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第十八話




「もう来ないかと思ったわ」


 久しぶりにガジェの姿を目にして、シルビアは何とも言えない気持ちになる。しかし彼から「話したいことがある」と言われて、「私もよ」と素直に返した。


「ちょっと待ってて」


 外に「準備中」の札を出して、鍵を閉める。ついでに台所に入って、お茶の支度もした。話し合いにお茶とお菓子は欠かせない。カモミールティーに、スイートバイオレットの花びらの砂糖がけを添えて持って行く。砂糖がけは、摘んだばかりの花びらに卵白を塗り、細かくすりつぶした砂糖をふりかけて乾燥させただけの、簡単なお菓子だ。簡単だけど、見た目が綺麗で香りも良い。お客さんが色々と教えてくれるおかげで、お菓子のレパートリーもたいぶ増えてきた。


「おまちどうさま」


 手早くティーセットを並べて、椅子に座る。ポットからカップにお茶をそそぐ際、甘い香りが漂ってきて、気持ちが落ち着くのを感じた。


「それで、話って何?」


 珍しく思い詰めた表情を浮かべ、お茶にも口をつけずに黙りこんでいる。いつまで経っても口を開かないので、「先に私から話してもいいかしら?」と訊ねると、不思議そうな視線を向けられた。


「この前、あなたの質問に答えられなかったから……」


 ――俺やトーマスに見張られて、イヤではないのか。俺から逃げて、ここを出て行きたいと思ったことは?


「私、ここが好きなの。このお店や、このお店に来てくれる人たちが大好きなの。だからもう、逃げないって決めたわ」


 力をこめて言い、お茶を飲んで唇を湿らせる。


「仮にあなたに殺されたとしても――もちろん、黙って殺されるつもりはないけれど、むしろ全力で戦うわよ。ただ逃げるより、戦うほうが私の性に合ってるみたいだし……」


「……俺があなたを殺すと、本気で思っているのか」


 ようやく口を開いたかと思えば、あまりに心外そうに言うものだから、つい笑ってしまった。


「殺そうと思えばいくらでもチャンスがあったのに、あなたはまだ私のことを生かしてくれている。その気はないのだと、私だって思いたいわ。でもあなたは何かを隠してる」


 ガジェは考えこむように顔を伏せ、ふうと息を吐いた。


「わかった」

「わかったって、何よ」

「あなたを説得するのが非常に困難だということがわかった」


 もしや喧嘩を売っているのかと眉をひそめるが、ガジェは何かを吹っ切ったように笑っていた。思わずぽかんとしてしまい、誤ってカップを倒してしまう。半分以上もお茶をこぼしてしまい、慌てて拭くものを探していると、


「これを使え」


 思い出したように差し出されたそれは、真っ赤な薔薇の刺繍がほどこされた、イツカの手製のハンカチだった。咄嗟にミリアーナのことが脳裏をよぎり、かっと頭に血が上った。


「必要ないわ」


 いったん台所に布巾を取りに行き、こぼれたお茶を手早くふき取る。

 ガジェは所在なげに手をおろすと、


「何を怒っているんだ」


 あれがミリアーナからの贈り物だとしたら――イツカの商品は今のところうちの店でしか扱っていないし、ほぼ間違いないだろうが――彼は赤い薔薇の花言葉を知った上で、それを受け取ったのだろうか。それ以前に、女性からの贈り物をガジェが受け取ったという事実に、シルビアはショックを受けていた。


「……そのハンカチ、女性ものよね。どうしてあなたが持っているの」

「それより顔色が悪い、少し休んだほうがいいのではないか」

「答えてっ」


 たまらず大声を出してしまい、シルビアははっとして自分の口を押さえた。何をむきになっているのか。いくら気になるとはいえ、問いつめるみたいな言い方をして。そんな権利は自分にはないというのに。


 呆気にとられている騎士を見て、恥ずかしさのあまりいたたまれなくなる。


「ごめんなさい、でも、イヤなのよ。あなたがそれを持っていると、ものすごくイヤな気持ちになるの」


 思い切って、正直な気持ちを打ち明けた。贈り主に嫉妬していると思われるかもしれない。いきなり怒り出して、変な女だと思われるかもしれない。それでも、


「おかしいわよね、どうしてこんなに、あなたのことが気になるのかしら。あなたは何一つ、自分の気持ちを明かしてくれないのに」


 彼はハンカチを投げ捨てると、立ち上がり、信じられないというように、シルビアの顔をのぞきこむ。


「……俺は元奴隷だ」

「ええ、それが何?」


「俺の中には、獣人――蛮族の血が流れている。幼い頃、それを理由に何度も殴られた。魔力の恩恵を受けられない、哀れな種族だと」


 あまりのことに、シルビアは息を飲んだ。


 かつて、ガジェのいた国ではほとんどの国民が魔力を有し、日常的に魔術が使われていたらしい。ゆえに、人々は魔術の効かない体質である獣人を恐れ、蔑視の対象とみなしていたそうだ。


 シルビア自身、宮廷まじない師がほどこしてくれたまじないに助けられている点が大きいため、後ろめたく思う以上に感謝しているものの、これまでガジェが受けてきた理不尽な仕打ちを思うと、涙が溢れて止まらなかった。


「なぜ泣くんだ」

「わ、私のこと、甘えてるって思ってるでしょ」


 まぶしいものを見るように、ガジェは目を細めた。


「俺とあなたとでは、生まれた国も立場も違う」

「でも今は立場が逆転しているわ。私はただの町娘で、あなたは王妃付きの騎士様だもの」

「……あなたはあなただ」


 傷だらけの大きな手が、こわごわ近づいてくる。

 ぎこちない手つきで涙を拭われ、そっと顔を寄せられる。


「俺以外にも、王妃の手の者がこの店に来ている」


 耳元で囁かれた言葉に、シルビアは息を止めた。

 そっと見上げると、ガジェの表情が皮肉げにゆがんでいた。


「俺はあなたに感謝されるような人間でも、同情してもらえるような人間でもない。俺があの場であなたを逃がしたのは、王妃の命令だったからだ」



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