猟犬
「猟犬の鼻ってのはごまかせねぇ」
聖国外れの山中、追跡していた獲物を無事仕留め、講義を始めたのはケプラマイトにとって三人目の師であり、四人目の標的。
凄腕の暗殺者にして狩人、『罠師』の異名で知られるダルムスクだった。
本人は冤罪だと訴えているが、天神教の最高位となる『教皇』の暗殺を企てたとして手配されている。
真偽は不明。
天神教では──あるいは、他の権力を持つ組織なら大抵、不都合な真実を知る人物には嫌疑をかけるものだ。
ケプラマイトにとって真実は二の次だった。
この男が学ぶべき師であり、かつ、斬り甲斐のある男、大事なのはその二点だ。
「見ろ、コイツを」
ダルムスクからの講義の続きに、ケプラマイトは考え事から意識を戻した。
仕留めたばかりの竜頭鹿の腹部へとナイフを入れ、腹を開き、肝臓を一部切り取ってから愛犬へと与える。
手慣れた作業を行いながらダルムスクは続けた。
「毛皮が汚れているだろう? コイツ等は定期的に獲物の糞尿に身体を擦り付け、天敵の鼻を誤魔化そうとする。それで誤魔化せる相手もいるが⋯⋯猟犬相手には無理だ」
「何故ですか?」
「猟犬は一度覚えた匂いは忘れない。だから間違えない。どんなに強い匂いを上から付けようと、僅かな匂いの違いを嗅ぎ分け、元の匂いに辿り着き、判別する」
「なるほど」
「だから猟犬へ対処する方法は三つ。そもそも匂いを覚えられないようにする、最初に嘘の匂いを嗅がせる、匂いを覚えられたら殺す、だ」
「いやぁ、勉強になりますね」
実際、この講義はとても為になった。
ケプラマイトがダルムスクを殺した時、まずは彼の猟犬から仕留めた。
王都内層部にある、癒やし手のアジトを出たのち、ケプラマイトは自らが別に用意していた、外層部にある仮住まいへと向かった。
ピッケルを斬る算段は付けてある。
まず、ケプラマイトは仮住まいで目を覆うようなマスクを外した。
付けていた本人にはわからないが、これによりケプラマイトの外観は変わっているはずだ。
このマスクはダルムスクを標的にした際に魔導具職人に依頼した特注品で、顔や身体付きなどの印象、声、体臭などを変化させる。
つまり、別人になれる。
ダルムスクが講義した三つの猟犬対策に、もう一つ付け加えられたもの。
猟犬の鼻ですら誤魔化せる逸品だ。
問題は、あのピッケル・ヴォルスの目をどこまで誤魔化せたか? ということだ。
今までこの魔導具を着脱し、同一人物だと見抜かれた事はないが、相手は化け物。
じっくりと観察されたらボロが出る、と考えた方が良いだろう。
決めるなら、初撃。
初撃で殺す。
着ていた衣服を脱ぎ、用意してあった物へと着替える。
内層部を巡回する兵士が身に付ける制服だ。
昨日のやり取りで、ピッケルが王の孫、つまりデュエルマン公爵の又甥だということについては確定した。
ならば、公爵家周辺に『罠』を設置する──定石通りなら、出入り口た。
それ以外の場所だと行動範囲が広まり、罠に適切な場が絞りきれない。
斬撃を『予約』できるのは三カ所、合計二十四振り。
そのうち一カ所、八振りを、昨晩のうちに衛兵の目を盗み、公爵家の門周辺に設置した。
対セインガル用に用意してあった二カ所、十六振りは、今日癒し手を抜けるやり取りの際に使用したので、また再設置できる、が。
「さらに斬撃を設置するのは⋯⋯無駄だろうな」
初撃で殺す、と決めたのは、あの男相手に二撃目を打てるとは思えないからだ。
初撃を外せば、逃走を含めて打てる手は無いだろう。
本来なら失敗した時のために逃走ルートに斬撃を設置し、逃げ切る為の補助手段としたいところだが、あの男相手にそれが有効だとは思えない。
外せば逃げる暇などなく、即、負けが確定する。
今設置してある斬撃で決めるしかない。
元々あれほどの相手に確実性を求めても仕方ない。
「よし、行くか⋯⋯失敗すれば死ぬ、それだけの話だ」
ここで死ぬのなら、ハナから無理だろう。
──神を斬ることなど。
ケプラマイトは覚悟を決め、仮宿を出た。
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デュエルマン公爵に会う。
ピッケルが自分の意志を伝えると、アスナスは頷いた。
「わかった。君がそう言った場合は、ということで伝言がある」
「伝言? 誰からですか?」
「君のご両親だよ」
「え? 父さんと母さんから?」
「ああ。君たちが西に行く決意が固いなら、邪魔になると思ったんだろうな。その場合は伝えなくていい、と言っていた」
「えっと。アスナス様はお二人に会った、ということですか?」
「ああ」
ミネルバの疑問に答えるべく、アスナスは説明を始めた。
「二人が私を訪ねて来たのは二日前。君たちの祖父君から、国王陛下の現状を聞いて王都へ来たらしい。そして、君たちが陛下とのご面会を望まず西へ向かうなら、王都に二人がいることはいちいち言う必要はない、と言われたな」
二日前ということは、自分たちが王都に着く前日だ。
「へー。じいちゃん帰ってきてるのか。会いたいな」
「そうね。早く色々終わらせて、帰らないとね。それで、伝言はなんですか?」
「ああ。陛下との面会を希望するなら、デュエルマン公爵を頼れ、と。二人もそのつもりだから、そこで合流しよう、とのことだ」
「わかりました。じゃあ早速、そのデュエルマン公爵って人の家に行こう」
ピッケルの言葉に、アスナスは首を横に振った。
「いや。たぶん、わざわざこちらから会いに行く必要はない」
そんなアスナスの予言通り、公爵家には自ら出向く必要はなかった。
しばらく冒険者ギルド監督庁で待っていると、公爵家より迎えが来たのだ。
先ほどの秘書が報せたのだろう。
迎えの男はミネルバの目から見て、如何にも気位の高い人物に見えた。
それに相応しい武骨で、迫力を憶える面相だ。
おそらく武官上がりだろう、と思った。
男はピッケルを見たのち、アスナスへと視線を移したあとで、苦笑いしながら溜め息をついた。
「アスナス殿も人が悪い」
その一言でミネルバは察した。
恐らくアスナスは、ピッケルを見てもクワトロの息子かどうかはわからなかった、というような嘘をこの男についたのだろう。
ピッケルとクワトロは、はっきりいって一目見れば親子だとわかる。
アスナスは、自分でも通用しないだろうとわかってるであろう言い訳を平気で口にできる、面の皮の厚さがある。
今回もそうだった。
「すみません、最近老眼でして。先ほど確認したのですが、やはりクワトロの息子のようで」
「いえ、恨み言は言いません。アスナス殿にも事情がおありでしょうから」
どうやら、済んだ事に頓着しない人物のようだ。
男は改めてピッケルへと向くと、一礼しながら自己紹介を始めた。
「はじめまして。私はロイネスと申します。デュエルマン公爵家執政として、家長である公爵様の補佐として家の事を取り仕切っております。本日はピッケル様を当家にご招待させて頂きたく参上致しました」
ロイネスの挨拶を受け、ピッケルが一礼と共に自己紹介を返した。
「俺はピッケルです。父はクワトロ、母はシャルロット。両親は有名なようですが、二人は俺を農家の息子として育て、俺自身も、しがない農家の息子だと自認しております。それでよろしければご招待をお受け致しましょう」
ピッケルの言葉に含まれた意味に、ロイネスはもちろん気がついただろう。
自分は王になる気など一切無い、という宣言だ。
ロイネスは特に考える様子もなく、即座に頷いた。
「勿論、それで結構です」
説得する自信がある、ということなのだろうか。
ミネルバがロイネスの真意を計りかねていると⋯⋯。
「できれば妻も」
というピッケルの一言。
ミネルバはハッとした。
これは、仮にミネルバが公爵家への招待を断られても、自分一人でも赴く、というピッケルの意思表示。
「ええ、勿論です」
ミネルバの心配は杞憂に終わる。
ロイネスの了承を受け、二人は公爵家へと向かうことになった。
公爵家は門構えからして、流石の威容だった。
敷地は広く、入り口から中まで相当な距離がある。
「では、中に案内致します」
ロイネスがピッケル達へと声をかけた時、貴族の住む、内層を巡回する衛士がロイネスへと近づいてきた。
「ロイネス様、ご報告が」
「何だ? 今から客人を案内する。忙しいから手短に済ませてくれ」
「はい。実はこの辺りで不審者の目撃情報がありまして」
「不審者?」
「はい。心当たりがないか教えて頂きたく⋯⋯」
と、衛士がロイネスに近づいた瞬間──ミネルバは腰の辺りを抱かれ、ピッケルに引っ張られた。
そのまま二人で後ろに跳び下がる。
「ピッ」
という音を立て、ミネルバの前髪が少しだけ切れた。
「何だと!?」
衛士が驚愕の叫び声を上げる中、ピッケルはミネルバから手を離し、一気に衛士へと間合いを詰めた。
衛士は抵抗しようと腰の剣を抜こうとしたが、その前にピッケルの拳が男の腹部へと打ち込まれた。
体をくの字に曲げた男が、ピッケルを見上げながら言った。
「な⋯⋯ぜ⋯⋯」
「変な気配を感じていた。お前が剣に触れた瞬間に、空気が動いたからね」
「⋯⋯化け⋯⋯物が⋯⋯」
そのまま意識を失ったのか、男の首がガクンと下がる。
事態をあまり飲み込めず、ミネルバはピッケルに状況を聞いた。
「どういうことなの?」
「こいつはケプラマイトだよ」
「えっ?」
意識を失った男を再度見る。
確かに背格好は似ている。
だが、昨日は仮面を付けていたので、顔は知らない。
「歩き方も⋯⋯匂いも、声も、全部変えてたね。上手い変装だ、昨日付けていた仮面に、擬態する効果があるのかも。俺も気がついたのは、コイツが驚いて叫び声を上げた時だね」
「声も違ってたじゃない。なぜわかるの?」
「歯並びが全く同じだったんだ。普通だと有り得ないからね」
「⋯⋯あ、そうなんだ」
「うん、害虫を見分けるのに便利だから、自然と覚えるようになったんだよ」
「成る程ねー」
今さら別に驚く事でもない。
というより、ピッケルのやることにいちいち驚いていたらきりがない、それはこの一年で学んだ。
それまで黙って二人の会話を聞いていたロイネスが、苦笑いしながら首を振った。
「これで確信しましたよ。あなたはやはりクワトロの息子さんだと」
およそ一年ぶりの更新⋯⋯大変お待たせしてすみません。
正直「これからはバンバン更新していきますよ!」とは言えませんが、気長にお待ち頂ければ幸いです。
よろしくお願いします。




