白竜の支配者
ミネルバを強引に空の旅へ連れ出したハクは、かなりの速度で飛んだ。
それはピッケルの引く「走快リヤカー」の「浮遊モード」以上の速度だ。
しかも、地上スレスレのリヤカーとは違い、空なのだ。
かなり怖い思いをしながら、ミネルバがハクの背に掴まり続けていると、ハクはしばらくして眼下に見える軍団の中央へと降下し始めた。
突然現れたドラゴンに、識王軍から矢や魔法が飛来してくるが、その全てがハクの目の前にくると力を失い、魔法は掻き消え、矢は落下していった。
物騒な出迎えに対して、雲一つない空の散歩を楽しんでいたかのような優雅さで、ハクは陣中へと着地した。
ミネルバはハクの背から降りると、飛んでいたせいで平衡感覚が少し狂ったのか、転びそうになるところを、何とか体勢を建て直した。
そこには、黒のコートに銀の刺繍を施した、魔族の男がいた。
風体は聞いたことがある、あれが識王シダーガだろう。
その隣には、見慣れた顔もいた、ミランだ。
「ミネルバ! どうしてここに!?」
「⋯⋯はーい、ミラン、ご無沙汰。私も知りたいわ。でもとりあえず、あなたを迎えにきたわ」
二人のやりとりなど気にする余裕はないのだろう、識王はハクを見るや否や、狼狽した声色でうめいた。
「白竜⋯⋯!」
「久しいな、魔族の王よ。随分と手こずらせてくれたが、回収に来たぞ」
『ピッケルの妻よ、鱗を』
頭の中に響いた声に従い、再び鱗を取り出すと、シダーガの手から杖が引きはがされるように飛び、ミネルバが持つ鱗へと吸い込まれた。
「くッ⋯⋯」
シダーガの顔が歪む中、ハクが言った。
「さて。簒奪者にはそれなりの罰を与えないとな。ここにいるのは我が分体とはいえ、そなたの率いる軍勢程度なら、蹴散らす力を有しておるぞ? どうする? 魔族の男よ。
おとなしく我に命を奪われるか、最後まで抵抗するか、選べ」
「ちょ、ちょっと!」
ミネルバは焦った。
戦争がさっさと終わるのは、確かに望んでいることだ。
だが、一番良い終わり方は、識王本人が戦争の継続を諦め、辺境へと撤退することだ。
この場で、もしおとなしく識王が殺されたとしても、残された軍勢その恨みは自分たちへと向けられるだろう。
それでなくても、辺境に大混乱が起こる。
亜人や魔族の中には、辺境統一の英雄としてシダーガを慕うものも多いだろう。
その恨みは王国や、下手したらミネルバに向けられてしまうのだ。
少なくともここに見える軍勢は、識王の元に統制されている。
なんとなく、この白竜は識王に罰を与えれば満足して「さらばだ」とか言って立ち去りそうな気がする。
うん、間違いない、こいつはそういう奴だ、それはこの一年の経験が間違いないと断言している。
その時、取り残されたミランや私は?
ハクを止めなければ、と思っていると、識王が観念したように言った。
「俺以外の奴に、手を出すのはやめてくれ、罰は俺が受ける」
ちょっと、黙って! 結論を急がないで! とミネルバが心中で焦っていると、それまで識王の横にいたミランが、かばうように前に出てきた。
「やめてくれ! 見逃してやってくれ、こいつはそんなに悪いやつじゃないんだ!」
識王の前に立ちはだかるミランを一瞥し、ハクが言った。
「人格の問題ではない、罰は、罰だ。与えなければ、再度同じことがおきるやもしれん、容認できん」
ハクの言葉から固い意思を感じたのか、ミランは
「そうかい、どうしてもやるってんなら、俺もできるだけ抵抗するぜ。
アンタらから見れば、ゴミみたいな存在だろうがな」
そう言って、呪文の詠唱を開始した。
おそらく、黒竜のブレスを止めた防御魔法だろう。
「やめろミラン! 無駄だ、どくんだ! 白竜たのむ、やるなら俺だけにしろ!」
「知らん。その男が共に罰を受けたいのなら、我は尊重するだけだ。
ほかに罰を共有したいという物好きがいるならば、面倒だ、一度に我が前に立て」
罰の執行を宣言すると、ハクがすうっと息を吸い込み始めた。
ブレスだろう。
ハクのブレスは見たことはないが、このサイズでもそこらの黒竜を大きく凌駕した力を持つのだ、おそらくミランに止められるレベルではない。
それは識王であってもそうなのだろう、ハクが来て以来、識王に一切抵抗の様子がない。
彼我の力を、いやというほど理解しているのだ。
どいつもこいつも、勝手に盛り上がらないで!
こんな時も、変に状況に対して冷静に考えてしまう自分に苛立ちを覚えながらも、叫んだ。
「ハクお願い、やめて!」
ミネルバが叫ぶが、ハクは意に介した様子もなく息を吸い込み続ける。
なんとかして止めなければ!
しかし、どうやって。
ピッケルなら、力づくで止めることもできるだろう。
しかし、ミネルバには当たり前だが、できるわけもない。
自分ができるのは、自分が得意なのは──
その時、ふと交渉の師匠であるアスナスのやり方が頭をよぎった。
「クワトロの弱み、知りたくないか?」
王都での言葉。
そうだ、何か、ハクを一瞬でもいい、止めさせるような言葉を──
──ミネルバは頭の中で叫んだ。
『ハク! いい加減にしないと、あなたの弱みをみんなにバラすわよ!』
ハクの吸い込みが、ピタっと止まった。
そのまま、ミネルバへと顔を向けてくる。
とりあえず、食いついてくれた。
弱み、弱み、弱み、弱み⋯⋯。
稼いだ時間で、必死にハクの弱みを考える。
『弱みとは、なんだ? 我にそんなものはないぞ』
頭の中に、ハクの声が響いた。
言ってみたものの、ハクの弱みなんて⋯⋯。
ミネルバは必死に考え──思いつく限りで一番の、ハクの弱みを頭の中で言った。
『あなたが何千年も交尾の経験がない、童の貞王だってこと、みんなにバラしちゃうからね!』
⋯⋯しばらく、ハクは何も返さなかった。
その表情も、眉一つ動かさない、といった感じだ、ドラゴンなので、眉は無いが。
呆れすぎて、声を失っただけなのか、やっぱりこんなのじゃだめなのか、とミネルバが思い始めたころ──。
『ふん、何を、言うかと思えば、くだらん、そんなことか、好きにするがいい、それにな、それはな、勝手にお前が思ってるだけでな、お前の勘違い⋯⋯』
ハクはとても早口で頭の中に言葉を返してきた。
イケる!
ミネルバは口の前に両手をあて、声が通るようにして叫んだ。
「みなさーん! 聞いてくださーい!」
「我が声に、耳を傾けよっ!」
ハクはとっさにアドリブで、ミネルバの言葉に繋がるような事を言いながら、頭の中にそれ以上に語りかけてくる。
『でもな! そんなお前の妄想をな、根拠もない下らないことをな、世に流布されるのもかなわん! わかった! しばし猶予をやる!』
ハクは厳かに、シダーガへと語り始めた。
「魔族の王よ感謝しろ、わが友であるピッケル、その妻の要請ともなれば、無下にできん。しばし罰の執行に猶予を与えよう」
『ありがとうハク! あ、でも私これから彼と話すけど、私の言うこと聞きそうもなかったら思う存分、やっちゃっていいから』
『ふん、猶予は与えた、これ以上お前の言うことを聞く気は⋯⋯』
「皆さーん! この白竜偉そうにしてますけどぉー! 実は!」
「我は意外とフレンドリーと山でも評判でな。この者の言葉を、我が言葉と思って聞くがよい」
どうやら、交渉は上手くいった。
ただの脅迫かもしれないが。
『まったく。なぜピッケルはこのような女と⋯⋯』
ハクのぶつぶつとした文句が頭に届くが、無視して識王のそばへと歩いてミネルバは言った。
「ご挨拶が遅れました。初めまして、識王様。 そして突然で申し訳ありませんが、軍を引いて下さい。
でなければ、この白竜はこれ以上とめられません」
「⋯⋯わかった。
どうせ杖を失った以上、そうするしかねぇしな。なんだかすまねぇな、助かった」
そのまま、ミランへと向いて言った。
「あなたさぁ、こんなことで死んだらガンツが可哀そうすぎるわよ、私とピッケルが何故きたか、わかるでしょ?」
ミネルバの指摘に、ミランは顔を歪めた。
「そうだな、スマネェ⋯⋯」
「案内するから、早く顔を見せてあげて。すごく心配してたんだから」
「ああ、頼むわ」
「そういえば、フェイは? 来てない?」
「ああ、あっちに転がされてる。
アイツ、実はとんでもない奴だったんだな」
「ま、その辺も帰ったらおいおい話すわ、とりあえず連れて帰りましょ」
とりあえず、これで一段落⋯⋯かしら? とミネルバの中で緊張の糸がとけた、その時。
それまでやり取りを見守っていたハクが、言った。
「とはいえ、やはり、罰は与えねばならん」
ミネルバは振り向き、頭の中で『台無しにしないで!』と文句を言いかけたが、その前にハクが『命を取るわけではない、ただ事実を告げるのみだ』と言ってきた。
「魔族の王よ」
「⋯⋯なんだ、白竜、やはり気が変わって俺を殺すのか?」
「おぬしは復讐者を気取っているのかも知れぬが、もっと己を省みよ」
「⋯⋯どういうことだ?」
「おぬしは我から杖を簒奪し、その力を自らの力の如く自惚れた。
それにより周囲に不要な戦を巻き起こし、恨みを買い、それが因果となりおぬしの妻子の命を奪ったのだ。
すぐに杖を我に返していれば防げた悲劇だ。
妻子を死に至らしめたのは、他の誰でも、何でもない。
お主の分不相応な野望だ。
因果の監視者である我が、それをお主に告げることを、罰とする。
簒奪者とはいえ、お主には返しきれない恩があるのもまた事実、その恩と、ピッケルの妻に免じて、此度はこの程度にしておいてやろう」
「⋯⋯わかった」
識王とも、魔王とも呼ばれる、邪神討伐の四傑にして、辺境統一の立役者である稀代の英雄は、ハクの指摘に目を閉じ、深く息を吐きながら頷いた。
それは目の前にいる白竜なのか、それとも別の何かに、まるで詫びているかのように。
こうして、識王軍の撤退が決まった。
⋯⋯白竜を、言葉一つで我が物のように使役する、恐ろしい女がいるという噂とともに。




