうとしたがうまくいかず、頬に熱を感じてしまう。そんなシルビアを見て、ユリウスはいっそう、訳が分からないという顔をした。
「あなたはリリィ・ジェイトンではないのか」
まずい、と思った瞬間、店の扉が開き、ガジェが入ってきた。シルビアの様子を見、ただごとではないと感じたのか、眉間に皺を寄せ、つかつかとこちらに向かってくる。
よりにもよって、こんなタイミングで現れなくてもいいのにと、シルビアは焦り、「来なくていいから」の意味をこめて、首を横に振るが、ガジェの足は止まらない。
気配に気づいたユリウスが振り返り、ガジェを見た。
「ちょうどいい、今、君の噂をしていたところだ」
一目でユリウスが何者か気づいたのだろう。一瞬、ガジェの目が大きく見開かれ、問いかけるような視線をシルビアに向ける。その視線を遮るように、ユリウスは彼の前に立った。
「私が誰かわからないか?」
「存じ上げております、ウィザー伯ユリウス・クロイツェル様」
「私も君のことは知っている。元より、あの事件を知らぬ者はこの国にはいないだろう。もっとも君が早くに事を起こしてくれていれば、アマーリエは命を落とさずに済んだかもしれないが」
静かでいて、感情を押し殺したようなその声に、シルビアはぎょっとした。こちらに背を向けているので、どのような表情を浮かべているのかはわからないが、まさか彼が自分の名を口にするとは思わず、いっそう動揺してしまう。
「……申し訳ありません」
ガジェを責めるのは筋違いだと言いたかったが、ここで自分が口を挟めばさらに状況を悪化させてしまうため、シルビアは黙っていた。
ユリウスは長いこと、頭を下げるガジェを見下ろしていたが、
「悪い、顔を上げてくれ。ただの八つ当たりだ」
額に手を当ててうつむき、珍しく自己嫌悪しているようだ。ふと彼は顔をあげ、何かに気づいたように声をあげた。ガジェも思い出したように顔を後ろに向け、青ざめている。
「ノーマン、いつまで待たせる気だ」
――来る時は前もって教えてと言っておいたのに。
けれど来てしまったものはしょうがない。現れた人物を前にし、さすがのユリウスも呆然としていた。しかし立ち直りは早く、流れるような動作でひざまずく。
「まさか、このような場所でお目通りがかなうとは……恐悦至極に存じます、陛下」




