事象召喚
「え? じゃあこれが、ピラディアークが書いた本⋯⋯なの?」
「まあ、名前自体は騙ってるかも知れんがな。あと、正確に言えばキュナブール崩壊史は七編。これはその内の一冊ってことになる」
本について説明を加えると、ミネルバは少し考える素振りを見せたあと、訝しげに呟いた。
「だとすると⋯⋯辻褄が合わないことがあるわ」
その指摘に、ミランは頭の中でこれまでの話を軽く反芻したが、おかしな点には思い至らない。
「ん? 何か今までの話でおかしい所あったか?」
ミランがミネルバに聞き返すと、彼女は強く頷いてから言った。
「だって、その本がその⋯⋯キュナブール崩壊史の原典だっけ? 本物だとしたらよ、凄く価値があるってことよね?」
「まぁそうだな。写本が出回ってるせいでこれを本物だと立証するのは結構骨が折れるが、この一冊だけでも博物館に返却するすれば、莫大な報奨金が貰えてもおかしくない」
「だよね? だからよ」
確信めいた表情を浮かべ、ミネルバが断言する。
「万年金欠のアナタたちが、現金化しないはずないわ!」
「確かに! 鋭い洞察ですな!」
彼女の指摘に、それまでしばらく沈黙していたガイが、感心したように追従の声を上げた。
「あのなぁ⋯⋯まあ、反論できない所はあるんだが、色々あってこれは手放せないんだよ⋯⋯主に、危なすぎて」
「危ないって⋯⋯本が? 角で殴ると痛そうだけど」
キュナブール崩壊史の装丁は、黒い表紙の角に、金属による保護が施されている。
ミネルバの言葉に笑いを噛み殺しながら、ミランは続けた。
「この本には、二つの特徴がある。ま、角で殴れば痛いのを含めて三つでもいい」
そう言って、気を取り直すように一つ咳払いをしたのち、周囲を見ながらミランは言葉を続ける。
「まず、書かれている内容。これ自体が価値がある。この本に書かれているのは、キュナブールの崩壊、その歴史だ。異界の存在を立証するための、歴史的資料としての価値」
「それはそうなんでしょうけど。異界の存在って危険なの?」
「そんなことはない⋯⋯いや、もしかしたら危険なのかも知れないが、俺には分からん。
危険なのはもう一つ効果だ。この本は魔法の触媒⋯⋯つまり、特定の魔法を使う上で欠かせない魔法具としての役割を持っている」
「魔法? この本で?」
「ああ。この本で使える魔法は召喚魔法だ。この本に描写されている、ある物を呼び出す力だ」
「だからもったいぶった言い方は⋯⋯」
「キュナブールの崩壊を引き起こした、災害。その災害を召喚する『事象召喚』、それがこの本の能力だ」
おそらく、ミランやガンツ以外は聞いたこともない魔法だろう。
全員の理解が追い付くのをミランが待っていると、やはり聞いてきたのはミネルバだった。
「え、それってとんでもない魔法なんじゃ⋯⋯」
「ああ、とんでもない魔法だ。なんせ別世界を滅ぼしたとされる災害だからな。災害の数は本と同じ七つ⋯⋯奇しくもエルフの神話に登場する石版と同じ数。だがこの本を読み解いたとしても、魔法を使用する上で重大な欠点がある」
そこまで話すと、ピッケルが興味を持ったようで、手を差し出してきた。
「見せてもらって良いですか?」
「ああ」
ミランから本を受け取ったピッケルが、パラパラと本をめくった。
だが、どうせ内容はわからないだろう、とミランは思った。
なぜなら、この本に使用されている言語は古代言語とよばれ、専門家でも容易に読み解ける代物では⋯⋯。
「なるほど、これはどうやら二冊目ですね。それに確かに欠点があります」
「⋯⋯ちょっとまて、お前読めるのか?」
「はい、うちに先祖代々伝わる秘伝書と同じ文字で書かれてます。知らない単語もありますが、前後関係でまあ、大体は」
「マジか⋯⋯それが本当なら、この本の解読が一気に進む⋯⋯」
ここ数年、本の解読は頭打ちだった。
(もし、解読が進んだら⋯⋯)
ここ数年の懸念が解決できるかも知れない。
その事に興奮を覚えながら、ミランはピッケルに聞いた。
「因みに、おまえんちの秘伝書ってどんなことが書いてあるんだ?」
「『美味しいメロンの育て方』ですけど⋯⋯」
「⋯⋯」
この本に書いている内容とはかけ離れた、ほのぼのとした言葉に思わずミランが絶句していると、本を覗きこみながらミネルバが尋ねた。
「どんな欠点があるの? ピッケル」
「この本には、幾つか発音不可能な文字が混ざってる。だからこの中に呪文があったとしても、詠唱できない」
そう。
古代言語は、人間の声帯では全てを発音するのは不可能だ。
現在、古代言語を元にした言葉を使用するとされるエルフでさえ、完璧な発音は不可能だと言われている。
──だが。
「これを発音出来るように、と考えたバカがいた」
「まぁ、話の流れから、そのバカってあなたのことよね?」
「⋯⋯ま、そうだが」
やりにくさを覚えながら、ミランは咳払いして続ける。
「声ってのは、音だ。つまり、口から生み出せない音なら──魔法で再現すればいい。それが俺の構築した理論『現古混成魔法論』だ。
古代言語の詠唱に、現代魔法を混ぜる。現代魔法の役割は空気を振動させ、本来発音出来ない古代言語の詠唱をサポートすることだ。
それで、この本に記された魔法の再現を試みて──最小限の効果を狙ったが、失敗した。
俺は二つのミスをした。
一つは、この本の解読。
俺はその本に書かれている内容を、特定の対象を強力に固定する、つまり『時間停止』の系統に当たる魔法だと思っていた。
だがその後解読を進めて解ったのは、発現したのは、万物を凍らせる魔法『難攻不落の氷結陣』。
異界キュナブール全土を凍り付かせた、最悪の災害だ。
俺程度の術者だから森一つで済んだが、もっと魔力に優れた──例えばシダーガあたりだったら、王国全土を氷が覆ってもおかしくなかったろう。
まあつまり、昨日の話に例えるなら⋯⋯俺は七枚目の石版に、とんでもない物を刻んじまった、ということだ」
ミランは一気に話し、口を休めるために茶を飲む。
既に冷めていたが、話し続けた喉には心地よかった。
その時、それまで沈黙を続けていたクルーウッパスが質問を寄越した。
「そもそも、なぜそんな魔法を使った? 危険性は認識していなかったのか?」
「してなかったと言えば嘘になるな」
クルーウッパスからのもっともな指摘を、ミランは正直に認めた。
解読に不備があったとはいえ、なんせ災害を召喚するような魔法だ、危険性が皆無だとは思っていなかった。
初めての試みだったが、制御する自信があった。
慢心していた、と言われればそれまでだが。
「なら、何故だ?」
唯一事情を知りつつも、そこまで沈黙していたガンツが初めて口を挟んだ。
「俺の妹を助けるためだ。俺が頼み込んだんだ⋯⋯マスターが当時研究していた内容は、断片的に聞いていたから⋯⋯。
妹はマスターを、兄の俺以上に慕っていた。
いつも言っていた。
『ミラン兄は、いつか大きな事をやり遂げる人だ』って。
あの時も、本当なら俺が庇うべきだったんだ、俺の方が近かったんだ、なのに俺は、足が竦んで⋯⋯」
「ガンツ、よせ」
言い訳じみて聞こえるだろう、と、ガンツの妹については話すつもりが無かったミランだったが、ガンツの表情から仕方なく先を続けた。
「初めて受注した採集の依頼中に、森の中で盗賊に不意打ちを食らってな。同行していたガンツの妹が、俺を庇って胸に矢を受けた。明らかに致命傷だったが、高位の回復魔法の使い手⋯⋯まあ、虎吼亭のマスターならギリギリ助けられるだろう、そう踏んで、死なないように状態を『固定』しようと考えた。それしか助ける方法はないと⋯⋯結果は、ご存じの通り、だけどな」
「じゃあ、ガンツの妹さんは、今もそこに?」
「ああ。ルーミア⋯⋯ガンツの妹を核に、『難攻不落の氷結陣』は展開されている。俺がその本を手放せないのは、危険ってのもあるが⋯⋯」
ピッケルが手にした本を見る。
昨日ピッケルに言われた言葉ではないが、この本は『過ぎた力』だ。
本来なら自分ごときが手にし、持ち続けるべきではない。
このまま、それこそピッケルに渡した方がいいだろう、とミランも理解している。
だが。
「その本を研究して、いつか俺がしでかしちまった失敗──クソッタレな魔法を解き、ルーミアをせめてガンツの元に返したい。だからどれだけ金に困ろうと、手放せねぇんだよ」
そこまで話すと、食堂に重苦しい沈黙が流れた。
ミネルバは、ややバツが悪そうな表情を浮かべていたが、しばらくして謝罪を口にした。
「ミラン、ごめんなさい。あなたの事情も知らずに、あんな事言って⋯⋯」
先ほどの、換金しないなんておかしい、と言った事だろう。
「いや、俺の普段の行いのせいだ。気にしちゃいねぇよ」
「まあ、そうね。じゃあお互い反省ってことで」
「いや、まあそれでいいけどよ⋯⋯」
おどけた態度は、この重苦しい雰囲気に対してのミネルバなりの配慮だろう。
それがわかるからこそ、ミランもいちいち追求したりしない。
この話をした理由の一つである、クルーウッパスへと視線を移す。
先ほどの質問以降、ユガ族の男は言葉を発することはなかったが、どうやらミランを害そうとする雰囲気ではなかった。
ややあって、クルーウッパスが言った。
「では、次はオレが話そう」
どうやら再び戦う、ということにはならなそうだ。
その事にミランは安堵の溜め息をついた。
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「奴らが村に来たのは半年前だ」
ユガ族の集落で体調を崩す者が続出する中、『癒やし手』と名乗る一団が村を訪れてきたという。その中にケプラマイトもいたとのことだ。
彼らのうち一人から施された魔法を受けると、ユガ族達の症状が一時的に抑えられたのだという。
「何人くらいで来たの? その癒やし手ってのは」
「ケプラマイトを含めて七人。そのうち二人は女性で良く似ていた。聞いたわけではないが、恐らく姉妹だろう。残りはケプラマイト同様、剣士のような出で立ちだった。俺に直接触れて、癒やしの魔法を使ったのは姉と思しき人物だ」
魔法使い二人に、近接戦闘職が五人。
冒険者のパーティなら、やや大所帯ではあるがそれなりに見かける構成だ。
魔法使いひとりに対し、近接戦闘職が二人という構成はバランスが優れている、とミネルバは考えている。
一人が前線でモンスターと対峙し、もう一人が魔法使いの護衛兼前衛職のサポート、魔法使いが後衛から支援、というかたちだ。
七人の場合、一人余る剣士が遊軍、という感じだろう。
「ふぅん。詳しくないから断定できないけど、直接やりとりしたのがソイツなら、アナタに『呪殺』を仕込んだのもおそらくその姉の方ね」
「かもしれん。今思えば、他の一族の者より俺には入念に魔法を使っていた。俺の錬金金属が他の者より多いせいで術が長くなる、と言っていたが、他の者には錬金金属の多寡で魔法詠唱を変えたりしていなかったからな」
「そうなんだ。で、その癒し手ってのが、今もユガ族の集落に滞在してる、と」
「いや」
「え? 違うの」
「ああ」
そこまで話すと、クルーウッパスは茶の温度をそろりと確かめるように、カップの縁をそっと舐めるようにして茶を飲んだあと、カップを置きながら言った。
「やつらは今、この街にいる」




