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②‐第一話



 店内でお客さんの忘れ物を見つけると、カウンター端にある忘れ物用の籠に入れておく。忘れ物に気づいて、すぐに取りに来るお客さんもいれば、シルビアに声をかけられるまで気づかない人も珍しくない。誰の忘れ物か特定できない場合は、とりあえず籠に入れて保管しているのだが、


 ――今のところハンカチが多いわね。あと、ショールとか。


 籠をのぞき込んで、どうしてこうも忘れ物が多いのかと首を傾げてしまう。すぐに取りに来ないということは、無くしたことにも気づいていないのか。それとももう、どうでもいいと思っているのか。


 その日も、床掃除をしている途中で忘れ物を見つけた。正確には、落とし物というべきだろうか。女性が好んで身につけそうな、凝った作りの銀製のロケットペンダント――どこかで見かけたような気もするが、思い出せない。中には黒い髪の毛が収められていて、遺髪かしら、とシルビアは慌てて蓋を閉じた。高価そうなものだし、おそらくすぐに誰かが取りに来るだろうと、シルビアはそれをカウンターの目立つ場所に置いた。けれどいつまで経っても所有者は現れず、シルビアも気が気ではなかった。


 ――せめて、誰の落とし物かわかればいいのだけど。


 夫の遺髪を肌身離さず持ち歩いている未亡人に違いないと、シルビアは以前から当たりをつけていたのだが、今のところそれらしき女性客に見覚えはなかった。高価な装飾品を身につけるようなご婦人が、一度でも来店していれば記憶に残っているはずである。とりあえず、それらしき女性を見かけたら、試しに声をかけてみようと決意するものの、なかなかその機会はやってこなかった。


 まもなく、落とし主の代わりにガジェが来店した。ちょうどお昼休憩に入ろうとしていたところなので、休憩中の札を表に出す。ぎこちない抱擁のあと、彼は何か言いたそうな顔でシルビアを見下ろした。「何?」と訊ねると、ガジェはひどく真面目な顔をして口を開いた。


「これからはあなたのことをメロエと呼ぶことにする」

「あら、どういう意味?」


 正しくはメロー・エートと言い、ガジェのいた国では「唯一の女性」を意味する言葉で、今では簡略化されてメロエになっているという。


 最近やけに難しい顔をして考えこんでいると思ったら、恋人間でかわす特別な呼び名を考えてくれていたらしい。シルビアのほうは特に決めておらず、二人きりの時だけ「愛しい人」と呼びかけるくらいだが、


「だったら私は、あなたのことをラビィちゃんって呼ぶわね」


 照れ隠しに冗談を言うと、ガジェの表情がこわばった。


「……うさぎの目がみな赤いとは限らないが」

「あら、いけない?」


 肩を落として、落胆するふりをする。調子に乗るなと、てっきり怒られると思ってたのに、短い沈黙の後、「できれば二人きりの時だけにしてくれ」と小声で言われた時は、思わず耳を疑ってしまったほどだ。


「いいの?」


 眉間に皺を寄せ、苦渋の決断を迫られたような顔でうなずいている。


 大の男を――それも近衛騎士団の騎士を捕まえて、さすがに「うさぎちゃん」はないだろうと思ったものの、珍しく羞恥心をこらえているガジェを見て、それもありかなと思い直した。


「そういえば、一つ訊きたいことがあるのだが」


 言いながら、ガジェは何かに気づいたようにカウンターに向かう。


「ここにあったのか」


 彼が手にしている物を見て、シルビアは驚きの声をあげた。


「そのペンダント、あなたの落とし物だったの」

「いや、副長の物だ。この店に立ち寄ることがあったら、探すよう頼まれた」

「ヘルマン様の?」


 国王である父がお忍びで城下町に下りていることは、今や近衛騎士団の知るところとなっている。国王の行動範囲を把握することも、彼らの仕事だからだ。ただし、シルビアのことを知っているのはごく少数の人間だけで、そこには団長や副団長も含まれており、ガジェに代わって、お忍びの護衛の任に就くこともあった。これまでは王妃専属の護衛騎士だったガジェだが、騎士団では新人扱いされており、たびたび雑用を押しつけられているという。けれどガジェはそのことに不満を言うわけでもなく、人間扱いされるだけマシだと、嫌な顔一つせず仕事をこなしているようだった。


「ヘルマン様は確か、まだ独身でいらっしゃったわよね?」


 歳は四十代後半で、建国から続く由緒あるハルバート侯爵家の次男、精悍な顔立ちをしているものの、生真面目で融通がきかないと、もっぱらの評判だ。色恋沙汰にうつつを抜かすような人には見えなかったけれど。


「詳しい事情は訊いていないが、大切な物らしい」


 もしや……と、シルビアは脳裏で想像の翼を羽ばたかせる。若い頃に恋人を亡くされて、その方を忘れられないから、未だに独り身を貫かれているとか? 仕事一筋の堅物軍人だと思いこんでいたけれど、ヘルマン様を見る目が変わりそうだわ。


 ……


 むっと熱がこもる台所で、シルビアはお菓子の試作に励んでいた。


 味見がてら、熱々のチョコレートパイを一口食べて、ミントティーをすする。飲んだ瞬間、口から鼻へすーと抜けるような清涼感が、濃厚なチョコレートと混じり合って、たまらない。あまり上品とはいえないかもしれないけれど、パイをミントティーに少し浸して食べてもおいしい。サクサクとした触感がしっとりし、生地に練り込まれたチョコレートがまろやかな味に変化する。


 ――でも、いくら清涼感があるからといって、暑い季節に熱々のお茶とお菓子を出すのはいかがなものかしら。


 朝はまだ涼しいが、日中は暑く、気づけば汗ばむ季節になっていた。シルビアは夏用のワンピースに衣替えし、長い髪を高い位置で結い上げるなど、少しでも涼しい装いを心がけていたが、それでも、店内を動き回っていると自然と汗が吹き出してしまう。店内も、窓という窓を開けて、できる限り風通しを良くしているのだが、さすがのお客さんも、汗を流しながら熱いお茶を飲む気にはならないだろう。


「大丈夫ですよ、シルビアさん。美味しいお茶は、冷めても美味しいって言うじゃありませんか」


「なあに、トーマス。せっかく淹れたお茶を、冷ましてお客様に出せと言うの?」


「実際、冷めるまでお茶に手をつけられないお客さんもいるわけだし」


 うっと言葉に詰まってしまう。


 気温が上がるにつれ、めっきり客足が遠のいてしまった。常連のお客さんは時折顔を見せに来てくれるものの、暑いからと、店内での試飲を断られた時はさすがにショックを隠せなかった。それで急遽、トーマスと二人で緊急会議を開いたわけだが。さすがのトーマスも、淹れたてのミントティーには口をつけず――冷めるのを待っているのだ――チョコレートパイばかり口にしている。


「いっそお湯を沸かすのはやめて、井戸の冷えた水で直接ハーブティーを作るとか……」


「煮沸していないお茶をお客様にお出しすることはできないわ。お腹を下したらどうするの。それに水出しだとハーブのエキスが抽出されにくい上に、時間がかかるのよ。その間にぬるくなってしまうわ」


 実際に試してみたことがあるため、シルビアは考えながら言った。とはいえ、水出し向きのハーブもあることにはあったのだ。マローなどは水出しのほうが鮮やかな青紫色を長く保っていたし、ハーブにもよるのかもしれない。でも、シルビアとしては、一度お湯で抽出したものを氷で冷やして飲むのがベストだと思えた。


「それ、いいですね。よく冷えたハーブティーを出したら、お客さんが殺到すると思うな。氷なんて、一般家庭じゃ滅多に手に入りませんから」


「氷なんて出せるのは、王侯貴族や高級料理店くらいなものだしね」

 

 店内にある地下の食料庫には、既に食べ物が悪くならないまじないがかけられていたため、夏でも生鮮食品が悪くならないのはありがたかった。あそこなら氷を保管することも可能かもしれない。


「冬期に作った氷を大量に保存している場所があるんですよね?」


「ええ、氷が溶けないよう、まじないがかけられているはずよ。王城の地下にもたくさんあったわ。もっともリリィの手にかかれば、氷を生み出すことも可能かもしれないけれど」


「だったらリリィさんにお願いしてみましょうよ」

「トーマスったら」


 シルビアは熱いのもかまわずお茶をすすり、ふうと息をついた。


「まじない師に仕事を依頼するのに、一体いくらお金がかかると思ってるの? 私には払えないわよ」


「そこはシルビアさんの交渉次第ですよ。後払いにするとか」

「儲けが儲けにならないじゃない」


「せっかくまじない師の知り合いがいるのに、何もお願いしないなんて、それこそもったいないですよ。それに、相手がシルビアさんなら、リリィさんだって――」


 途中でトーマスが何を言いたいのか察し、シルビアは遮るように言う。


「トーマス、私はもう王女ではないのよ」


「でも、今も人脈はあるじゃないですか。長く商売を続けていきたいのなら、ある程度の厚かましさは必要だって、老舗料理屋のおかみさんもおっしゃってましたよ。男は度胸、女は愛嬌の時代は終わった、その業界で成功したければコネとバックが必要だって」


 トーマスの言葉に、うっと、再び言葉に詰まってしまう。


「イツカだって、あんなに可愛いのに、努力家でタフだし」


 イツカはトーマスの片思いの相手である。以前ガジェを救出するために王城へ向かった際、トーマスに店の留守番をお願いした。その際、イツカもたびたび店に顔を出していたらしく、二人のあいだにどのようなやりとりがあったのかは知らないが、トーマスは以前にもましてイツカに好意を寄せるようになっていた。イツカの気持ちは不明だが、シルビアがにやにやしていると、トーマスは慌てたように言い直した。


「ご自分のプライドとこのお店、どちらが大切なんですか?」


 王城から持ち出した宝石類は全て父に返してしまったから、今のシルビアにはこのお店とハーブしか残されていないのだ。稼げなくなってしまったら、トーマスに給金が支払えない。小麦粉やミルクも買えなくなってしまうし、いくら身体に良くても、ハーブティーだけで腹は膨れない。毎度のことながら、トーマスの言うことももっともだと思い、シルビアはうなずいた。


「頼むだけ頼んでみるわ。あまり期待はしないでね」


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