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第三十一話



「お許しをっ……どうか寛大なご処置をっ、陛下っ。私はただ、叔母上の命令に従っていただけでございますっ。本意ではなかったのですっ」


 額を床にこすりつけ、泣き叫ばんばかりに命乞いをするパリスの姿に、さすがの王妃も唖然としていた。


「おまえまであたくしを裏切るというの? 子どもの頃から目をかけ、何の実績もないおまえを、ここまで引き立ててやった恩も忘れて――っ」


「衛兵っ」


 父の声に応じ、外で待機していた兵士たちが部屋に入ってくる。父は、第一王女の暗殺未遂、および反逆の罪で王妃及びパリスを拘束、部屋に監禁するよう命じた。


「追って沙汰を言い渡す。連れて行けっ」


「無礼者っ、王妃であるあたくしに触れるでないっ。あなたっ、エドワード様っ、あたくしは王太子の母ですっ、陛下のお世継ぎを生んだ女を、お見捨てになるつもりですかっ」


「これ以上、見苦しい姿をさらすな、フォンティーヌ」


「離せっ、無礼者っ。エドワード様っ、ひと目だけでもレオナールに会わせてくださいましっ、一言お別れを――レオナールっ、レオナールっ」


 力なく拘束されるパリスとは対照的に、王妃の金切り声はいつまでも室内に響いていた。母を慕う異母弟のことを思うと胸が痛むが、自分にはどうしようもないことだった。やがて扉が閉まり、静けさが戻ってくると、シルビアはほっとして、ソフィーヌに近づいていく。


「ソフィーヌを椅子に寝かせるから、リリィ、手を貸して」

「よい、わたしがやろう」


 抱き抱えても目を覚まさないソフィーヌを、父は慎重に長椅子に運ぶ。そんな父の姿に、胸に熱いものを感じながら、シルビアは口を開いた。


「これで、ガジェ・ノーマンを解放してくださいますね、陛下」

「ああ。いそぎ、お前の名と身分も復活させねば」


 その話をする前に、ガジェ・ノーマンに会わせて欲しいとシルビアは懇願した。父は願いを聞き入れてくれたものの、なぜか浮かない顔をしている。すでに地下牢から客室に移されたと聞いて、シルビアはまっすぐその部屋へ向かった。


 ようやく彼に会えると浮かれていたシルビアだったが、寝台に横たわっているガジェの姿を目にした瞬間、さーと血の気が引いた。腫れ上がった顔に頭に巻かれた包帯、無数の切り傷、口もとにこびり付いた血の跡――彼の横に立って「ガジェ」と呼びかけるが、反応はない。


「牢番から頻繁に暴行を受けていたようですわ」


 心配してついてきてくれたリリィの言葉に、愕然とする。


「意識はありませんが、今のところ命に別状はないということです」

「……リリィは知っていたのね」


「フォンティーヌ様が自らお話くださいました。おまえも同じ目に遭わせてやると。その時は、ただの脅しだと思っていましたが」


 再び継母に対する怒りがこみあげてきたが、彼女を恨んだところでガジェの怪我が治るわけではないので、ぐっとこらえる。


「彼はいつ目を覚ますの?」


「……わかりませんわ。ノーマン殿にはまじないが効かないので、私にはどうすることもできません。頭部を負傷しているため、意識が戻るかどうかは本人次第だと、医師は申していたそうです」


 辛そうな表情を浮かべるリリィに、シルビアは絶句する。なぜ、彼がこのような目に遭わなければならないのか、もっと早く、彼を助け出していればと、自分を責めずにはいられない。


「姫様……」


 我慢しても、涙が次から次へあふれ出てくる。

 シルビアが泣きやむまで、リリィはそばにいてくれた。


「ごめんなさい。泣いたってしょうがないわよね」

「気持ちの切り替えはできまして?」


 ええ、とうなずく。


 翌日から、シルビアはつきっきりでガジェの看病をするようになった。第一王女は未だ病死したことになっているため、父に頼んで、部屋には使用人の立ち入りを一切禁じてもらい、シルビア自身も、部屋の外へ出る時は必ずマントを身につけ、誰にも姿を見られないよう行動した。何人かの兵士にはすでに見られていたものの、シルビアの意思を汲んで、リリィが彼らに忘却のまじないをかけてくれた。もちろん、父の許可を取った上でだ。


 父とはあの後、シルビアの部屋で一対一で話し合った。


「死んだままにして欲しいというのはどういうことだ? 王女としての身分を捨てるつもりか?」


「身勝手なお願いだということは承知しております。王族としての義務を果たせず、申し訳ありません。ですがフォンティーヌ様の一件で思い知らされたのです。私はここにいるべきではないのだと」


 客室で眠り続けているガジェのことを思いながら、シルビアは答えた。


「何より、彼を連れて戻ると、彼の小姓に約束しましたから」


 シルビアは父に話して聞かせた。王妃の策略にはまり、王城を出てから、自分がどこで何をしていたのかを。


 現役時代の祖父が平民になりすまし、花屋を営んでいたことを父は知らなかったらしく、「あの厳格だった父上が?」とひどく驚いた顔をしていた。


「話を遮って悪かった。続けてくれ」


 慣れない家事に苦戦したこと、植物を世話し、育てる楽しさに目覚めたこと、初めて自分の力でお金を稼いだ時の喜びや、自分の作るお茶やお菓子を美味しいと言って食べてくれるお客様のことを、シルビアは語った。


「特にトーマスには開店当初から助けられてばかりで、今でも頭があがりません。そんなあの子を寄越してくれたのが、ガジェ・ノーマンでした」


「やつに恩を感じているのだな」


 ガジェに対する感情は、自分でもうまく説明できないので、シルビアはあえて答えなかった。


「亡き母は日記で私に、強く生きてと、周囲に惑わされず、自分を貫けと言ってくださいました。ですからお父様、どうか、アマーリエ王女を蘇らせないでください。私を、ただのシルビアでいさせてください」


 父の沈黙は長かった。


「わたしはレイシアだけでなく、その娘まで失うのか」


 母は、自分に代わって父を支えて欲しいとも言っていた。けれど、父が正気に戻った時点で、自分の役目は終わったと、シルビアは考えていた。立場上、王女に戻ったところでいずれは結婚し、父の元を離れることになるのだ。遠い異国の地へ嫁ぐより、父の治めるこの城下町で、民草の一人として一生を終えたいと、シルビアは願っていた。


「お父様の娘は私だけではありません。それにソフィーヌが嫁いでも、まだレオナールがいるではありませんか」


「……あれはわたしを恨むであろうな」

「それはお父様次第ですわ」


 唯一の男児であるレオナールは、幼い頃から優秀な家庭教師たちに囲まれ、日々勉学と鍛錬に追われている。素直で明るい性格の弟を、シルビアは内心可愛く思っていたが、継母のいる前では声をかけることも許されなかった。ここ数年はまともに顔を合わせることもなく、挨拶をしても硬い表情を返されるだけで、ろくに口もきいてくれない。


 自分がトーマスのことを可愛く思うのは、彼に弟の姿を重ねているからかもしれないと、弟の仏頂面を思い出して、シルビア苦笑してしまう。


「できるだけ、レオナールと話をする機会を作ってください」


 わかった、と父はうなずく。


「だが、おまえの件はもう少し考えさせて欲しい」


 珍しく感傷に浸っているらしい。シルビアは黙って頭を下げた。どちらにしろ、ガジェが意識を取り戻すまで、店へ戻るつもりはなかった。――ごめんなさい、トーマス。でも、必ず約束は守るから。

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