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第二十三話



 鍵をかけ、扉がちゃんと閉まっていることを確認してから、店を後にする。あれほど、店の外へ出ることを恐れていたというのに、シルビアの心は晴れやかだった。今なら何でもできる気がする。


 幸い、道を歩いていても、誰も自分の正体に気づかないようだ。以前より少し伸びたとはいえ、短い髪を隠すために、頭からショールを巻いているせいもあるだろうが、まさか平民の格好をして、護衛も供も連れずに王女が堂々と往来を歩いているなど、誰が想像するだろう。


 公開処刑を二日後に控えていても、城下町の様子はいつもと変わらず、人々は日々の生活に追われていた。住宅街では主婦らしき女性たちが集まり、井戸端会議に花を咲かせている。心中を迫られるほど男性に愛されるなんて女冥利に尽きるだの、王様はもっと王妃様を大事にすべきだとの、負傷した王妃に対する同情的な意見もあれば、子どもが二人もいながら、若い男にうつつを抜かすからこうなるのだ、自業自得だという意見もあった。


 住宅街を抜けて商店街に入った途端、喧噪が一気に大きくなる。


 ――そういえば、お母様は昔、この辺りに住んでいらしたのよね。


 母の日記を思い出しながら、シルビアは周辺を見回す。母が父のもとへ嫁いだのは十八の時で、今のシルビアと同じ歳だった。父は当時お忍びで城下町に降りてきては、国民の暮らしぶりを見、彼らの考えや意見に耳を傾けていたという。そんな時に母に出会い、恋に落ちた。


 母は最初、父のことを王城に勤める騎士だと思いこんでいたらしい。頻繁に民間薬を買い求めに来るので、よほど激務なのだろうと、気の毒に思っていたそうだ。父は父で正体を隠していたため、母の勘違いに便乗し、王族の護衛騎士として偽名を使っていたらしい。結果として、民間から王家に嫁いだ母だが、当時は父のことを意識しつつも、彼の求愛を断っていた。父の正体が国王だと気づいてからは、よりいっそう、父を避けるようになってしまったという。


 ――お母様はきっと、恐れていたのね。


 父と歩む未来を、父の背後にいる人々を。

 

 それでも、父を愛さずにはいられなかった母は、葛藤の末に彼の求婚を受け入れ、分不相応だという親族の反対を押し切って王の妻となった。

 

 ――愛しい人、必ず君を幸せにしてみせるから。

 ――私もあなたを幸せにすると誓うわ、ギル。


 ギルバートは、お忍びの時に使っていた父の偽名である。母は結婚後も、二人きりの時だけ、父のことを「ギル」と呼んでいたそうだ。日記に記された二人の会話を思い出して、シルビアはやりきれない思いがした。結婚したことに対しては、母は一度も後悔はしていなかった。ただ、王妃として、周囲の期待に応えられない、ふがいない自分を嘆いていた。


 ――ごめんなさい、ギルバート。あなたを幸せにしてあげられなくて。


 日記の最後のほうは、父への謝罪の言葉で溢れていた。そして出産後、自身の命が長くないことを悟ったのか、生まれて間もない娘への言葉が綴られていた。強く生きて。周囲に惑わされず、自分を貫きなさいと。そしてどうか、自分の代わりにギルバートを支えてあげて欲しいと。


 ――今からでも、遅くはないかしら。


 考えながら、シルビアは歩き続ける。

 王城は、すぐ目の前だった。


 ……


 背後に高い山々がそびえる王城は、まぶしいほど白く、青空との対比が美しい。高い城門の前で足を止めたシルビアは、入り口を塞ぐようにして立つ二人の衛兵に、そこをどくよう命じるが、


「去れ」


 直立不動の姿勢を崩さないばかりか、シルビアに一瞥もくれない。


「だったらお父様に伝えて。第一王女、アマーリエ・ルドヴィカ・シルビニアが会いに来ていると」


 顔を見れば、すぐに王女だと気づいてもらえると思ったのだが、甘かったようだ。衛兵らはシルビアの顔を少しも見ることなく、感情のこもらない声で「去れ」と繰り返し告げる。王城に詰めている兵士たちは、みな選び抜かれた強者揃いだ。とりわけ忠誠心が厚く、悪く言えば融通がきかない。女といえども、強引に中に入ろうとすれば、躊躇なく槍に突かれてしまうだろう。


 やはり平民の格好で王女を名乗るなど、無理があるのか。それとも姿かたちが問題ではなく、亡き王女が生きていること自体ありえないと思われているのか。


 ――どうすればいいの。


 ここまで来て、引き返すことなんてできない。

 シルビアは意を決して、足を踏み出した。


「止まれ」


 首から下げたお店の鍵をぎゅっと握りしめ、入り口に向かっていく。


「止まれ。それ以上近づけば命はないぞ」

「王女であるわたくしを殺せば、陛下が黙っておらぬ」

 

 心臓が今にも破裂しそうなほどどきどきしていたが、それを表に出すわけにはいかない。少しでも威厳が感じられるような足取りで、ゆっくりと近づいていく。


 そこで初めて、衛兵たちの視線がシルビアに向けられた。彼らは一瞬、信じられないという表情を浮かべたものの、すぐに表情を消して、槍をかまえた。


「亡き王女の名を語る不届き者めっ」

「もしや、ガジェ・ノーマンの関係者ではあるまいなっ」


 思わずどきりとしたものの、表面上は余裕の表情で微笑んでみせる。


「ではわたくしが本物の王女であった場合、おまえたちはどう責任をとるのだ? その首を差し出し、陛下に許しを請うのか?」


 わずかに動揺を見せた衛兵たちに、畳みかけるように声を張り上げる。


「わたくしはアマーリエ・ルドヴィカ・シルビニア、エドワード王の娘である。わたくしを父王のもとへ案内せよ。さもなくば――」


 さもなくば……何だろう。しかし思わせぶりに言葉を切ったところで、衛兵の一人が武器を落としてひざまずいた。


「間違いない、この方はアマーリエ王女……まさか生きておられたとは」


「だまされるなっ」ともう一方の衛兵が叫ぶ。「この女が、陛下のお命を狙わんとする暗殺者だったらどうするのだっ」


「何を――この方のお顔を見ろ、前王妃の生き写しではないかっ」

「まじない師に依頼すれば、見た目などどうとでもなるわっ」


 二人の衛兵が言い争いをしている隙に、入口を通り抜けようとしたシルビアだったが、「待てっ」と腕を捕まれ、そのままひねりあげられてしまう。あまりの痛みに気を失いかけた瞬間、首から下げていたお店の鍵が光り出した。


 咄嗟に目を閉じたシルビアだったが、衛兵らは強烈な光に視界を奪われ、硬直する。拘束がとかれ、反射的に逃げ出すが、


「まったく、相変わらずの猪突猛進ぶりですわね、姫様」


 ゆったりとした口調と、耳に優しい低めの声には聞き覚えがあった。いつの間にか光は消え、声がした方向へ顔を向けると、ローブを着た柔和な顔立ちの女性が、シルビアを守るようにして立っていた。

 

「ちっとも会いに来てくださらないから、こちらから参りましたわ」

「リリィっ」



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