第三〇話
王妃は唇を噛みしめ、憎悪に燃える目をシルビアに向けていた。
「陛下、これは罠ですわ。ご覧ください、哀れなソフィーヌを。この者が現れた直後に、気を失ってしまったではありませんか。まるで何かの術が解かれたように……」
父は探るような視線を王妃に向けている。
「この期に及んで、まだ言い逃れるつもりか、フォンティーヌ」
「でしたら目の前にいる小娘は誰ですの?」
「アマーリエでないというのなら、誰だというのだ」
「あたくしはまじない師ではございませんので、まじないによる変装を見破ることはできません。ですが仮に、この娘の正体がアマーリエ王女に化けたまじない師であれば、あたくしのソフィーヌを操ることなど造作もないことでしょう」
先ほどとは打って変わり、ひどく落ち着いた声で王妃は答えた。
「まじないのせいで、母であるあたくしにあのような物の言い方をしたのだとしたら、ソフィーヌを責めることはできません。本来の自分を見失い、嘘の証言をさせられたのですから」
すかさず、パリスが後を継いだ。
「フォンティーヌ様のおっしゃる通りです、陛下。ソフィーヌ様からはわずかながら、まじないの気配が感じられます。術者に操られていると見て、間違いないでしょう」
――まったく、この二人ときたら……。
シルビアはうんざりとため息をついた。
「何もないところから突然現れた時点で、まじないを使っているのは明らかではありませんか。そもそも、この娘が偽者でなければ、病死したあの子はどうなりますの?」
「その死体は間違いなくアマーリエ自身だったのか?」
「あたくしだけでなく、第一王女付きの侍女たちもそう証言しております。アマーリエ様は数日前から風邪で体調を崩されていて、お部屋に閉じこもりがちだったとか。主治医による診察も拒まれて、誰もお部屋に近づけようとしなかったようです。さすがの侍女たちも心配になり、強引に部屋に入ったところ、アマーリエ様が亡くなっているのを発見したそうですわ」
何度も練習したのだろう。よどみない説明が、かえって嘘くさく感じられた。こればかりは黙っていられないと、シルビアは口を挟む。
「私付きの侍女、というのは語弊があります、お義母様。私が信頼を寄せていた侍女は全て、お義母様が解雇なさったではありませんか。私の周りにいたのは、みなお義母様の息がかかったご令嬢ばかりで、私の行動を逐一、お義母様に報告しているようでした」
当時のことを思い出して、シルビアの目が遠くなる。絶えず監視され、いくら一人にして欲しいと言っても、扉の前で待機されてはどこにも逃げ場がなく、息が詰まりそうだった。
「あの頃は、いつ毒殺されるのだろうと気が気ではありませんでした。だいたい、パリス様にお命じになれば、私の死体などいくらでも作れるでしょうに。ずいぶんと往生際の悪い」
「では、おまえが本当にアマーリエ様だという証拠はあるの? 卑しい平民のような身なりをして、よく陛下の御前に立てますこと」
「その平民のおかげで私たちの暮らしが成り立っていることをお忘れなく、王妃様。私をここへ連れて来てくれたのはリリィ・ジェイトンです。自ら囮になり、私に透明化のまじないを施したマントまで貸してくれて……パリス様はまったく気づいていらっしゃらないようでしたけど」
無言でうなだれるパリスを、王妃は忌々しげに一瞥する。
「おかげで、陛下に全てをお伝えすることができました」
挑発的に言うが、王妃はもうその手には乗らないとばかり、せせら笑う。
「では、そのリリィ・ジェイトンはどこにいるのです?」
「白々しい。あなたたちこそ彼女に何をしたの」
「もう、よい」
父は軽く手をあげると、「入って来いっ」と外の者に命じた。現れたのは、先ほど王にパリスの尾行を命じられた、シュトライツという名の衛兵である。
「王妃の部屋にジェイトンはいたのか?」
「それが、陛下……」
衛兵の話によると、王の執務室を出た後、パリスはまっすぐ東塔の最上階、王妃の居室へと向かったらしい。部屋付きの護衛に室内の状況を確認すると、まず王妃がリリィ・ジェイトンを部屋に招き入れ、そこへパリスも合流し、三人で何やら揉めているような様子だったとか。それからしばらく経って、血相を変えたパリスが部屋から飛び出してきたという。
リリィの狙いに気づいたか、彼女が故意にばらしたかのどちらかね、とシルビアは考える。
そのパリスが再び部屋に戻ってきたことが、王妃の癪に障ったらしく、何度も甥を叱りつける王妃の声が、外にまで漏れ出していたという。しかし二人が部屋を出た直後、室内を確認したところ、リリィの姿はどこにもなかったと衛兵は言った。
「妃殿下のお部屋に入る許可までは頂いておりませんでしたので、遠目で確認しただけですが」
「パリス、そなたジェイトンに何をしたのだ」
静かな声で問われ、パリスは震える声で答えた。
「私は何も……」
「ではおまえが何かしたのか、フォンティーヌ?」
鋭い視線を向けられ、王妃の頬が上気する。
「魔力をもたない、か弱い女の身であるあたくしに何ができるというのです」
「ならばジェイトンを部屋に招き入れたことは認めるのだな」
なおも言い訳をしようとする王妃には構わず、父は立ち上がり、声を張り上げて言った。
「どうやらこの二人には、そなたを拘束するだけの力はないと見える。ガジェ・ノーマンがいれば、また話が違ったかもしれぬが。そろそろ姿を現したらどうだ、透明化のまじないは、そなたの得意とするところだろう、ジェイトン」
すると次の瞬間には、王の前にひざまずくリリィの姿があった。
「遅くなって申し訳ありません、陛下。パリス様が城内に施された、まじないの数と効果の把握に時間がかかりまして」
言いながら、いつもと変わらぬ柔らかな笑みを浮かべている。あの時、自分の肩に触れたのは彼女だったのかと、シルビアはほっとしていた。一方、王妃とパリスは絶句し、凍り付いたような顔をリリィに向けている。
「まだ全てを把握したわけではありませんが、この部屋でもいくつか気になるものを見つけました。これをご覧ください」
差し出された小さな花瓶を、父は不思議そうな顔で受け取る。
「これはフォンティーヌから贈られたものだが」
「底に古代文字が刻まれているのがおわかりでしょうか。注入された魔力の量が十分ではなかったため、効果は半減していますが、忘却のまじないが施されています。陛下がアマーリエ様の死に関心を向けられなかった、原因の一つですわ」
そのほかにも、人の心に作用するたぐいのまじないが、父の寝室や会議室にも施されていると、リリィは言った。
「人心に作用するまじないは、繊細かつ高度で、大量の魔力を必要とする危険な術です。熟練者でも完成させることが難しく、パリス様もそれなりに研鑽をお積みになられたのでしょうが、幸い、どれも未完成でした」
だからこそ、シルビアとの対話により、父は正気に戻れたのだと、リリィは説明してくれた。パリスのまじない師としての未熟さに救われたかたちとなり、正直複雑な気持ちだったが、当のパリスは顔を真っ赤にし、屈辱的な表情を浮かべている。そんなパリスに向かって、リリィは珍しく、声を大にして言った。
「陛下のお心を魔力で操ろうとするなど、宮廷まじない師としてあるまじき行為――死を以て償いなさいっ」




