心外ではあるな
識王配下、「遠視のグラッガ」は、狼狽して声を荒げながら報告した。
「識王様! わ、わが軍の騎兵が⋯⋯いや、それだけでなく、王国軍の騎兵も⋯⋯壊滅です!」
「なんだと、どういうことだ!?」
「それが、一斉に⋯⋯二十年前と同じです! 優位だった戦況を覆された時と!」
この場にいる、他の者には気が付かないほど微かな、だが間違く届いた遠くから地の揺れを足元に感じ、ヤンは笑顔を浮かべた。
揺れ方から、目的の人物は村にいることがわかった。
「識王さま、慌てる必要はありません。
クワトロ・ヴォルスか、私が呼び寄せた男の仕業でしょう。
戦況が膠着する前の、開戦直後なら好都合ではありませんか、手筈通りに行うだけです」
「⋯⋯ちっ、結局、お前に頼るしかないのか」
忌々し気に呟きながら、シダーガが呪文の詠唱を開始する。
同時に、昨日と同様の高揚感がヤンに訪れた。
あらゆる肉体的な機能、動体視力、神経、思考速度など、戦闘に使用する能力が、普段では考えられないほどに高まっていくのを感じる。
昨夜、フェイと戦ったことで自信が深まった。
識王シダーガの強化魔法は強力だ。
識王に言わせれば、詠唱を継続しないと効果が持続しないというのは、邪神との戦いにおいての反省点だったとのことだ。
そのあとも識王は、邪神討伐の時代から今まで、辺境で戦い続けた。
その中で他者を強化する魔法は磨かれ、杖を持っている間限定とはいえ、詠唱を継続することなく長時間の効果が出せるように進化した。
特に対象を絞れば絞るほどに強化する力は高まる。
あたりまえだが、対象が一人であれば、最高の強化力となる。
昨晩もフェイの気配を感じ、事前に強化の魔法を掛けてもらっていた。
効果は、絶大。
何十年もの修行の先に、やっと見えてくるだろう頂からの景色を、眼下に見下ろしているかのような心境だった。
これが、「仙人」たちが見てる視点なのだ、と確信した。
そして、その視点を体験したことによって、強化魔法が掛かっていない状態にも、経験したことが反映されているように感じる。
修練を効率化し、成長速度を高める、達人であればあるほど。
恐らく識王自体も把握していない効果だろう。
この力を持って、あそこにいる奴を、殺す。
そうすればやっと、父も自分のことを認めてくれるだろう。
「では私が、識王様の敵を打ち払って参ります」
ヤンは恭しく頭を下げた。
識王のことを、無碍にするつもりはない。
この男を上手く利用し続ければ、この先も自分は最強でいられるのだから。
_______________
やっぱり、こうなっちゃったかあ。
遠くから響く音、おそらくピッケルの『震脚』が発するものを耳にして、ミネルバはがっかりする気持ちと、半ば予測していたことが起きた事に対する、諦めのような気持ちが湧き上がった。
ピッケルに村の事に口出しするなと言ったのは、夫を戦争に巻き込ませないようにするためだった。
ピッケルなら、村に迫り来る軍隊をどうにかできるだろうと思いつつも、それをしてしまうと否が応でも戦争の当事者になってしまう、ということを懸念した。
一時的に村を守ったにせよ、戦争は継続する。
ならば、村を守るために、いつまで滞在するのか? という問題は当然出てくるだろう。
ミネルバとて、わずかな滞在だったとはいえ、ミアーダ家族に対して思い入れはあるし、逃亡先でもできる限りのサポートは惜しまないつもりだった。
だが、それが村を守るとなれば、戦争が続く限り、下手をすれば、春が来てもまだ村に滞在する必要があるかもしれない。
だが、ピッケルは村を守ることを選んだ。
ピッケルの決断を知り、ふと心が軽くなる。
やはりミネルバ自身、自分たちの都合で村を見捨てることに、心のどこかで引っかかりをおぼえていたのだろう。
結局、ピッケルはいつもミネルバが心に抱えたものを、簡単に振り払ってくれる。
少し距離は離れてしまったが、今から戻れば夜には村に着くだろう。
彼が決めたのなら、従う、そう決めている。
二人の子供の事は、少し先になってしまうかもしれないが、それも仕方ない。
ハクも言っていた。
【選択】によっては、先になってしまう、と。
ハクと言えば、他にも──
──と。
ミネルバは『気配』を感じた。
冒険者時代なら、おそらく見逃したであろう、気配。
そして、ミネルバが気が付いたことを、恐らく相手も気が付いている。
いや、違う。
わざと、気付くようにしたのだろう、ミネルバが。
義父に鍛錬され、日々ヴォルス家で過ごしたことにより、ミネルバは【索敵】の能力が以前より磨かれていた。
それにより、相手のおおよその技量もわかる。
「ねぇ、ガンツ」
「なんだ?」
「先に村の人たちを連れて、村に戻ってくれない?」
「え、だって⋯⋯」
「そっか、あなたも気が付かなかったのね、大丈夫。
ピッケルはどうやら村を守ることを選んだみたい。だから戻って平気よ。
だけど道中は護衛が必要だわ、これから暗くなるし」
「しかし、お嬢はどうするんだ」
「ごめんなさい、あまり説明している暇はないの、お願い、足手まといがいるとマズイのよ」
「⋯⋯わかった、気を付けてくれ」
「あなたもね」
ガンツに後事を託し、集団を離れる。
気配は──ミネルバを追っている。
村人たちの方に行かれた場合は考えないといけないと思っていたが、どうやら心配はなさそうだ。
心配することがあるとすれば──相手の方が強い、ということだ、それも、圧倒的に。
視界の良い場所で、ミネルバは立ち止まった。
格上に奇襲までされれば、勝ち目はない、それは冒険者時代に何度も聞いた鉄則だ。
「もういいかしら? 鬼ごっこは」
ミネルバが気配のする方向へ語りかけると、相手はあっさりと姿を見せた。
紺色の、ひらひらとした服を着た女だ。
とても、戦いに向いた格好には見えない、ミネルバの格好も人のことは言えないが。
しかし、紺の衣ということには、思い当たる節がある。
(四矛四盾、矛⋯⋯これがヤン? 女だけど⋯⋯)
「ダンナに頼りっきで、虎の威を借る女狐ちゃんかと思ってたけど、気概あるじゃなーい、いがーい」
からかうように言ってくる女の顔を、睨みつけるように見て、ミネルバは衝撃を受けた。
──この女、理想の垂れ目だ。
自分の顔がキツいと自覚しているミネルバは、あんな垂れ目になりたいと常日頃から思っていた。
交渉において、自分の目は、最初に警戒心を与えてしまう、打ち解けるまでは油断されるぐらいの方が、その後も話をしやすい。
だから垂れ目になりたかった、ミネルバの、密かなコンプレックス。
って、いけないいけない、すぐに相手の顔を観察し、分析するのは悪い癖だと気を引き締める。
とにかく相手は身にまとう気配からすれば、ミネルバよりずっと強いだろうが、発言の端々から判断するに、端的に言えば、頭があまり良くない女に見えた。
「なんの用かしら」
「えっとね、ティーファね、ヤン様の事が好きなの」
印象通り、いろいろと緩い女のようだ。
「いいわね、応援するわ」
心にもないことを返しながら、ミネルバは心の中で打開策を探す。
「ほんとぉ、ありがとうー! で、万が一にもヤン様が、あなたの旦那なんかに負けたりすることないと思うんだけど、念のため、あなたをこっちで捕まえておこうと思って! あなたたち夫婦ずっと一緒にいるからなかなかチャンスなかったんだけどね!」
「好きな男の為に頑張ってるのね、偉いわ、見習わなくっちゃ」
聞いてもないことをべらべらしゃべってくるティーファに辟易しつつ、うんうんと頷きながら相槌を返した。
言い返したいこともあるが、我慢する。
時間が稼げるなら、稼げたほうがいい。
さすがにピッケルといえど、この状況に気が付いて、すぐに助けにきたりということはないだろう。
打開できるとすれば。
例えば、フェイが事態に気が付き、自分たちを裏切っていない場合、助けに来てくれるかもしれない。
この女が、無駄話をしているうちに夜が明け、さすがにピッケルが心配して探しにくるかもしれない。
ミネルバは認めざるを得なかった。
現状、この状況を独力でどうにかするのは、無理だ。
ティーファが、ミネルバを指さしながら聞いてきた。
「で、どっち?」
「どっちって、何かしら?」
時間を稼ごうとまた相槌をうつと、ティーファは急に不機嫌そうな表情になった。
「わかるでしょ? 連れてく時に抵抗されたら面倒だから痛めつけたいんだけど、利き手どっち? 折っておきたいの」
「な⋯⋯」
わかるか! といいそうになるが我慢する。
ミネルバはとっさに判断し、左手、と答えようと思った。
もちろん、本当の利き手は右だが。
しかし、ティーファはミネルバの答えを待たなかった。
「いっかあ、両方で!」
この、アホ女──
剣を抜く暇さえない、圧倒的な速度、動きだ。
なんとか動きを目で追うが、体はとても追いつかない。
ティーファは、ミネルバの胸元へ、吸い込まれるように貫き手を突き込んでくる。
(いや、手を折るんじゃ──)
死の予感を覚えつつも、どこまでこの女バカなの? と思ってしまった。
そして。
ティーファが、なんの脈絡もなく吹き飛んだ。
特になにか音がした訳ではなかったが、形容するなら、ぼよよん、といった態だ。
宙に投げ出されたティーファは、空中で体勢を整え、きちんと足から着地した。
「え、なになに?」
ティーファも、状況がわかっていないように見える。勝手に一人芝居をしているわけではないようだ、やってもおかしくないような女だが。
その時、ミネルバの頭の中に声が響いた。
『掲げよ』
どこかで聞き覚えがある声だが、短すぎて気が付かない。
それよりも先に、疑問が頭の中に浮かんだ。
(掲げるって、何を?)
声に出した訳ではなかったが、ミネルバの疑問に、再び頭の中で声が響いた。
『旅立つ前に、お主に渡したであろう』
旅立つ前──ミネルバは襟元から、中へと手を入れた。
チュニックの裏に、旅立つ前に取り付けたポケットから、入れた物を取り出した。
白竜に持つように言われた、鱗。
ミネルバは取り出した鱗を、指示されたように頭上へと掲げた。
すると──
鱗が輝き、実体を伴わないが、白く発光する複雑な模様が次々と生み出された。
まったく未知で、しかし力を感じる。
模様は大量に生み出され、宙に並び、さらに複雑な模様を形成していく。
『古代魔法の一種、召喚陣だ。我が分体をそちらに送還する』
召喚陣とやらを形成していた模様が、一点に集まり始めた。
集まるごとに、光は強まっていく。
そして最後に、それまで以上の光が周囲を照らし──
ミネルバが目を開けると、そこには見慣れ──たとは、ちょっと言えない姿のドラゴンがいた。
特徴は、知っているものと同じだ。
間違いなく、裏山からたまに飛んでくるドラゴン、世界の管理者を自称し、尊大な態度でミネルバに接する白竜、ハクだ。
でも、ちょっと小さい。
普段のハクの、大体五分の一くらいのサイズだ。
もちろん、人間からしてみれば巨大だが、例えるなら火吹き羊をちょっと大きくした程度のサイズ感しかない。
ハクは現れた途端、機嫌がよさそうに笑った。
「ふっふっふ、魔族の王よ、今まで上手く隠ぺいしてくれおったが、流石にこの近さなら手に取るようにわかるぞ、手こずらせおって。
さて、返してもらうとしよう、ピッケルの嫁よ、我が背に乗れ」
「え? 背中に?」
「さっさとしろ、この分体はお主が持つ鱗を核に形成されておる。
おぬしは我が従者として、付き従う義務があるのだ」
突然あらわれて相変わらず偉そうに振る舞うハクに、ミネルバが苦笑いしていると⋯⋯
「ちょっとちょっと! 逃がすわけないじゃーん!」
ティーファが、会話に割り込んできた。
「白竜だかなんだか知りませんけどぉ、私、黒竜とかも相手にしてるし、こんな小さい子供みたいなやつ、余裕だよ?」
言いながら、ハクとミネルバの近くまで歩み寄ってくる。
この状況でも慌てず、余裕があるように見える。
この女は、どんな状況でも慌てない気もするが。
「確かに今の我は、普段の力からすれば、幼児に等しいな」
「認めちゃうんだ? だったらさっさと帰ったら?」
「とはいえ、だ」
ハクは脈絡もなくティーファに背を向けたと思いきや、尻尾を振り上げ、上から下へと振るった。
「えっ」
呟きと、ビタンッと叩きつける音に伴い、避ける間もなくティーファは地面に叩き伏せられた。
そのままうつぶせで、半ば地面に埋まったような格好で痙攣し始めた。
「お主ごときが、普段相手にしている若造と一緒にされるのは、心外ではあるな」
特に、怒りも感じさせず、本当にただ心外だと思っているのであろう口調で、ハクは言った。
ミネルバはハクが戦う姿を見るのは初めてだったが、圧倒的だ。
こんなに小さいのに、王都に襲撃した黒竜より、数倍の強さを感じさせる。
先ほどまでの危機があっさりと終わったことに戸惑いを感じていると、ハクは再びミネルバへと、急かすように命令をよこした。
「早く乗らんか」
「え、でも⋯⋯」
この女を、このままここに放置するのに抵抗を感じた。
いまなら、簡単にとどめが刺せる。
ミネルバはそのために、剣を抜こうと柄に手をかけた瞬間──ハクの尾がミネルバの体を巻き取り、無理やりその背に乗せた。
「ちょ、ちょっとおおおお」
「そのような道化にかかずらう時間も惜しい、行くぞ。しっかり掴まっておらんと、落ちるぞ」
その一言と同時に、ハクが、普段ピッケルがリヤカーを浮遊させる時に発するような唸り声をあげながら、翼をはためかせだした。
竜言語魔法の『綿毛』だろう。
同時に浮遊感を感じ、ミネルバは慌てて鱗を再び懐にしまいつつ、ハクの背に掴まり、体を預けた。
とどめが刺せないなら、せめて。
そう思って、さっき我慢した言葉を叫んだ。
「人質取って、コソコソしてるような相手に、うちの旦那が負けるわけないでしょっ!? バーカ!」
おそらく相手は聞いてないだろうが、それでも少し、スッとした。




