②‐第五話
――これって、もしかして口説かれてるの? 女嫌いのウィザー伯に?
思わず吹き出しそうになったシルビアを見て、ユリウスは眉をひそめた。彼は自分の魅力を十二分に自覚している。シルビアの反応を見て、違和感を覚えたに違いない。
まずいと思い、慌てて目を伏せる。
「からかわないでください、お客様。返答に困りますわ」
「ユリウス・ブルーです、ミス・シルビア」
握手のために差し出された手を、反射的に握り返してしまう。姓は偽名だが、堂々と名乗るあたり、肝が据わっていると感心した。
「気を悪くされたのなら謝ります。お許しください」
柔らかな声で謝罪しつつも、ユリウスはシルビアから視線をはずさない。甘く整った容貌に加え、澄み切った青空のような瞳をしてる彼は、女性の目にはひどく魅力的に映るらしいが、シルビアは騙されるものかと視線を遠くに向けた。彼はどこまでも利己主義で、周りにいる人間を振り回す。それが意図的であれ無意識であれ、たちが悪いことに変わりはない。
――私の正体を知ったら、良いように利用するに決まってるわ。
この優しげな見た目に騙されて、何度泣かされたことかと、昔を思い出してふつふつと怒りがこみあげてくる。この方が可愛いからと、侍女に整えてもらった髪をぐしゃぐしゃにされるはしょっちゅうだったし、美味しい物をあげると言って強引に口を開かせ、塩辛い食べ物を無理やり口内に押し込まれたこともあった。
「特に気になるものがなければ、こちらでお勧めをご用意しますが」
復讐も兼ねて、この際たくさん買わせてやると意気込み、訊ねると、「お願いします」と白い歯をのぞかせてユリウスは微笑んだ。ごく普通の女性であれば顔を真っ赤にしてうろたえているところだが、あいにく、シルビアには耐性がついている。しかしそれを悟られるわけにもいかず、仕事中だからと営業スマイルでごまかした。
夏バテに効果的なレモングラスを摘み取り、ついでにカモミールの花も加えた。その様子を興味深げに観察しながら、ユリウスは後をついてくる。
「ミス・シルビアはなぜこのお店を? やはりハーブティーに特別な思い入れがあるからですか」
「単純にお茶が好きだからですわ。ハーブは比較的育てやすい植物が多いですし、摘み取ってすぐに飲めるので手間もかかりません。健康にも良いので、お客様の中には薬代わりとして飲まれる方もいらっしゃいます」
「私の祖母もそうでした。だからなのか、子どもの頃、ハーブティーは年寄りの飲み物だと思いこんでいましたよ。実際に何度か飲んだことはありますが、あまり美味しく感じられなかったもので」
「でしたらなぜこのお店に?」
「なぜでしょう」
不思議そうに問い返され、シルビアは苦笑した。
定番の、夏バテに効果的なブレンドハーブティーをアイスで出すと、ユリウスは軽く目を見張った。「サービスです」と言い、冷やしたプディングも持って行く。
「香りが良いですね。それに暑いせいか、ハーブ独特の爽快感がまた……」
途中からは無言になり、味わうようにしてお茶を飲んでいる。
飲食を終えると、ふうと息を吐いた。
「摘み立てのハーブがこれほど美味しいとは知りませんでした。菓子との相性もいいのでしょうが。しかしまさか試飲で氷を出されるとは……」
この氷はどこで手に入れたものなのか、無料で提供して採算はとれているのかなど、ユリウスは熱心に訊ねてくるが、「秘密です」とにっこり笑って答える。
「他店に真似をされては困りますもの」
「心外だな、私はスパイではありませんよ」
苦笑しつつ、あらためて店内を見回す。
「それにしても、ここは居心地が良いですね」
ユリウスが来店したのは夕方近くだったため、客も少なく、テーブルは空いていた。ちょうど窓から夕日が見え、裏庭に通じる出入口から涼しい風が吹いてくる。シルビアも、この時間帯に飲むお茶は好きで「ありがとうございます」と無意識のうちに微笑んでしまう。
そんなシルビアを眩しげに見、ユリウスは口を開いた。
「私は知人を訪ねるためにこの町に来たのですが、時間を忘れて長居してしまったようです。この店の前を通りかかった時、妙な懐かしさを覚えて……気づけば扉を開けて中に入っていました」
首を傾げ、思案げに目を伏せる。
「頭のおかしい奴だとお思いでしょうが、もしかしたら昔、私はここに来たことがあるのかもしれない」
その言葉にどきりとした。シルビアは子どもの頃、祖父に連れられて何度かこの店を訪れたことがある。昔のことなので記憶はおぼろげだが、もしかすると、ユリウスもその場にいたかもしれない。何しろ彼は祖父のお気に入りだったし……思い出して、不安になる。
「あなたとも、今日初めて会ったという気がしないのです」
この言葉には、さすがに動揺を隠せなかった。
まじないの効果が切れかかっている? いえ、そんなことはありえない。以前来た時、リリィもガジェも何も言わなかった。第一、彼は自分の正体を見抜いたわけでもなければ、第一王女の名を口にしたわけでもない。
――落ち着いてシルビア、冷静に対処するのよ。こういう時、リリィだったらなんて返すかしら……。
「口説きの常套句ですわね」
「そんなつもりはなかったのですが」
苦笑して、ユリウスは立ち上がる。彼は夏バテ向けのブレンドハーブとイツカの手製の雑貨――カモミールやマロウ、ローズマリーといった、花の刺繍がほどこされたハンカチと栞を数枚購入して帰っていった。包装する際、贈り物ではなく自宅用だと言っていたが、シルビアは信用していなかった。貴族令嬢に対しては女嫌いだと公言しつつ、平民女性が相手だと平気で口説いてくるのだから、打算的なものが透けて見える。
――まあ、私には関係のないことだけど。
どうせもう、この店には来ないだろうと、シルビアはにっこり笑って頭を下げる。「またのご来店をお待ちしております」
***
店の敷地から出た瞬間、違和感を覚え、ユリウスは足を止めた。なぜか頭がぼんやりする。先ほど会ったばかりの店主の顔が思い出せず、「ありえない」と声に出した。
長いことその場に立ち尽くしてると、複数の足音が近づいてきた。
「ようやく見つけましたよ、ユリウス様」
逃がすまいとばかりに、公爵家に仕える騎士たちに取り囲まれ、「今回は早かったな」とユリウスは飄々と応える。
「バーナード公がお待ちです。ただちに館へお戻りください」
「ところでおまえたち、あの店について何か知らないか?」
ユリウスが指さした山小屋風の建物を見、壮年の騎士は「はあ」と困惑する。後ろにいた若い騎士の一人が、「ハーブティーがおいしいと評判の店です。少し前まで行列ができていました」と答えた。
「おまえ、行ったことがあるのか?」
「妹があの店を気に入っていて、何度か連れて行かれたことがあります」
やはり女性客に人気があるのかと、ユリウスはうなずく。
「それで、行ってみてどうだった」
「対応が丁寧で、悪い印象はありませんでした。私はあまりハーブティーは飲まないのですが、意外と飲めるものですね」
「店主の印象は?」
「……それが、よく思い出せなくて……結構美人だった気もするのですが」
「シェスター、おまえ、その歳でもう耄碌したのか」
壮年の騎士にからかわれ、若い騎士はむっとしたようだ。
「世の中には、あまりに印象が薄くて、記憶に残らない人もいるでしょう」
シェスターの意見はもっともだが、例えどれほど印象の薄い相手でも、出会った人間の顔を忘れるなど、ユリウスにはありえないことだった。ユリウスには生まれつき映像記憶能力があり、これまで、一度でも目にしたものは、いつ何時でも克明に思い出すことができた。この能力を知っているのは父を含め、ごく親しい人間だけで、他人に明かすつもりは毛頭なかったのだが。
――彼女は一体何者だ?
顔はおぼろげだが、彼女とのやりとりははっきりと思い出せる。彼女の顔を見て、初めて会った気がしないと言ったのも、嘘ではない。普段のユリウスなら考えられないことだが、あの時はなぜか、見るもの全てが懐かしく感じられたのだ。
――あの時の感覚に似ている。
ユリウスは子どもの頃、祖父を通じて、宮廷まじない師であるリリィ・ジェイトンにまじないをかけられたことがある。その時は、嫌な出来事を忘れるためだと言われたが、まじないをかけられた直後、過去の記憶の一部に濃い霧がかかったような、不思議な感覚に陥った。
「シェスター、一つ頼まれてくれないか」




