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第二十九話



「……ソフィーヌ、参りました」


 小声で言い、おどおどした様子で入室する妹に続いて、シルビアも中へ入る。室内には父王の他に、継母とパリスの姿があったものの、肝心のリリィの姿はない。幸い、三人とも会話に夢中で、ソフィーヌの存在には気づいていないようだ。シルビアは「止まって」と妹に指示を出した。


「端に寄って、できるだけ目立たないよう、じっとしてて。少し様子を見るわ」


 母親がこの場にいることを知っておののいていたソフィーヌだったが、ほっとしたように、壁側に身を寄せた。代わりにシルビアは前に出て、三人の会話に耳を澄ませる。


「リリィ・ジェイトンがいなくなったというのは、どういうことだ」


「ですから陛下、先ほどから何度も申し上げた通り、城内を隈無く探しましたが、ジェイトン氏の姿は見つけられず……」


「ああ、陛下。どうかパリスを責めないでやってくださいまし。リリィ・ジェイトンが登城しているなど、誰がそのようなデタラメを陛下のお耳に入れたのか」


 まじないの効果で、若く美しい姿を保っている王妃は、継母というより、年の離れた姉のような外見をしている。ドレスもそれに合わせて若々しく、先ほどリリィに向けていたきつい表情とは打って変わり、目にうっすら涙を浮かべて、甥の潔白を訴えていた。


 よくもまあ堂々と王の前で嘘がつけるものだと、怒りを通り越してあきれてしまう。それにしても、リリィは何をしているのか。彼女ほどの術者が、パリスにしてやられるとは思えないけれど。その時、すっと風が横を通り過ぎた気がして、シルビアはぞっとしてしまう。


 ――今、肩に何か触れたような……。


「ここにアマーリエ王女の偽者がいると聞きましたが、今はどこにおりますの? 陛下ともあろうお方が、よもやその娘の話を真に受けるはずがないと、先ほどパリスを叱責したばかりですのよ」


 穏やかな声で言い、表面上は落ち着いて見えるものの、視線があちこちさまよっている。

 そんな王妃を、父はじっと見つめ、


「珍しく動揺しているではないか、フォンティーヌ。美しい仮面がはずれかかっているぞ」


 王妃ははっと手を頬に押しあて、傷ついたような表情を浮かべた。


「ひどいおっしゃりようですわね」


「アマーリエが突然死したと、おまえから報告を受けた時の記憶が曖昧でな。実の娘が死んだというのに、わたしはなぜ事実確認を怠ったのか。パリスよ、そなた、フォンティーヌに命じられて、よもやわたしにまじないをかけたのではあるまいな?」


 ひざまずいて頭をたれているパリスの肩が、びくっと震えた。


「そのようなことは決して――」


「そうですわ、陛下。そもそもなぜ、あたくしがそんなことをしなければなりませんの?」


「わたしも聞きたい。おまえはなぜそこまでアマーリエを憎むのだ? あれがおまえに何をした?」


「おっしゃっている意味がわかりませんわ。陛下の血を引く可愛い娘を、どうしてあたくしが憎まなければなりませんの? 我が子のように愛していたのに……」


「うそっ、うそよっ」


 思わず考えが声に出てしまったのかと、ひやりとしたが、声は後ろから響いてきた。振り返ると、青白い顔のソフィーヌが、場所を移動し、母親を睨みつけるようにして立っていた。


「お母様が愛しているのは、弟のレオナールだけだわっ」

「……ソフィーヌっ」


 王妃の顔が怒りでゆがんだ。

 パリスも驚いたようにソフィーヌを見ている。


「おまえは誰の許しを得て、ここにいるのですっ」

「大声を出すでない、フォンティーヌ。わたしが呼んだのだ」

「陛下が――?」


 うろたえる王妃の前を恐る恐る通り過ぎると、ソフィーヌは王の前で立ち止まり、優雅におじぎをする。


「ソフィーヌ、参りました。遅くなって申し訳ありません、お父様」

「よく来てくれた。おまえと話をするのも久しぶりだ」


 王は一瞬、誰かの姿を探すように視線をさまよわせたが――たぶん自分のことを探しているのだとシルビアは気づいたものの、今は姿を現す時ではないと判断し、じっとしていた――結局は何も言わず、第二王女に視線を戻した。


「さて、先ほどフォンティーヌに投げかけた言葉の真意を、聞かせてはもらえぬか?」


 ちらりと母を一瞥し、その顔に浮かんだ鬼のような形相に、ひっと息を飲むソフィーヌだったが、


「これは王命だ、ソフィーヌ。母親の顔色をうかがう必要はない」

「お、お父様がそうおっしゃるなら」


 それでもまだ躊躇っている様子なので、シルビアもすかさず耳もとで、「このままでは、キィニール様と結婚できないわよ」と脅すと、途端、ソフィーヌは、よどみなくこれまでのことを語り出した。


 母が先妻のレイシアとその娘であるアマーリエを激しく憎んでいること、アマーリエに対する嫌がらせの数々、そして第一王女の暗殺計画にまで話が及ぶと、


「それ以上、いい加減なことを申すでないっ」


 王妃の一喝に、ソフィーヌは涙目になって口を閉じた。

 さすがの王も眉をひそめ、不快そうな表情を浮かべる。


「フォンティーヌ、控えよ」

「ああ、陛下……愛しいあなた……」


 王妃は猫なで声を出して、父に話しかける。


「愚かな娘の戯れ言など、どうか真に受けないでくださいまし。娘はあたくしを困らせて、喜んでいるだけですの。たちの悪い、子どものいたずらですわ」


「子どものいたずらですって」


 あまりの言いように、ソフィーヌも負けじと声を張り上げる。


「わたくしはもう、子どもではないわっ。お母様こそ、少しは自重なさったらどうなのっ。お父様というものがありながら、若い騎士にのぼせて、愛人にするなんてっ」


「お黙りっ」


「いいえ、黙らないわっ。お姉様のことも、自分よりも美しいから目障りだと、いつも言ってらっしゃったじゃないっ。若い騎士の目が全てお姉様に向いてしまうからと、年甲斐もなく騒ぎ立てて……みっともないったら」


「ソフィーヌ、おまえ……」


 王妃は顔を真っ赤にし、口をぱくぱくさせている。

 怒りのあまり、口がきけないらしい。


「お母様に、少しでもわたくしに対する愛情がおありなら、今すぐ、お姉様を殺したと――お姉様を殺すよう、ガジェ・ノーマンに命じたことを、お認めになってっ」


「陛下っ」


 我慢ならぬとばかり、王妃は叫んだ。


「これはあたくしの娘ではありませんっ。あたくしのソフィーヌは、おとなしく淑やかで――間違っても、母親であるあたくしを侮辱したりしませんわっ」


 唾を飛ばしてわめき散らす王妃には構わず、父はソフィーヌをまっすぐ見、力強くうなずいてみせる。


「よくぞ話してくれた。さすがは我が娘だ」

「……お父様っ」


 どっと力が抜けてしまったらしく、座り込んで泣き崩れるソフィーヌに、「よくもっ」と王妃がつかみかかる。シルビアは反射的に、二人のあいだに割って入ると、力の限り、王妃を突き飛ばした。


「ソフィーヌはもう二度と、あなたの言いなりにはならないわ」


 後ろによろけた王妃の顔から、みるみる血の気が引いていく。


「やって良いことと悪いことの分別もつかないなんて。一体どちらが子どもなのかしら」


 シルビアがマントを脱ぐと、王妃はあえぐような声を出した。


「そうか、おまえがあたくしのソフィーヌを……っ」


 驚いていないのは父だけで、パリスはしてやられたとばかり舌打ちし、ソフィーヌに至っては緊張の糸が切れてしまったらしく、その場で失神してしまった。


 殺気立った視線を向けられても、シルビアは怯まず、相手を睨み返した。


「ごきげんよう、お義母様」



ご指摘ありがとうございます。

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