第二十五話
二杯目のお茶をすすりながら、リリィは穏やかな口調で切り出した。
「私のまじないを以てすれば、陛下にお目通りすること自体、そう難しいことではありません。ですが、陛下のおそばには常にパリスがいるため、二人きりになることは困難です。パリスを下がらせるよう陛下にお願いしても、どこからか、そのことを聞きつけたフォンティーヌ様が現れ、邪魔をしてきます。負傷した今でもそれは変わらないでしょう」
どうせならノーマン殿も、フォンティーヌ様の足を切り落とすくらいしてくだされば良いものを、と物騒なことをぶつぶつ言いながら、リリィは続けた。
「ですから私が囮になります」
まずリリィが周囲の視線を引きつけつつ、王に謁見を求める。パリスや継母は当然それを阻もうと、彼女に近づいてくるだろうから、その隙にシルビアには王の元へ行ってもらうと、彼女は言った。
「できる限り時間を稼ぎますから、後は姫様次第ですわ」
必ず父を説得してみせると、シルビアはうなずいた。リリィは懐中時計を確認すると、「今の時間帯であれば、陛下は執務室にこもって仕事をされているはずですわ」とつぶやき、立ち上がる。
「ところで姫様、その格好で陛下にお会いするのですか?」
「まずいかしら」
「ショールだけでも外されたほうがよろしいですわね」
「でも、髪が……」
短くなった髪を見て、リリィは「まあ」と絶句していたが、
「思い切ったことをなさいましたわね。とりあえず、元の長さに戻しましょう」
まじない師は、対象に古代文字を刻むことで体内の魔力をそそぎこみ、奇跡を起こすといわれている。リリィは机の上にあった小箱から木製の髪飾りを取り出すと、内側にペンで文字を書いた。
「髪の毛が早く伸びるおまじないですわ。わずかしか魔力をそそいでいないので、効果は一度きりですが」
リリィからもらった髪飾りを身につけると、みるみる髪の毛が伸びていき、背中の真ん中あたりで止まった。いつもながら不思議な光景だと、シルビアは感心してしまう。
「ありがとう」
「そうしていると、まるで娘時代のレイシア様そのものですわね」
懐かしむように目を細められて、シルビアは苦笑する。
「中身は正反対だけどね」
「そうとも言えませんわ、仕草や話し方もそっくりですし」
「いっそのことお母様のふりをして、お父様を脅かしてやろうかしら」
「あら、いいですわね、それ」
冗談を交わしつつ、細かい打ち合わせと準備を済ませる。
「さあ、参りましょうか、姫様。いざ戦場へ」
差し出されたリリィの手に、「ええ」とシルビアは、ためらうことなく自分の手を重ねる。「行きましょう」
……
「準備はよろしいですか」
シルビアは渡されたマントを頭から羽織ると、「ええ」とうなずいた。マントには透明化のまじないがほどこされており、王城に入っても、シルビアの姿は誰にも見えないという。リリィも登城に相応しい服装に着替えていた。
「でも、本当にそこへ入るの?」
目の前にある姿見が、王城の一階フロアにある鏡につながっていると言われても、正直ぴんとこなかったが、目の前で鏡をすり抜けられて、息が止まった。
「さあ、私のあとに続いてください」
リリィは昔、多忙な祖母のために、王城から直接「子どもの館」へ行き来できるよう、転移のまじないを、ひと月以上かけてそれぞれの建物に施したらしい。おかげで、この屋敷の執務室から直接、王城の内部に侵入することが可能だが、他のまじないと比べて、とても繊細で高度なまじないであるため、使用できる回数が制限されているらしい。多用すると、目に見えない空間に閉じこめられてしまう危険性があるとのこと。
――もしかして、うちの店にもあるのかしら。
それを聞く前に、目的地に着いてしまった。王城一階、ダンスフロアにもなっている<鏡の間>に出るが、出口となる鏡が布で覆われていて、前が見えなかった。「こちらです」と手を手を引かれ、フロアの中央に向かう。フロアは吹き抜けになっており、二階には<謁見の間>、<来賓の間>、そのさらに上の階に王の居室と執務室が存在する。堂々と歩くリリィの姿に、近くにいた使用人らが気づいて、ぎょっと目を剥いていた。
「私はまじない師リリィ・ジェイトン。火急の用件で、陛下にお会いしたく参った。至急、陛下にお取り次ぎをっ」
リリィに背を押され、彼女が周囲の注意を引いている隙に、シルビアは階段に向かった。階段を上る途中で、上から降りてくるフォンティーヌとすれ違い、ぞっとする。マントのおかげで、シルビアには気づいていないようだ。
「まあまあ、リリィ。ずいぶんと久し振りだこと」
いつもと変わらぬ笑みを浮かべているが、息が切れているところを見ると、慌てて駆けつけたに違いない。怪我からも完全に回復しているらしく、忌々しげに舌打ちすると、すぐ後ろにいる侍女に耳打ちする。
「陛下にお知らせする必要はないわ。代わりにパリスを呼んできなさい」
侍女は黙ってうなずくと、おじぎをして、早足に階段をのぼっていく。シルビアもすかさずその後を追った。
「陛下は昨夜から体調が優れないようで、今も眠っておられるわ。医師にはくれぐれも安静にするよう言われているの。代わりにあたくしが用件を聞くから、部屋に来なさい」
下を見ると、リリィは黙って王妃の指示に従っていた。大丈夫だろうかと心配になるものの、今は自分のやるべきことに集中しなければと、前を向く。
衛兵に守られた執務室の前で、侍女は足を止めた。
「妃殿下がパリス様をお呼びです」
まもなく扉が開かれ、パリスが出てきた。神経質そうな顔をした青年で、黒いローブを身につけている。一瞬、いぶかしげな表情を浮かべてシルビアのほうを見たので、見つかってしまったかと冷や汗が流れるが、
「気のせいか」
とつぶやき、侍女を連れだって歩き出す。まじないを見破れるのは同じまじない師だけ。けれどそれはあくまで同等の力を持った者同士の例だ。彼に見破れなかったという事は、リリィの実力はパリスのそれを遙かに凌ぐということ。ほっとしたのもつかの間、扉が閉まりそうになり、慌てて身体を滑り込ませた。
高価な調度品に囲まれた、広々とした室内――生まれてこの方、数えるほどしかこの部屋に入ったことがないシルビアは、ともすれば怖じ気付きそうになる心を叱咤しつつ、進んでいった。
「……お父様」
騎士と並んでもなんら遜色がない恰幅のよい体格と、鷲のように鋭い目――机に座って、淡々と書類に目を通す父を見た瞬間、シルビアはこらえきれず、呼びかけた。
「お父様、私が誰か、おわかりですか」
不思議そうに顔をあげる父の前で、マントを落とす。シルビアが姿を表すと、父は言葉を失っていた。両目を見開き、食い入るようにシルビアの姿を見ると、「なんてことだ……」とかすれた声を出す。
「まさか、そんな」
立ち上がり、よろよろと近づいてくる父に、シルビアもまた手を伸ばす。骨が折れるかと思うほど強く抱きしめられて、シルビアはうれしさのあまり、涙を流した。けれど続けられた言葉が、シルビアの心を深く傷つける。
「……お前なのか、レイシア」




