第三十二話
二日後、王城から新たにお触れが出された。すなわちガジェ・ノーマンの処刑を取りやめ、代わりに、パリス・メイデンの公開処刑を行うと。ただし、フォンティーヌの処分については、王妃を処刑するなど前例がないため、死罪ではなく幽閉すべきだという意見が過半数を占めていたという。裁可を仰がれた父の脳裏には、間違いなくレオナールのことがあったに違いない。長きにわたる議論の末、フォンティーヌは、彼女の侍女とともに、かつて城塞だった北監獄にて、生涯幽閉されることが決まった。
もっとも処分が軽かったのはジョスリンで、リリィがマザー代理を勤める孤児院にて、無期限の無償奉仕活動を言い渡された。なお不治の病を患っていた彼女の弟は、リリィのまじないにより症状が改善され、今では回復に向かっているとのことだった。ジョスリンはそのことを泣いて喜び、一生リリィについていくと言って、はばからなかったそうだ。
この一件で、王の信頼を取り戻したリリィは、宮廷まじない師として返り咲き、日々公務に追われている。それでもガジェやシルビアのことを気にかけ、一日に一度は顔を出し、必要なものを部屋に届けてくれた。
一階フロアの<鏡の間>には、<子どもの館>に転移できる鏡だけでなく、シルビアの店に繋がっている鏡もあるらしく、リリィはそれを使い、トーマスの様子も見に行ってくれた。トーマスはシルビアの言いつけを守り、今すぐにも主人のもとへ駆けつけたい気持ちをこらえて、店でシルビアたちの帰りを待ってくれているという。イツカ・ベルタも心配して、たびたび店に顔を出し、トーマスの話し相手になってくれているそうだ。
「あなたも早くトーマスに会いたいでしょうね」
看病のため、一日のほとんどをガジェの部屋で過ごしているシルビアは、寝台横に置かれた椅子に座ると、いつものように彼に話しかけた。身体の傷はだいぶ癒えたものの、ガジェは未だに目覚めない。時折、悪夢にうなされているような、苦しげな表情を浮かべていることがあり、そのたびに彼の手を握って、「大丈夫よ」と声をかけた。
「子どもの頃は、悪いまじない師に囚われた凛々しいお姫様と、まじない師を倒してお姫様を救い出す勇敢な騎士に憧れたものだけど、現実はうまくいかないものね」
扉をノックする音がし、「姫様、よろしいですか?」とリリィの声が聞こえてきた。「どうぞ、入って」
「頼まれていたものを持ってきましたわ」
「ありがとう」
シルビアの店にあるラベンダーのドライハーブを、持てるだけ持ってきてもらったのだ。シルビアはそれを通気性の良い麻の袋に詰めて、ガジェの枕もとに置いた。
「彼、この香りが好きみたいだから。それにラベンダーにはリラックス効果もあるし」
ついでにお茶を三人分用意して、テーブルに並べる。
「リリィもいかが?」
「ありがたいですわ、頂きます。一つはノーマン殿の分ですの?」
「ええ、いつ目を覚ますかわからないでしょ」
そうですわね、とリリィは優しく同意してくれる。
ここ最近は紅茶ばかり飲んでいたため、ハーブティーを口にするのは久しぶりだった。ラベンダーの強めの香りと、優しい味が全身に染み渡り、「ああ」と幸せが声に出てしまう。やはり、自分で育てたお茶が一番おいしい。
「ノーマン殿の意識が戻ったら、どうされるおつもりですか?」
「もちろん、彼を連れて店に戻るつもりよ」
「その後は?」
「私はお店を続けるつもりだけど、ガジェがどうするかまでは……」
正直そこまでは考えておらず、困ってしまう。
「陛下は、姫様だけでなく、ノーマン殿にも王城に留まることを望んでおいでです。騎士としての名誉を回復するだけでなく、ノーマン殿が目覚め次第、多大な褒美をお与えになるでしょう」
そう、とつぶやき、シルビアは目を伏せた。自分の代わりにガジェが父のそばにいてくれるのなら、これほど心強いことはなかった。
「嬉しそうですわね」
「そう見える?」
「ええ。ノーマン殿の傷の具合はどうですの?」
「ほとんど治りかけているわ。ただ少し、頭の傷が気になるわね。強く打ち付けているみたいだから……後遺症が残らなければいいのだけど」
「頑丈で回復能力の高い獣人の血を引いているのですもの。きっと大丈夫ですわ」
そこでふと思い出したように、リリィはカップを置いた。
「ちょうどいい機会ですわ。姫様には、これだけはお伝えせねばと思っておりましたの」
首を傾げるシルビアの耳元に、リリィはそっと顔を寄せると、「ノーマン殿は――ではありませんわ」と声を潜めて言った。
「なんですって」
あまりのことに頬が熱くなり、声が裏返ってしまう。
「獣人は生涯を通して、たった一人の伴侶しか愛せませんの。実際、行為自体も不可能で、非常にデリケートな種族なのですわ。愛した人と結ばれなければ、一生独身を貫きます。そのため年々、出生率が低下しているのですが……」
ふうと息をついて、リリィは続けた。
「この話をノーマン殿にした時、呆然とされていましたわ。ご自分は親に捨てられたのだと、ずっと思いこんでいらっしゃったようなので。ですが、獣人の番いが、愛の結晶である我が子を捨てるなど、ありえません。おそらく彼は幼少期に、奴隷商人にさらわれたのだと思います。獣人の血を引く子どもは、魔力を退ける特異体質と、その身体能力の高さゆえに、奴隷市場では高値で取引されているそうですから」
そうだったの、とシルビアは唇を噛みしめる。そんなシルビアに苦笑すると、リリィは再びカップに口をつけ、残りのお茶を飲み干した。
「そろそろ仕事に戻りますわ」
はっとして立ち上がり、リリィを扉まで見送る。
「引き留めて悪かったわね。話してくれてありがとう」
「いいえ、こちらこそ。お茶、おいしゅうございましたわ」
扉が閉まるのを確認して、ベッドのほうへ戻ると、こちらを見ている赤い瞳と目が合い、シルビアは足を止めて息を飲んだ。
「……目が、覚めたのねっ」
まだ少しまぶしそうにしているので、そっと近づいて、顔をのぞきこむ。
「私が誰か、わかるかしら?」
「……第一、王女……アマーリエ……ルドヴィカ、シルビニ……」
違うわ、とシルビアはかぶりを振る。
「ただのシルビアよ。そう呼んでいたでしょう」
「……しる……びあ?」
眉間にしわを寄せ、不思議そうな顔をする。意識が戻ったばかりで記憶が混乱しているのか、それとも脳に後遺症が残っているのか、シルビアはたまらず、彼の手を掴んで握りしめていた。
「トーマスのことは覚えてる?」
「……とー、ます?」
直後、頭を押さえてうめくガジェに、シルビアは慌てて言った。
「ごめんなさい、無理しなくていいからっ」
焦らず、ゆっくり思い出してくれればいい、時間はたっぷりあるのだからと、シルビアは泣きながら、彼の手に頬を寄せた。




