第二十二話
王妃殺害未遂により、王妃付きの騎士ガジェ・ノーマンが投獄されたという知らせは、王国全土を駆けめぐった。王妃を愛するあまり、無理心中を図ろうとしたとの、侍女や小間使いの証言により、ガジェ・ノーマンは一切の尋問を受けることなく、地下牢に繋がれた。王妃は短剣で腹部を刺されたものの、コルセットに阻まれたおかげで致命傷には至らなかったようだ。主治医による治療と宮廷まじない師による自然治癒力強化のまじないにより、急速に回復に向かっているという。王妃の侍女から報告を受けた国王は、即刻ガジェ・ノーマンへの死刑を言い渡した。なお、二度とこのような事態が起きぬよう、王の名の下、二日後に王城前広場にて公開処刑を行うというお触れが出された。
「シルビアさんっ」
その日はお店を休んで、部屋という部屋を掃除していたのだが、扉を激しく叩く音に、びくっとしてしまう。こわごわ扉を開けると、今にも泣き出しそうな顔をしたトーマスがいて、シルビアは目を見張った。
「今日は呼んでいないはずだけど……」
「ガジェ様が、ガジェ様が――」
動揺している様子のトーマスをなだめながら、近くの椅子に座らせる。
話を聞いて、シルビアは言葉を失った。
「……ガジェ様が王妃様と心中を図ろうとしたなんて、僕には信じられません」
それはシルビアも同じ気持ちだった。
「僕が厩でガジェ様と話をしていた時、ジョスリンさんが呼びに来たんです――ジョスリンさんが復職していたなんて、僕は知らなくて、とても驚いたんですけど、王妃様がお呼びだと聞いて、ガジェ様はひどく厳しいお顔をなさっていました。それから僕に、厨房で残り物をもらって、孤児院へ持って行くよう、お命じになりました」
日暮れ間近だったこともあり、そのまま孤児院で一泊し、翌朝、人づてに王城での事件を知ったのだという。前もって、自分に何かあった時は、シルビアを連れて孤児院にいるマザーを頼れと、ガジェに言われていたため、シルビアを呼びにこの店に来たのだと、トーマスは言った。
「どうしてこんなことになったのか、シルビアさんはガジェ様から何か聞いていませんか?」
すがりつくように問われて、シルビアは息を止めた。
――近いうち、王城で騒ぎが起きる。その隙に逃げればいい。
ガジェの言葉を思い出して、シルビアはまさか、とかぶりを振った。自分を逃がすために、彼がそこまでするはずがない。けれど、最後に会った時のガジェの表情を思い出して、胸がざわついた。何かを吹っ切ったような、シルビアに向けられたあの笑顔――。
――俺があの場であなたを逃がしたのは、王妃の命令だったからだ。
黙っていれば済むことなのに、故意に突き放すような言い方をしたのはなぜか。トーマスを自分に任せたいと言ったのは、あの時既に、こうなることがわかっていたからではないのか。
――俺があなたを殺すと、本気で思っているのか。
私を殺さないために……生かすために、なぜあなたが犠牲にならなければならないの?
シルビアの瞳から、いつしか涙が流れていた。「シルビアさん?」とこんな時でも自分を心配してくれるトーマスを抱きしめ、シルビアは声をあげて泣いた。これまで押さえこんでいた感情があふれ出して、自分でも止められない。
――シルビア。俺がもし、あなたのことを……。
あの時、彼は自分に何を伝えようとしていたのか。
いくら考えてもわからないけれど、
「…………あきらめるのは早いわ」
シルビアは涙を拭い、顔をあげる。
同じように涙を流すトーマスを見下ろして、力強く微笑んでみせた。
「彼はまだ、生きてるんだもの」
とにかくガジェに会わなければと思った。会って、話をして、自分の質問に答えてもらいたい――彼の本心が知りたいと思った。
「トーマスも、ガジェに会いたいでしょう? 言いたいことが山ほどあるはずよ」
「でも、ガジェ様は王城の地下牢に……」
「だから、今からそこへ行くのよ」
わざわざドレスに着替える必要なんてない。ありのままの姿で父に直談判しようと、シルビアは決意した。自分が生きていることがわかれば、いくらシルビアに関心がない父親でも、王妃の悪事に気づいてくれると信じて。
――王妃様の命により、あなたには死んで頂きます。
あの時逃げたのは、生存本能に従っただけ。守りたいものなんて何もなくて、ただただ、自分の居場所が欲しかった。誰かに、必要とされたかった。
今一度、居心地の良い店内を見回して、目を閉じる。ガジェ、トーマス、イツカ、ジョスリン、このお店に来てくれる大切なお客さんたちの姿を思い浮かべて、シルビアはぎゅっと拳を握りしめた。
――今度は逃げないわ。逃げて、たまるものですか。
うまくいく保証はないけれど、これ以上、継母の好きにはさせない。今頃、彼女は我を忘れて怒り狂っているはずだ。飼い犬に手を噛まれたことで、よりいっそう、シルビアに対する憎しみを募らせているだろう。
――あの人が目を向けるべきは自分自身なのに。どうしてそれがわからないの。
さすがにトーマスは連れていけないので、彼には店の留守番をお願いした。
店にいる限り、トーマスは安全だ。
「鍵をかけて行くから。ひとりで外へ出てはダメよ。食料はたっぷりあるし、家にあるものは何でも自由に使ってくれていいいから」
両肩に手をおいて言い聞かせると、彼は不安そうな顔をしていた。
「本当に王城へ行くつもりなんですか?」
「ええ」
「一人で?」
「もちろん」
「せめて、マザーに会ってからではいけませんか?」
「その、マザーという人は何者なの?」
詳しいことは聞かされていないのだと、トーマスは首を振った。
「ですがとても親切な方で、子どもたちからも慕われています。ガジェ様もマザーを信頼されて、よくお二人で話をされていました」
「そんなに仲がいいの」
思わずむっとしてしまい、そんな自分に笑ってしまった。
不謹慎とは思うが、こんな時でも笑える自分が不思議だった。
「僕、おかしなこと言いましたか?」
困惑するトーマスに、「いいえ、違うの」と慌てて笑いを引っ込める。
「あなたたちがその女性のことを、とても信頼しているのはわかったわ。でも、私はよく知らないし、何より今は時間がないの。ごめんなさい」
見送りはいいからと言って、最後にトーマスを抱きしめる。
「必ずあの人を連れて帰るから。信じて、待っていてね」




