第二十八話
「どうして……どうしてお姉様がここにいるの――っ」
妹のソフィーヌは、まるで幽霊にでも遭遇したかのような表情を浮かべて、シルビアを見ていた。少し前、自室にいた異母妹が一人になったところを見計らい、シルビアは部屋に入った。「ソフィーヌ、ちょっといいかしら?」と声をかけつつ、透明化のまじないが施されたマントを脱いだ時の、ソフィーヌの驚きようといったら……悲鳴をあげようとして失敗したらしく、激しく咳込んでた。思わず心配になって近づくと、「ひいっ」とのけぞり、へなへなとその場に座り込む。びっくりして、腰が抜けてしまったらしい。
色白で愛らしい顔立ちをしている妹だが、いつも母親の陰に隠れているせいか、印象が薄い。シルビアの記憶にある彼女は、しきりに母親の顔色をうかがい、意思表示も満足にできない臆病な娘だった。彼女が心から笑う姿を、今まで一度も見たことがなく、あのような母親をもって気の毒だと、密かに同情していたのだが、
「ああ、どうかわたくしを恨まないで。全てはお母様が勝手にやったこと、わたくしはお姉様の死など望んではいなかったっ。それどころか、お母様を止めようとしたのよっ」
「少し落ち着きなさい、ソフィーヌ。何もあなたを取って食おうとしているわけではないのだから」
「うそっ。わたくしたち親子に復讐するために、死者の国から戻ってきたのでしょう。お母様はともかく、わたくしは何もしていないのにっ」
がちがちと歯を鳴らし、本気で怯えている様子の異母妹を見て、シルビアは首を傾げる。――もしかして、すでに私が殺されたと思っているのかしら。それにしたって、注意深く見れば、幽霊ではないことくらい一目瞭然のはず、やはり登場の仕方がまずかったかしら? とシルビアは考える。
「もう、お芝居をするのはごめんだから、率直に言うわ。ソフィーヌ、あなたの協力が必要なの。私と一緒に来て」
「いやよっ。誰が死者の国なんて行くものですかっ」
「……ソフィーヌ」
「わ、わたくしは生きて、サジェットへ嫁がなければならないの。もうすぐ、キィニール様の妻になれるのよ。お父様だって、同盟関係の強化に繋がるからと、喜んでくださったわ」
生まれながらの身分を捨て、王女としての義務も放棄し、庶民としての暮らしを望んだシルビアにとっては、耳に痛い言葉であった。もっとも政略結婚とはいえ、隣国へ行けば母親の監視下から逃れられる上、ソフィーヌは婚約者であるキィニールに――若く美しい王子に恋をしていた。彼女にとっても悪い話ではないのだ。
――とりあえず、今はこの状況をどうにかしないと。
ソフィーヌが冷静になるまで、今は余計なことを言わないほうがいいと思い、黙って、ぷるぷる震える異母妹を見下ろしていると、
「そ、そんな目でわたくしを見ないで……そんな、責めるような目で――っ」
ソフィーヌはますます動揺したように、顔を両手でおおった。
「子どもの頃から、ずっとお姉様のことがうらやましかった。お美しいだけでなく、強い心をお持ちだったから。キィニール様がお姉様の美しさに心を奪われ、求婚された時も……胸が張り裂けそうなほど辛かったけれど、仕方がないと、あきらめてもいたの。とてもお似合いの二人なんですもの。でも、お母様は違った」
すすり泣くような声で、ソフィーヌは続けた。
「汚い手を使ってキィニール様を横取りしたに違いないと、お姉様のことを激しく罵られて……泣くことしかできないわたくしを、意気地がないと責めたわ。わたくしがこうなってしまったのは、全てお姉様のせいだと。でも、まさか、本当にお姉様を殺してしまうなんて……」
「……娘のあなたでも、諫めることはできなかったの?」
顔をあげたソフィーヌは、頬をゆがませて笑う。
「あのお母様が、わたくしの言うことに耳を傾けると思うの? 機嫌が悪かったり、何かに腹を立てたりすると、近くにいる使用人たちだけでなく、わたくしにも当たり散らすような母親よ。あの人が優しいのは、お気に入りの騎士と、弟だけ。娘なんて、いてもいなくても同じなのよ」
吐き捨てるように言い、悲しげに目を伏せる。
「けれどキィニール様は、わたくしのことを可愛いらしい女性だとおしゃってくださったわ。いずれ大輪の花を咲かせる蕾のようだと。どんなに……どんなに嬉しかったかっ」
怯えながらも、今度は毅然とした表情で、シルビアを見上げる。
「ああ、お姉様っ。キィニール様と結婚するわたくしを、さぞ羨み、恨んでおいででしょう。わたしくしに出来ることがあれば何でもするわ。だから許してっ」
「……何でも?」
思わず聞き返すと、「え、ええ、わたくしにできることなら」とソフィーヌは今にも気絶しそうな顔で、うなずいた。
「だったら今すぐ、お父様のところへ行きなさい。あなたのお母様が、私に何をしたのか、包み隠さず報告するのよ」
ソフィーヌはごくりと唾を飲み込み、視線を泳がせる。
「で、でも、そんなことをしたら……お母様が……」
「イヤなら、それでもかまわないのよ。代わりに、あなたの大事な大事なキィニール様を死者の国へ連れて行くから」
もうお芝居なんてするつもりはなかったのに。またやってしまった。しかしそれなりに効果はあったらしく、ソフィーヌは立ち上がると、まだ少しふらつきながらも、扉に向かって歩き出した。
「わ、わたくしは、キィニール様と結婚して、し、幸せになるの。お姉様にも、お母様にも邪魔はさせないわ」
その意気だと、シルビアは微笑む。再びマントを羽織り、姿を消すと、「お姉様?」とソフィーヌが不安そうに辺りを見回した。
「死者の国へ戻られたの?」
「いいえ、見えないだけで、あなたのすぐ後ろにいるわよ」
耳元で囁くと、再びソフィーヌががたがたと震え出す。
「このままお父様のところまでついていくわ。少しでも嘘をついたら、ただじゃおかないから」
母親の前だとすぐに萎縮して、何も言えなくなってしまうソフィーヌには、このぐらいやったほうがいいと思い、シルビアは臆病な妹を急き立てるようにして、部屋を後にした。




