第十二話
「ああ、それ。あたしも経験あるよ」
裏庭のテーブルに、あるだけのお菓子――定番のクッキー、チョコレートブラウニー、最近凝っているスコーンとジャム、クリームサンド――を並べて、お茶を振る舞うと、ミリアーナは「きゃあ」と歓声をあげた。「いいの? こんなに」「どうぞどうぞ。相談料ですから」「それじゃ、遠慮なく」
ひとしきりもぐもぐした後、ミリアーナはふうと息を吐き、
「うまくあしらえる時もあるし、あしらえない時もあるわね。少しでも顔に自信がある奴は、面倒くさくてイヤになるわ。失礼がないよう遠回しに断っても気づかないし、きっぱり言ったら言ったで、お高く止まってんじゃねぇよ、とか、本気にとんなブス、ってキれられちゃうし」
「ミリアーナさんでもそうなんですね」
「ってか、こんな話してたら、声をかけられるだけありがたいと思いなさいってママに叱られちゃうんだけどね。あんた何様よー男性陣がかわいそうって。あたしだって声かけられたいー、即OKなのに、って浮気はダメでしょ」
「……確かに、相手の立場になって考えると……」
「相手にもよるけどねぇ。シルビアちゃんは恋人とかいないの?」
「い、いません」
一瞬ガジェ・ノーマンの姿が思い浮かんでしまったのが、「ないない」とかぶりを振った。
「そんなに美人さんなのに? でもシルビアちゃんって、なんでか印象に残らないっていうか、ものすごく影が薄いんだよね。そのせいかな」
首を傾げながら、クッキーを次々口のなかに放り込んでいく。
まじないの効果か、それとも本当に印象が薄いのか、判断に迷うところだと、シルビアは苦笑いを浮かべた。
「店員を新たに雇ったら人件費がかかるし。こういう時、知り合いにまじない師がいればねぇ」
その時、護身用のまじないが施された鍵の存在を思い出して、シルビアは思わず手を胸元にあてた。鍵はいつも胸からさげて服の下に隠しているし、何も心配することはなかったのだ。
祖父の後ろで、いつも穏やかな笑みを浮かべていた宮廷まじない師を思い出して、胸が痛んだ。彼女はどうして、姿を消してしまったのか。父王でさえ、彼女に対しては敬意をもって接していたというのに。
――あの人が何かしたに違いないわ。
元侯爵令嬢であった王妃の家は、これまでに多くのまじない師を輩出した名家で、王妃自身に魔力はそなわっていないものの、甥がまじない師として宮廷を出入りしている。リリィ・ジェイトンが姿を消したあと、王妃は自分の甥を後任に据えるよう、王に進言したらしい。
――お父様はどうして、あの人を野放しにしているのかしら。
愛人の件にしてもそうだ。いくらガジェ・ノーマンがその対象にならないとはいえ、宮廷で噂になっているのだから、王妃に自重するよう注意すべきなのに。最初は興味がないだけかと思っていたけれど、もしや単にあの女の尻の下に敷かれているだけではないかと……王妃に対して弱みがあるから、彼女に表立って注意できないのではないかという気がしてならなかった。
――それは、まだお母様のことが忘れられないから?
母は父を愛していた。日記に書かれていたので間違いない。けれど宮廷での生活は母の性に合わなかったようだ。看板娘として生き生きと働いていた母が、厳しいお妃教育を経て王妃となって以降、徐々に憔悴していく様が文面から伝わってきて、息が詰まった。父は周囲の反対を押し切ってまで、母を王妃にした。その重圧に耐えられなかったのだろう。母はシルビアを産んでまもなく亡くなり、新たに王妃となった継母は立て続けに二人の子どもを産んだ。異母妹と異母弟である。後継となる王子の誕生に国王の側近らは歓喜したらしい。周りが先妻の子である自分より、継母の子を重んじるのは当然のことだった。
「おいしかったー、満足満足」
というミリアーナの声にはっと我に返る。
「これっていう対処法は思いつかないけど、仕事は仕事って割り切って、毅然とした態度で接すれば大丈夫じゃないかな? 暴力をふるわれたり、しつこく付きまとわれたりしたら考えなきゃならないけど。そこまではいってないわけだし」
そうですね、とシルビアはうなずいた。相手の言葉を真に受けてつい失礼な態度をとってしまったけれど、もしかしたら冗談である可能性もあるのだ。――それなのに、私ったら過剰反応して……。
「シルビアちゃんは若いから大変だね」
「ミリアーナさんも、でしょう?」
そだね、と目を細めてティーカップに口をつける。
「シルビアちゃんが淹れてくれるお茶、あたしは好きよ。お茶がおいしく飲めるって、最高の贅沢だよね。嫌なこと全部忘れちゃう」
幸せそうな顔でカモミールティーをすするミリアーナを見て、シルビアは胸の奥が温かくなるのを感じた。
――私は、この瞬間が一番好き、かも。
これまで考えたこともなかった。やってみたいとも思わなかった。誰かのためにお茶を淹れて、お菓子を焼いて、それをおいしいと言って食べてくれる人がいる。それが、こんなにも嬉しいことだったなんて、知らなかった。




