②‐第三話
「ところで、お父様とレオナールはうまくいっているかしら」
「……良好、とは言えませんわね」
苦笑まじりに言い、リリィは二杯目のお茶を口にする。
娘のソフィーヌとは違い、レオナールは母親が犯した悪事を何一つ知らされていなかったらしい。事件の詳細を知った彼は、ひと目だけでも母に会わせて欲しいと王に懇願したが、聞き入れてもらえなかったようだ。忠臣たちにいくら諫められても聞く耳をもたず、優しい母がそのような大罪を犯すはずがない、まじないでパリスに操られていたのだと、必死になってフォンティーヌの無実を訴えていたという。いかにまだ十三の子どもとはいえ、冷静さを欠いた、王太子としてあるまじき発言だと父は危惧し、レオナールに自室での謹慎処分を言い渡した。
「謹慎が解かれてからは、フォンティーヌ様のお名前を一切口にされなくなりましたが、返ってそれが不気味だと、陛下はこぼしておられましたわ」
そう、とシルビアは目を伏せた。ソフィーヌの時のように、レオナールとも話をしてみようか。けれど聡いレオナールのことだ、シルビアが生きていると知れば、母を陥れたのは異母姉だと思いこみ、何をしでかすかわからない。自分のせいで、かえって状況を悪化させてしまう恐れもある。
「こればかりは、シルビア様でもどうすることもできませんわ」
どうやら考えていることが顔に出ていたらしい。リリィが気遣わしげに自分を見ていることに気づいて、シルビアは微笑んだ。
「わかっているわ。もとより、あの子には嫌われているもの」
「そうとも限りません。あなた様の葬儀では、たいそう悲しんでおられたとか。これまでも、あなた様と親しく口をきけばフォンティーヌ様のご機嫌を損ねるからと、ご自重なさっていたのですわ」
「だといいのだけれど」
暗くなってしまった雰囲気を払拭するかのように立ち上がり、リリィは明るい声で言った。
「では早速、仕事に取りかからせていただきますわね」
……
リリィは場所を台所に移すと、あらかじめ中身を空にしておいた、戸棚の引き出しの一つに文字を刻み始めた。一刻ほどで作業は終わり、リリィは言った。
「氷結のまじないを施しました。凍らせたい物を中に入れて、一時間ほど待っていただければ氷結しますわ」
多忙なリリィをさらに一時間も付き合わせるわけにもいかず、「ここまでで十分よ。ありがとう」と言って彼女を見送る。リリィが鏡の中に姿を消すと、早速氷を作ろうとシルビアははりきっていたのだが、早々に問題が生じた。
リリィの言葉通り、水を張った容器を中に入れると、一時間後には氷ができていた。空気はほとんど入っておらず、硝子玉のように透き通っている。砕いた氷の欠片を口に含み、ひんやりとした触感を楽しみながら、シルビアはうっとりした。氷を口にするのはひどく久しぶりで、あらためて贅沢な食べ物だと実感してしまう。
――でも、水を入れていた器が割れてしまったわ。
水は凍ると膨張するため、陶器を使ったのは失敗だった。かといえ木製の器だと水が漏れてしまう。金属製の鍋に水をいれて凍らせてみたところうまくいったが、今度は鍋から氷を取り出すのに苦労した。とりあえず金槌で叩き割って氷を取り出そうとしてみたものの、うまくいかない。
翌日、トーマスに相談すると、彼はぬるま湯を張った桶を用意し、鍋の外側をぬるま湯に浸した。「これくらいでいいかな」と言いつつ、鍋を取り出し、濡れた箇所をふきんで拭く。鍋を逆さまにした際、氷がすとんと丸ごと出てきた時は感動した。
「こんなこと、よく知ってるわね」
「お城の厨房にはちょくちょく立ち寄るので」
氷を割る際は、金槌だけでなく、ノミも使うといいと教えられ、実行してみる。それでも適度な大きさに砕くことは難しく、何度も失敗してしまう。大きすぎるとグラスに入らないし、かといえ小さすぎると、食料庫で保存する前に溶けてしまう。なんとか、納得のいく大きさの氷ができあがると、すぐに食料庫で保存した。案の定、氷は溶けることなく、その状態を保ち続けた。
翌日、濃いめに淹れたミントティーに砕いた氷を入れ、トーマスに飲んでもらった。氷の冷たさとハーブの清涼感があいまって、夏用の飲み物に最適だとトーマスは絶賛してくれた。
「これならお客さんが殺到しますよっ」
その日の夕方、店を閉めた後、夢中になって氷を砕いていると、
「何をやっているんだ」
ガジェが驚いたように台所をのぞいていた。彼には店の鍵を渡してあるので、営業時間外でも自由にお店を出入りしている。
「見てわからない?」
明日からアイスハーブティーを試飲用に出すため、大量の氷が必要だと説明すると、ガジェの眉間にしわが寄る。
「代われ、俺がやる」
危なっかしくて見ていられないとばかり、強引に工具を奪われてしまう。思わずむっとして、しばらく様子を見ていたのだが、手際よく氷を砕いていく様に、思わず見とれてしまった。
「器用なのね」
ひとまず氷はガジェに任せて、シルビアは夏限定のお菓子作りを始めた。せっかく氷を大量に作れるようになったのだからと、カスタードプディングに挑戦する。砂糖とお水でカラメルソースを作り、温めたミルクと砂糖、卵を混ぜ合わせたものを容器の中に流し込んでいく。蒸しあがったものを少し冷まし、器ごと氷でじっくり冷やしてから、お皿に取り出した。そこへカラメルソースをかければ、完成だ。
ガジェを呼んで二人で試食する。熱々のプディングより、冷やして食べたほうが美味しく感じられた。
「でも、冷やすと味が薄く感じるわね。もう少し砂糖を増やそうかしら」
「……甘さは控えめでいいと思うが」
「だったらカラメルソースで調節するとか?」
ガジェは冷たいプディングがいたく気に入ったらしく、何度もお代わりしていた。そういえば何か用事があったのかと訊ねると、「特には……」と視線をそらされてしまう。一見、素っ気なく見えるものの、彼が視線をはずす時は照れている証拠なので、シルビアはにこにこし、自分から手を伸ばして、彼の手に触れた。
愛を言葉にするのは苦手で、それはガジェも同じなのだと、シルビアにはわかっていた。これまで、誰かを心から愛したことはなく、愛された経験もなかったから。だから彼を愛しいと感じた時は、黙って態度で表すことにしていた。後でこっそりトーマスに教えられたことだが、ガジェは普段、人との接触を極力避けているらしい。牢番にあれだけ手ひどく暴力をふるわれれば、それも当然だろう。
だからこそ、ガジェがためらいなく自分に触れてくれることが嬉しく、自分に心を許しているのだと実感できた。今も、シルビアが無意識のうちにからめた手を、力強く握り返してくれる。
「今日はもう遅いし、うちに泊まっていく?」
しかしガジェは断り、立ち上がると、ぎこちない仕草でシルビアの口もとに触れるだけのキスを落とした。これが今の彼にとっての、精一杯の愛情表現だと知っているシルビアは、頬に熱を感じて、うつむいてしまう。
――私も彼のことは言えないわ。自分でもあきれるほどお子様なんだもの。
お互いに照れてばかりで、ちっとも前に進めていないのではと、内心で苦笑した。それでも、無理に急ごうとは思わない。これが自分たちのペースなのだと割り切っていた。
王女だった頃、パーティーと名の付くものに出席すれば、どこへ行っても貴族の男性陣に取り囲まれていたが、それを楽しいと感じたことは一度もなかった。むしろ彼らの視線に恐怖を感じ、その場から立ち去る口実を必死に考えていた気がする。見知らぬ男性から、手の甲にキスされることも嫌で、手袋が外せなかった。
――でも、相手がガジェだと平気なのよね。
これが恋なのだと、今更ながら実感する。
「次は手伝いなんてしなくていいから、もっとゆっくりしていってね」




