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第十六話



「イツカ、紹介するわね。彼はトーマス・ジェイン。このお店の臨時従業員で、色々と手伝ってもらっているの。トーマス、彼女はイツカ・ベルタ。この棚にある商品は全て彼女が作ったのよ」


 へえ、と感心するトーマスに、イツカは首を傾げている。


「臨時従業員?」

「彼の本業は別にあるから」


 なるほど、とうなずき、イツカはトーマスに向かって手を差し出す。


「初めまして、イツカ・ベルタよ。わたしもいくつか仕事を掛け持ちしてるの。お互い頑張りましょう」


 トーマスはイツカの赤い目を見て、一瞬息を飲んだようだったが、あえてそのことには触れずに、恥ずかしそうに彼女の手を握り返した。

 

「ど、どうぞよろしく」


 珍しく、トーマスが耳を赤くしてはにかんでいる。これはまさか……と、シルビアは胸を高鳴らせた。それとも、彼女の赤い瞳に、敬愛する主人の姿を重ねているだけだろうか。


「それじゃあ、次の仕事に行かなきゃなので、失礼します」

「無理しないようにね」

「平気です。体力には自信あるから」

「これくらいしかできなけど。休憩時間にでも食べて」


 焼き菓子が入った袋を渡すと、イツカの赤い目が輝いた。


「ありがとうございますっ。シルビアさんのお菓子、大好きなんですっ」


 イツカが立ち去ると、トーマスはぼうっとした様子で彼女の後ろ姿を見送っていた。「おーい」と顔の前で手を振ると、我に返ったようにこちらを向く。ようやくシルビアの存在を思い出してくれたらしい。


「イツカちゃんのこと、気に入ったみたいね」

「ぼ、僕は別に……ただ、彼女の瞳がとても綺麗だったから……」

「ガジェ・ノーマンより?」

「いじわるな質問をしないでください」


 にらまれて、ごめんなさいと頭を下げる。

 ふいにトーマスは真面目な表情を浮かべると、


「ガジェ様といえば、最近、ご様子がおかしくないですか?」

「おかしいって、どんな風に?」

「どこかぼうっとしているというか、うまく説明できないんですけど」

 

 わからない。自分の目にはいつもと変わらないように見えるが、トーマスは本気で心配している様子なので、うかつなことは言えない。


「仕事で疲れているんじゃない?」

「だといいのですが」


 ……


 テーブルの上を片づけていると、窓から、こちらに向かってくるガジェの姿が見えた。途端、シルビアは落ち着かない気持ちになり、店内の中を行ったり来たりしてしまう。けれどいつまで経っても中に入ってこないので、気になってもう一度窓から外を見てみると、誰かと立ち話をしているようだった。


 ――あれは、ミリアーナさん?


 何も知らなければ、ただの偶然だと思っただろう。先日の、ミリアーナとのやりとりを思い出しながら、シルビアは無意識のうちに唇を噛んだ。まさか、これほど行動力のある女性だとは思わなかった。おそらく、店の近くで彼を待ち伏せしていたに違いない。

 

 さらに驚くことに、女性に対し、宮廷では冷ややかな対応をしていたガジェ・ノーマンだったが、ミリアーナに対しては、少し様子が違うようだ。表情に変化はないものの、真剣に彼女の話に耳を傾けているように見えた。二人はどんな話をしているのだろう。一方的にミリアーナが話しかけているようにも見えるが、雰囲気は悪くない、ように思える。そもそも、嫌いな相手であれば、長く会話したりしないはずだ。


 ――相手がミリアーナさんだから?


 なんだかもやもやしてしまう。この気持ちは何だろう。もしかしてミリアーナに嫉妬しているのか。顔を伏せてうつうつと考えていると、

 

「……何をしている?」


 いつの間に入店したのか。ガジェが入口の前で怪訝そうに自分を見下ろしていた。ミリアーナの姿もない。「い、いらっしゃいませ」と愛想笑いを浮かべ、慌ててその場を取り繕うが、彼の眉間のしわがいっそう深くなっただけだった。


「……ミリアーナさんと何を話していたの?」


 訊くつもりなんてなかったのに。

 彼の顔を見たら、我慢できなかった。


「ミリアーナ?」

「さっき、すぐそこで話してたでしょ?」


 ああ、彼女のことか、とつぶやき、視線をそらす。


「たいした話じゃない」


 濁されて、余計に気になってしまう。


「本当にたいした内容でなければ、話せるはず……」


 ガジェにさぐるような視線を向けられて、シルビアは口を閉じた。これではまるで、彼を責めているみたいだと、恥ずかしくなってしまう。


「ごめんなさい」

「なぜ謝るんだ」

「私には関係ないわよね」


 そうだな、と肯定されるのが怖くて、ガジェが何か言う前に、話題を変える。


「そういえば、トーマスがあなたのことを心配していたわよ。最近、ぼうっとしてるって」


「あいつの心配性は今に始まったことじゃない」


 そう言いながらも、苦虫を噛み潰したような顔をして、いつもの椅子に座った。シルビアはいったん台所に行き、疲労回復効果のあるレモングラスティーを淹れる。


「飲んでみて、疲れがとれるから」

「シルビア」


 ためらいがちに名を呼ばれ、はっとして彼を見る。


「なに?」

「俺がもし、あなたのことを……」


 途中で言葉を切り、自嘲気味に笑う。


「いや、何でもない。気にしないでくれ」


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