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②‐第二話



 階段が軋む音で、シルビアは誰が来たのか悟った。

 振り返ると、二階からリリィが下りてくるところだった。


「いらっしゃい、リリィ」

「毎度、このようなところから現れて申し訳ありません」


 二階の寝室にある姿見には転移のまじないがほどこされているため、彼女は王城から直接、その鏡を通って店にやってくる。宮廷まじない師として働く傍ら、《子どもの館》のマザー代理を勤める彼女は相変わらず忙しそうで、その合間を縫って会いに来てくれるだけで嬉しいと、シルビアは微笑んだ。父にも鏡のことは教えているのだが、城下町の視察が主な目的でこの店に立ち寄るのはついでだからと、今のところ鏡を使う気配はなさそうだ。もっともリリィによれば、父が行くところには必ず近衛騎士団の誰かが付き従うため、彼らに鏡の存在を知られないようにしているのだろうとのことだった。


「あらかじめ、この店には不法侵入者をしりぞけるまじないをかけていますが、鏡を通って来た者に対しては効果がないのです」


 父は騎士たちを信頼しているものの、一方で、どこで情報が漏れるかわからないと、警戒もしていた。フォンティーヌが引き起こした事件を思えば、それも当然だろう。


「リリィが来てくれてちょうど良かったわ。お客様がいなくて、暇してたところなの」

「あら、珍しいですわね」

「それが、そうでもないのよ」


 リリィのために夏バテに効果的なレモングラスティーを淹れつつ、お客さんを呼び込むためには氷が必要だと、それとなく切り出すと、


「でしたら私が作って差し上げますわ」


 リリィの返事はあっさりしたものだった。


「料金は後払いでもいいかしら?」

「水臭いことをおっしゃらないでくださいまし。お金など受け取れませんわ。私とシルビア様の仲ではありませんか」

「でも……」


 無償というのも、なんだか心苦しい。


「シルビア様のおかげで、宮廷まじない師としての職を取り戻すことができたのですから、このくらい、大したことではありません。もっとも、湖の水を全て凍らせろというのであれば、話は別ですけれど」


「……私だって、あなたには助けられてばかりだわ」


 そもそもリリィの厚意がなければ、一介の町娘が宮廷まじない師に仕事を依頼すること自体、不可能なのだ。パリスが処刑され、王の名の下にまじない行為を許されたまじない師は、リリィを含めてわずか四人になってしまった。身内にまじない師がいるか、よほどの幸運に恵まれていなければ、まじない師に会える機会など滅多にない。運良く会えたとしても、詐欺師である可能性が高いので、素直に喜べないのだと、近所の奥様方が話していたのを思い出す。


「ところで、ノーマン殿とはその後いかがです?」


 お茶をすすりながら話をそらされ、シルビアは頬を膨らませた。


「私のことをメロエと呼んでくれるようになったわ」


 まあ、とリリィは懐かしそうに目を細めた。


「メロー・エート……私も昔、そう呼ばれたことがありますわ」

「そういえば、リリィにも獣人の恋人がいたのよね」


 リリィは不思議そうにシルビアを見返すと、「ああ、ノーマン殿から聞いたのですね」と寂しそうに笑った。


「ごめんなさい、でも、詳しいことは何も話せないと言われたわ」

「かまいません、シルビア様に隠すようなことでもありませんもの」

 

 そう言って、リリィは少しだけ昔の話をしてくれた。


 この国では、生まれながらに魔力を有する者しかまじない師になれず、また、まじない師はまじない師の家系にしか誕生しないと言われている。もっとも有名なのが、これまで数多くのまじない師を輩出した、フォンティーヌの生家でもあるメイデン侯爵家だが、対するジェイトン伯爵家は、名家とは名ばかりの貧乏貴族であった。まじない師の家系でありながら、魔力を有する子どもが生まれないために役職にも就けず、領地の経営もうまくいかなかったらしい。国王の右腕であり、宮廷まじない師であった初代当主が築き上げた財産は、代を経るごとに減っていき、リリィが生まれた頃は、領地を切り売りしてなんとか食いつないでいる状況だったとか。


「私が魔力を持っていると知った時の両親の喜びようは、それはもう、すさまじいものでしたわ」


 両親はジェイトン家を復興させようと、リリィの教育にひときわ力を入れていたらしい。名家ゆえに、かろうじて残っていた人脈とツテを頼り、リリィを優秀なまじない師に弟子入りさせた。リリィは師匠のもとで修練を積みながら、夜は寝る間も惜しんで古書を読みあさり、瞬く間に才能を開花させていったという。やがて十八になり、師匠に仕事を任されるようになると、厄介な仕事も難なくこなし、リリィの評判は瞬く間に国中に広がっていった。宮廷でも、天才まじない師現る、とばかりもてはやされ、数多くの仕事の依頼が舞い込んできたという。おかげでジェイトン家の経済状況は持ち直され、今では両親も楽隠居して、悠々自適な暮らしを満喫しているそうだ。


「師に、これ以上お前に教えることはないと言われた時、この国を出ようと決意しましたわ。当時の私は愚かしいほど知識に飢えていたのです」


 まだまだ学び足りないと感じたリリィは、周辺諸国の国情を持ち帰るという条件のもと、王の許しを得て国を飛び出し、見聞を広める旅に出たという。そしてその途中で、彼に出会った。


「彼は、奴隷市場で売られていた奴隷の一人でした。剣の腕が立つと聞いて、私は護衛として彼を買い取りました。けれど本当は……」


 以前から、魔力を退ける獣人の特異体質に興味があり、最初は研究目的で彼をそばに置いていた。しかし旅を通じて二人の心は通い合い、いつしか愛し合うようになっていたという。


「けれど、盗賊の集団に襲われた際、彼は私をかばって命を落としました

。彼が獣人でさえなければ、私のまじないで救うこともできたのに――なんという皮肉でしょう」


 その後、リリィは恋人の形見を手に、彼の故郷を訪れた。獣人の集落を捜し出すことは容易なことではなかったが、彼の死を親族に伝えるため、そして自身の心の整理をつけるために、どうしても必要なことだったとリリィは語った。けれど警戒心の強い獣人たちに受け入れられず、即座に追い払われてしまったという。


「これまで、多くの子どもたちを連れさらわれているのですもの。無理もありません」


 心身ともに疲れ果てたリリィは、これ以上の旅は不可能だと判断し、帰国した。諸国を巡り、まじない師として研鑽を積む傍ら、王国に有益な情報をもたらした彼女には、宮廷まじない師としての地位が約束されていた。

 

「ジョージ様には、過去を振り返って悲しみに浸る暇もないほど、仕事を押しつけられましたわ。おかげで、今の私があるのですけど」


 冷めたお茶を飲み干すと、リリィはいたずらっぽい笑みを浮かべる。


「ですからシルビア様を見ていると、時々、昔の自分を思い出して、もどかしい気持ちになりますの。さっさと子作りでも何でもなさいまし」


 思わずお茶を吹き出しかけたシルビアは「気が早すぎるわ」と、どきどきする胸を押さえた。結婚どころか、婚約すらしていないのに。


「だいたい、リリィのせいで、お父様は未だに私がガジェの子を妊娠していると思いこんでいるのよ」


「大丈夫ですわ。獣人の血を引く子どもは、ふつうの子どもと違って、生まれてくるまでにたいそう時間がかかると補足しておきましから」

 

 何が大丈夫よ、とシルビアは唇を尖らせる。


「ですからお詫びに、今回の仕事は無償で引き受けると申し上げているのですわ」


「……リリィにはホントかなわないわね」


 ようやくシルビアは折れた。今度、《子どもの館》へ行く時は、持てるだけお茶とお菓子を持って行こうと決意し、新しいお茶を淹れるために席を離れた。



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