第二〇話
継母の影に怯えて、一人でじっと考えこむより、お客さんの相手をしていたほうが気が紛れると思い、翌日もシルビアは店を開けた。三人目のお客さんの対応をしていると昼になり、休憩中のふだを表に出したところで、ミリアーナが来るのが見えた。
「あら、タイミングが悪かったみたいね」
「かまいませんよ、どうぞお入りください」
「いいの?」
「ミリアーナさんは特別です」
シルビアはミリアーナのために、彼女のお気に入りであるローズティーを淹れる。手作りのスコーンとジャムもつけて、裏庭でくつろいでいる彼女の元へと運んだ。
「薔薇ジャム、試しに作ってみたんですよ。よかったら食べてください」
「ありがとう、シルビアちゃんも一緒に食べましょう」
お言葉に甘えて、と彼女の前の椅子に座る。
「甘さ控えめでおいしいわ。香りも良いし」
「とても王女が作ったものとは思えないでしょう?」
その言葉に、ミリアーナの顔が凍り付いた。「シルビアちゃんったら」と咄嗟に取り繕おうとしたようだが、うまくいかなかったようだ。表情をこわばらせ、視線を泳がせている。
「どうして生花店で働いてるなんて嘘をついたんですか」
「きゅ、急にどうしたの」
「以前、フローラというお店で働いているとおっしゃってましたよね。昨日そのお店に行ったら、ミリアーナという名の女性従業員はいないという話でした」
トーマスに確認してもらったので、間違いはない。けれど彼女は、最近勤め先を変えただの、店名を間違えて記憶していただのと言い出した。彼女の言葉を信じたいと思いつつも、シルビアはガジェが残していったハンカチを取り出して、彼女の前に置いた。
「あなたのことを教えてくれた人がいるの」
ガジェからはっきりと彼女の名前を明かされたわけではないが、鎌をかけると、ミリアーナはあっさりと崩れ落ちた。真っ青な顔で地面にひざまずき、
「どうかお許しください、殿下っ」
血を吐くような叫びをあげる。彼女の正体は、数年前までシルビアの身の回りの世話をしてくれた小間使いの一人だった。庭師の娘で植物に詳しく、シルビアも彼女のことを気に入っていたのだが、ある日突然姿を消してしまった。後日、継母に解雇されたと知らされ、それから一度も会うことはなかったが――彼女の正体が分かった瞬間、シルビアの中で何かが弾けた。
「ジョスリン、あなただったの」
顔も名前も、はっきりと覚えているにも関わらず、今の今まで気づかなかった。化粧や髪型を変えて変装しているようだが、それでもこれほど近くで接していて、気づかないはずがない。記憶している顔がわからないなんて、そんなことありえるのかと混乱したが、
「まじないのせいです、殿下」
彼女が自ら正体を明かしたことで、その効果が切れたらしい。
また、彼女の場合、この店の店主が第一王女であることは既に情報として知っていたため、店のまじないがほとんど効かなかったようだ。彼女は常連客になりすまし、この店で見聞きしたことを全て王妃付きの侍女に報告していたという。
「家族のために、したことでございます」
同僚のミスをかぶせられ、王妃に解雇された後、彼女は城下町で働く弟の家に身を寄せていたという。その弟が突然病で倒れ、すぐに医師に診せたものの、余命を宣告されてしまったらしい。しかしまじない師であれば弟の命が救えるのではないかと、藁にもすがる思いで、王城へ出向いた。その際、王妃の侍女に目を付けられ、現在に至るというわけである。
王妃の命令に従えば、その見返りとして、不治の病を患う弟を助けてやると言われたそうだ。医師では治せない病も、甥のまじない師の力をもってすれば、それが可能だと。一方で、命令に従わなければ、弟だけでなく、父親の命もないと脅され、彼女に拒否権はなかったという。
「……申し訳ありません」
「あなたが謝ることではないわ。よく、話してくれたわね」
緊張の糸が切れて、泣き崩れるジョスリンの肩に、シルビアはそっと触れた。継母は自分を――先妻を憎むあまり、周りが見えなくなっているらしい。彼女に対する怒りが再燃すると同時に、このままではいけないと、強く思った。
「これは、貴女様親子に対する復讐なのだと、王妃様はおっしゃっていました」
王妃が考えた筋書きを、ジョスリンはぽつぽつと語ってくれた。
王女暗殺の命を受けた一人の騎士が、王女の命乞いを聞き入れ、彼女を逃がす。王女は命の恩人である騎士に感謝し、まもなく、二人は再会する。その後、騎士に恋をした王女は胸のうちを告白し、騎士はそれを受け入れる。
「そして王女は殺されるのです、愛する人の手によって」
以前のシルビアなら、鼻で笑っていただろう。悪趣味極まりない、継母の考えそうなことだと。けれど今は、唇を噛みしめて、泣き出したいのをこらえるので精一杯だった。
「ノーマン様は乗り気ではございませんでした。ですが王妃様の命令には逆らえません。わたくしは、少しでもノーマン様のお役に立つようにと、派遣されたのでございます」
これまでの彼女の行動を思い出して、なるほどと頬をひきつらせる。
「だから、この店で買ったハンカチを、わざわざ彼に持たせたのね」
まんまと、彼女の策略にはまってしまったようだ。あの時、ガジェが王妃のことを口にしなければ、あの女の筋書き通りに事は運んでいたのだろうか。
「殿下、わたくしは今後どうしたら……」
全てを吐き出し、幼子のように途方にくれる彼女を抱きしめながら、シルビアは慎重に口を開いた。
「私のために嘘をつく必要はないわ。これまで通り、ありのままを報告なさい。ガジェ・ノーマンのせいで、私に正体を知られてしまったと」
これ以上、彼女や彼女の家族を危険な目に遭わせるわけにはいかないと、強い口調で言った。するとジョスリンはいっそう泣きだし、「申し訳ありません、申し訳ありません」と謝罪の言葉を繰り返した。
「私のことは心配しないで。ちゃんと考えているから」
今すぐにでも店を出て、孤児院にいるマザーという女性を訪ねるべきだろうか――考えて、シルビアは自嘲した。ガジェのことを信じられないと言いながら、彼の言葉に従うのか。
――できないわ、そんなこと。
誰も信用できないというのなら、自分の力でどうにかするしかない。けれど具体的にどうすればいいのかわからず、シルビアは唇を噛みしめた。




