最終話
「この葉っぱ、なんだか雑草みたいね」
裏庭で試飲用のハーブを選んでいるお客様の言葉に、シルビアは苦笑してしまう。ミント以外のハーブティーを試すのは今回が初めてだと言っていたから、無理もない。
「レモングラスといって、れっきとしたハーブですよ。殺菌作用があるので、料理にも多用されています。先ほど、暑さで食欲が出ないとおっしゃっていたので、ぜひ試されてみませんか? レモングラスには、胃腸の調子を整えてくれる効果があるので」
「そうなの?」
フレッシュハーブは、葉の色が濃く、できるだけ柔らかいものを選んで収穫するのがポイントだ。レモングラスだと、わずか一枚の葉で、一杯分のお茶を淹れられる。
「食べ過ぎて胃がもたれやすい方や、座り仕事でお腹が張ってしまう方にもおすすめしています」
「……飲んでよければ試してみようかしら」
ありがとうございます、とシルビアは頭を下げ、お客様に妊娠の有無を確認してから、早速お茶の支度をはじめる。
ガジェがトーマスを連れて王城へ戻り、五日が経過していた。シルビアは店の営業を再開させ、接客はもちろんのこと、植物の世話からドライハーブ作り、焼き菓子作りの練習やブレンドハーブティーの研究と、忙しい日々を送っている。長く店を閉めていたせいか、常連のお客さんにはずいぶんと心配されてしまったものの、病気の親を看病するために実家に戻っていたと説明すると、すぐに納得してもらえた。
日常が戻ってくると、シルビアは前にも増して、精力的に働いた。町の図書館にも通うようになり、ハーブに関する書物や経営のノウハウを記した書物を読んで、勉強にも励んだ。
「すっきりしてて飲みやすいんだけど、なんか物足りないのよね」
「でしたらブレンドティーもお試しになります?」
その場で二通りの組み合わせを考え――レモングラスとローズ、レモングラスとカモミールを2:1の割合でブレンドし、適量のお湯を注ぐ。ローズもカモミールも香りが強く、レモングラスとの相性も悪くない。口をつけた途端「これよこれっ」と好感触な反応が返ってきて、ほっとした。
「これなら毎日続けられると思うわ」
「ありがとうございました、またのご来店をお待ちしております」
ちょうどお昼の時間になったので、昼食用に作っておいたサンドイッチを食べた。裏庭で、食後のお茶――レモングラスティーを飲みつつ、図書館で借りた本を読む。休み時間が終わったら、休憩中の札をはずし、軽く店内を掃除した。イツカの新商品、ラベンダーやマロウの花の刺繍があしらわれた布製の小袋や栞も人気で、近頃、それを目当てに若い女性客の来店が増えた気がする。
「すみません、ここ、開けてもらってもいいですか?」
日用品の買い出しに出てくれていたトーマスが戻ってきたらしい。大量の袋を抱えて、入口の前に立っている。両手がふさがっている彼の代わりに、シルビアは慌てて扉を開けた。
「いつもありがとう、トーマス。重かったでしょう」
「いえいえ、鍛えてますから」
最近、彼はガジェから本格的に剣の稽古をつけてもらっているらしく、そのことを嬉しそうにシルビアに報告してきた。おかげで生傷が絶えないと嘆いてるが、目は生き生きと輝いている。
「ガジェ様が居ない時は、僕がシルビアさんをお守りしますから」
そう言って、彼はガジェから贈られた短剣を見せてくれた。
王城からガジェを連れ帰った翌日、トーマスにはすべてを打ち明けた。リリィからだいたいの事情は聞かされていたらしく、シルビアの正体を知っても、彼は驚かなかった。それどころか「ガジェ様をよろしくお願いします」と涙ながらに頭を下げられ、この子は本当に主人想いな子だと、いっそう感心してしまったほどだ。ただイツカが近くにいる時は、仕事そっちのけで彼女の姿を目で追っているので、その辺り、男の子だなぁと笑ってしまう。一方のイツカは、トーマスの気持ちに気づくどころか、ガジェのことを警戒しているらしく、店に彼が居る時は滅多に近づいてこなかった。命令とはいえ、彼がマザーの命を狙ったことが未だ許せないのだろう。
トーマスを労うためにお茶とお菓子を用意しつつ、来店したお客様の相手をする。幸い、客足は途切れず、瞬く間に時間が過ぎていく。最後の一人が帰った頃にはすっかり日も落ち、シルビアはうーんと背伸びをした。そろそろ店を閉めようと思い、外へ出ると、ガジェが立っていて驚く。
「ガジェっ」
近衛騎士団に配属された彼は、国王の身辺警護、および褒美として与えられた領地の管理で、多忙を極めている。これからは、会える機会もだんだんと減っていくのではないかと、心配していただけに、彼の姿を見た途端、飛び上がりそうなほど気持ちが弾んだ。
「そんなところにいないで、入ってくればいいのに」
ほとんど条件反射のように、両手を広げて抱きつくと、強い力で抱き返された。これまでの無表情っぷりが嘘のように、優しい顔をしている。背伸びをして、頬に頬を重ねると、ガジェはくすぐったそうに笑った。シルビアお気に入りの愛情表現で、子どもっぽいという自覚はあるものの、彼も気に入ってくれたようだ。
「ここで何をしていたの?」
どうやら店内に客がいないか、外から確認していたらしい。仕事の邪魔をしないようにと、配慮してくれたのだろうか。そんなことしなくていいのにと、彼の手を掴んで、中に引っ張り込もうとすると、
「待ってくれ、シルビア。客は俺だけではないんだ」
突然、表情を引き締め、後ろを見る。
ガジェの視線を追って、シルビアは首を傾げた。
「どうぞ、こちらへ。へい――ギルバート様」
暗い上に、ガジェの背に隠れて気づかなかったが、現れた人物を目にして、シルビアは息が止まりそうなほど驚いた。「おとうさ……」と、漏れかけた言葉を慌てて飲み込む。
「まだ店は開いているか?」
期待に満ちた、穏やかな口調で問われ、今まさに閉めるところですとは言えず、「まったく、お母様はこれにやられたのね」と内心でため息をついてしまう。すぐに落ち着きを取り戻したシルビアは、「いらっしゃいませ」と笑顔を張り付け、二人を店内に迎え入れた。
「初のご来店、ありがとうございます。こちらがメニュー表になります」
……
今日もあっという間に一日が終わってしまった。
看板を中にしまうと、戸締まりを終えて、シルビアは台所へ向かった。夕食の準備は少し休んでからでいいだろう。お湯を沸かして、自分のためにお茶を用意する。――今日は何がいいかしら。よく眠れるように、カモミールにしよう。たまにはミルクを入れてもいいかもしれない。余ったお菓子を添えて、裏庭に出ると、空には満点の星空が広がっていた。
椅子に座って、星空を眺めながら、お茶を飲む。仕事のあとの、この一杯がたまらない。自分でも少し年寄り臭いと思うけれど、お酒よりもお茶のほうが好きだからしょうがないと開き直っていた。
「さあ、明日も頑張るわよ」
END




