予約の剣
あくまでも反応を見るための革袋だったわけだが、ケプラマイトが革袋を取り上げたというのは、マーサにとって多少意外な結果だった。
彼は警戒して最後まで取らない、と思っていたのだ。
(私を信頼しているのかしら? いえ、そんな筈はないわね)
革袋を取り上げるまで、しばしの時間があった。
これが呪殺を警戒している事の証左だ。
そして、それは正しい。
マーサはケプラマイトに呪殺をしこんである。
癒やし手の、他のメンバーには伝えていない、マーサしか知らないことだ。
そして、他にもメンバーに伝えていない事は他にもある。
呪殺の誘因要素には、二つの特徴がある。
マーサはそれを、『幹』と『枝葉』と呼んでいる。
『幹』に一つ。
『枝葉』には誘因要素を五つ設定できる。
呪殺を発動するには、二つの誘因要素を一定の時間内に満たす必要があるが、そこには『幹』を必ず含まなければならない。
仮に『枝葉』全ての誘因要素を満たしたところで、『幹』の条件を満たしていなければ『呪殺』は発動しないのだ。
恐らくケプラマイトは、既に『枝葉』を幾つか満たしてこの部屋に入っている。
『枝葉』として設定するのは、些細な事でいい。
日常のちょっとした会話や、癖、それを枝葉にすればいい。
彼女が『幹』に設定するのは、主に『敵対、裏切り、不利益』を確定させる行為。
「ねぇ、ケプラマイト」
「なんだ?」
「私はあなたの働きに、これからも報いる準備があるわ。だからこれからも手伝ってくれるわよね?」
マーサの問いに、ケプラマイトが少し考えてから答える。
「正直に言おう。疑っている」
「そう。当然ね」
敢えて間を置くことなく、あっさりと答えると、ケプラマイトが意外そうな表情を浮かべた。
「怒らないのか?」
「ええ。私の能力が能力だもの。疑うというか⋯⋯恐れて当然だと思うわ」
恐れ。
それは根源的な感情であり、それを利用することが呪殺の真の利用価値だ、とさえマーサは考えている。
呪殺を同時に仕込めるのは二人まで。
だが、呪殺という能力や、彼女のこれまでの経緯を知るものほど、『自分がその対象なのでは?』と思ってしまう。
その恐怖を和らげる簡単な方法は、『マーサにとって有用であること』だ。
ゆえに彼女が、これまでこの能力を伝えたのは、『秘密が守れて有用、かつ、敵対して欲しくない人物』。
個人的な感情だけで言えば、この男は気に食わない。
特に、可愛い妹に手を出したこと。
名家の出身であるにも関わらず家を捨てた、風来坊同然の男。
そんな男に誑かされた妹を思えば不憫でならない。
だから、この場ではどちらでも構わない。
ケプラマイトがマーサにとって有用であり続けることであれ、『癒やし手』を抜け、結果妹から悪い虫が取り除かれようと、だ。
ケプラマイトが死ねば、妹は悲しむだろう。
その場合の言い訳も考えている。
『あの男、あなたという者がありながら、私にも手を出してきたの』とでも言えば、お堅い妹はすぐにこの男を軽蔑し、忘れるだろう。
だから、どちらでも構わない。
「で、さっきの話だけど⋯⋯」
「その前に」
「何?」
「君の信じる神に⋯⋯天神に誓って言えるか? 俺には『呪殺』をかけてない、と」
「ええ」
「きちんと言ってくれないか」
「いくらでも。私、マーサ・メルヴェーザは天神ノーイミール様に誓って、ケプラマイト・スレイヤーに呪殺などかけてないと誓います」
「信じよう。もし嘘ならお互い不幸になる」
不幸になる?
マーサは腹の中で笑った。
この男は勘違いしている。
別に、神を裏切るなど今更だ。
そもそも、何故神に仕える道を選んだのか?
それはあくまで『呪殺』という能力の限界を知るためだ。
『呪殺』の天敵である、『神に仕える者たち』相手に、どこまでこの能力が通用するのか、その確認の為に天神教に入信したのだ。
少なくとも今まで、『呪殺』を外されたのは後にも先にも今回だけ。
つまり、人の死を操るこの能力は、ほとんど万能だ、といえる。
「今後の話だったな」
「ええ」
「別行動を取ろう、と思っている」
「そう」
ケプラマイトの言葉に、表情には出さずマーサは歯噛みした。
直接的ではない曖昧な言い方だ。
決定的ではない。
ケプラマイトはまだ、こちらを疑っているのだろう。
しつこく聞けば、相手をさらに警戒させるだろう、だから──この場は一歩だけ、踏み込む。
「それって、つまり?」
しばしの沈黙。
そして、ケプラマイトはハッキリと答えた。
「俺は『癒やし手』を抜ける」
(それが『幹』よ、ケプラマイト)
マーサは呪殺が発動するのをハッキリと感じた。
「そう。じゃあさよならね」
しばらくして、部屋の外で騒ぎが起きた。
誰かが喧しく騒ぎ立てたあと、部屋に向かってくる足音。
ノックもなくドアは開かれ、姿を見せたのは癒やし手古参の剣士、セインガル・ハルトシルトだった。
「マーサ、君は⋯⋯何て事を」
セインガルの呟きを、マーサは焦りをもって聞いていた。
視線が外せない。
代わりに、入室してきたセインガルに質問したのは、その視線の先にいる男。
「何が起きたんだ」
ケプラマイトの質問に、セインガルが答える。
「ニーサが突然倒れた、外傷はない。恐らく⋯⋯」
セインガルが、マーサを睨み付けながら言った。
「呪殺だ」
その言葉を、マーサはどこか別の場所で聞いているような錯覚を受けた。
ケプラマイトが僅かな、薄い笑みを浮かべている気がする。
マーサは起きた事態について、素早く思考を巡らせた。
ケプラマイトに仕込んであった呪殺は、間違いなく発動した。
しかし、その対象になったのは妹。
ケプラマイトがどこまで本気なのかわからないが、彼らは表向きは恋人だ⋯⋯恋人、贈り物、指輪⋯⋯。
「『呪い移しの指輪』⋯⋯!」
「ご名答。流石に知ってたか」
悪びれる事もなく、ケプラマイトがのたまう。
呪い移しの指輪。
呪いを、お互いに移し合う効果を持つ指輪だ。
そこでマーサは確信した。
(やはり、この男はニーサを⋯⋯!)
愛してなどいなかったのだ。
妹は、ただの保険だ。
マーサが妹には、彼女にだけは『呪殺』を仕込まない、その確信の上で、指輪を贈る為に恋人を演じたのだ。
そして、自分は⋯⋯。
そのせいで、最愛の妹を、自ら手に⋯⋯。
許せない。
憎悪の感情がマーサを支配した。
こちらの事などお見通しという態度も、それ以上に妹を利用したことも。
「セインガル! そいつは『メラダクス』よ! すぐに斬って!」
メラダクス。
戦女神を唆し、天神との戦いに駆り立てたとされる、策謀を司る魔神。
『癒やし手』における、裏切りの符丁。
セインガルはやや考える素振りを見せたのち、剣を抜いた。
「ケプラマイト、俺はまだ完全に事態を飲み込めてはいないが⋯⋯マーサの言を信じる。ここは付き合いの長さを優先させて貰おう」
「いやいや、付き合いなら俺も長いだろう? 何ならガキの頃からの顔見知りじゃないか、『御三家』として」
「お前は家を捨てただろう、剣の道も」
「捨てちゃいねぇさ、ただ、ちょっと違う道を歩いてるってだけさ」
「いいだろう。その正道ではない道、ここで終わらせてやろう」
マーサはこの場でセインガルがケプラマイトを下す事を、揺るぎなく確信していた。
ケプラマイトは家を捨てる前も、『癒やし手』と行動を共にしてからの訓練でも、セインガルに勝ったことがない、と聞いているからだ。
──と。
「うーん、悪いけどさ、お前と剣を交える必要はないんだ」
「ならば、ただ斬られるのを座して待て」
「もう、『予約済み』なんだ⋯⋯この屋敷の下見に来たときにさ、マーサならこの部屋を選ぶだろう、と思っていたんだ、そして何かあったら駆けつけるのは、お前だろう、って⋯⋯」
「引き伸ばしの為の会話なら、これ以上付き合わ⋯⋯」
「『実行』」
ケプラマイトが、腰にある剣の柄を叩いた。
次の瞬間、一度に数十人に斬られたかのように、セインガルは声を上げる暇さえ与えられずに、全身を細かく切り刻まれた。
べちゃり、と、音を立て、セインガルだったものが床に積まれた。
「剣の道だ、正道だ、何て言っても⋯⋯これが限界なんだよ、セインガル。だから俺は、さっさと見切ったんだ、そんなもん⋯⋯」
ひとりごちると、ケプラマイトは立ち上がり剣を抜いた。
そのまま、マーサへと歩み寄ってくる。
「あんたの『呪殺』ほど便利じゃねえが⋯⋯まあ、それなりの備えはしてあるさ」
事態を飲み込むのにやや時間を要したが⋯⋯マーサは慌てて言った。
「ねぇ、許して! ケプラマイト! もうあなたをどうにかしようなんて考えない! なんなら、妹の代わりになってもいいわ、だから⋯⋯!」
言いながらも。
賢しきマーサは、この事態を打開するのは無理だろう、と半ば諦めていた。
幸い、『癒やし手』は全員屋敷にいた。
全ての事を終えたケプラマイトは、唯一、傷一つない、生前と変わらない綺麗な状態であるニーサの死体を眺めていた。
左手には、彼が贈った指輪。
貴重な品だ。
もし今後、マーサと同じような能力者と敵対する事があるなら、必須の道具だ。
あくまでも、保険として贈った指輪。
だが、その時のニーサの笑顔が脳裏を過る。
「ガラじゃねぇけど、なあ」
ケプラマイトは指輪を回収せず、屋敷をあとにした。




