EX5.もしもSSの封入ペーパーがあったら「有明限定版」
前回ちょこっと書きましたが、コミカライズ御礼第二弾 兼 KADOKAWA「web発小説!夏のリレーフェア」協賛告知で番外編を書かせていただきました。
KADOKAWAさんのフェアは何回かに分けて既刊の電子書籍を半額にする期間限定フェアだそうです。「監獄スローライフ」もエントリーするそうで、本日8/9~22まで、各電子書籍媒体で50%OFFだそうです。
ちょうど夏コミですね! まだ電子書籍持ってない方は文庫価格で手に入れるチャンス! しかも「監獄スローライフ」は短編形式ですので行列中の暇つぶしに最適!
という宣伝でございます。フェアの件は編集さんからメール一本もらっただけなので、期間以外はよくわからないのです。お使いの電子書籍媒体でご確認ください。
コミカライズは三回予定ですので、来月も何か書くかも。
ジョージ・ファーガソンは壁際に空きスペースを見つけ、三時間ぶりに腰を下ろした。
「あー、もう足が棒のようだ……」
ずーっと行列に並んでばかりだったので、足腰の筋肉が悲鳴を上げている。宮廷行事でレセプションに列席している時も立ちっぱなしだけど、暑い中行列しているのとはやはり環境が違う。
「急に列が動いたりするから油断できないし、先にお品書きを回してくれないサークルは先頭になった途端にとっさに買うもの決めないとならないしな……壁サークルなんか、列の最後尾がどこにあるんだかって感じだし」
初めてコミケに来てみたけど、こんなに大変だと思わなかった……ジョージはため息をつきながらナップザックを開けてペットボトルを引っ張り出したが、中身はすでに空だった。
「……そうだったっけ、新しいの買わないと。はー……売店の前でまた行列か」
そろそろ昼だけど、暑さと疲れにやられて食事も喉を通りそうにない。まあ、その食事を買うにもまた凄い行列なのだろうけど。
「昼飯はともかく、水物は買わないと命にかかわるな」
仕方ない、ジュースを買う列に並ぶか……と腰を上げかけたジョージの前に、水のペットボトルが差し出された。
「え? くれるのか? ありが……」
「ウッキー」
目の前にカバンを引きずった白毛のサルが立っていた。
「……おまえは姉上のペットの……ヘイリー?」
「ウキー!」
姉のペットが、何故か一匹で目の前にいる。探すまでもなく、ものぐさな姉がこんな所に来ているとは思えないが……。
ヘイリーは自分もペットボトルを開け、ミネラルウォーターをチビッと飲んだ。
「ウッキャー! ウキキ!」
「え? 暑さに負けてがぶ飲みすると、体力を無駄に消耗する上にトイレに行きたくなって水分が無駄になる?」
ジョージが言われた注意を繰り返すと、ヘイリーはうんうん頷いて小さい指をビシッとジョージに突きつける。
「ウッキー! ウッキウッキ、キャー!」
「おまえの飲んでるようなサイダーは、甘さで逆に喉が渇くから御法度!? 飲むなら水かお茶、スポーツドリンクを口の渇きの分だけにしろ?」
どうだ、わかったかというドヤ顔でふんぞり返るサル。
「ヘイリーおまえ、もしかしてコミケに来慣れてる?」
「ウッキー」
コクッと頷き、妙に慣れているサルはカバンに目印でつけてあった写真入れを開いた。青空の下にいくつかのパビリオンが乱立する場所で、セーラー服みたいなコスを着たコスプレイヤーたちにチヤホヤされるヘイリーが写っている。
「ウキー、キキッ!」
「ガメラ館も知らないような若造とは年季が違うのだよ! って……ガメラ館って、何?」
訳の分からないことを言われてジョージが聞き返すも、聞かれたヘイリーはそんなの気にせず勝手にジョージのナップザックを漁っている。
「おい、人のカバンを!」
ジョージの戦利品をざっと見たヘイリーが肩をすくめてガッカリを表現した。
「ウキー……ウッキー」
「大手の新館一階系ばっかりか、予想通り過ぎて面白みがないなって? 余計なお世話だ! ……て、新館一階ってのもなんだ?」
ジョージの初心者チョイスに、歴戦のベテランらしいヘイリーから教育的指導。
「ウキャー、ウキキ、ウッキー!」
「もっと中小のサークルに目を配れ? サークルカットを熟読したか? 未来の才能にいち早く目をつけるのも楽しみの一つだぞ? ……って、芸術家のタニマチみたいな事を」
当然だと言うように重々しく頷くサルは、過ぎ去りし青春を振り返るように遠い目で呟いた。
「ウーキキ、ウキー」
「大手の新刊だけなら書店委託で買える? 会場まで来るのは祭りを肌で楽しんで、
名も無き同志たちと熱いファントークを交わしたいからじゃないのかって?」
ちょっと考えて、ジョージは首を横に振った。
「いや、僕は有名作家の最新作をいち早く読みたかったからなんだけど」
「ウキー……」
「このお客様野郎めって……そこまで言わなくてもいいだろ」
ジョージがサルからさらにお小言をもらっていると、人込みをかき分けてエリオットが現れた。エリオットの顔はさすがに日本人ばかりの中ではかなり目立つ。ジョージが手を振ると、向こうも気がついて駆け寄ってきた。
「おお、ジョージ! 無事だったか!」
「殿下! ご無事でなにより! 僕も一安心しましたよ」
会場に突入した途端に離れ離れになっていた王子の元気な様子に、ジョージはほっと安堵のため息をついた。
……の横顔をヘイリーが無遠慮にじろじろ見る。
「ウッキー?」
「え? そのわりに買い漁りに夢中で忘れてたんじゃないかって? ハハハ、ヘイリーったら冗談ばっかり!」
疲れている王子は、サルと家臣の言い争いを聞き流して崩れるように地面に座り込んだ。
「いやあ、聞いていた以上の人出だな。カタログチェックをした所をできるだけ回ったつもりだったが、この時間でもう終わっているところも多くてほとんど買えなかった」
「全くですよね……完売POP見に来たのかって感じですよ」
サルがまたもやエリオットのカバンを勝手に開けて、マーキングした見取り図を勝手に広げている。
「ウッキャー……」
「超有名サークルばっかりこんな数を回れるか! って言われてもな。俺たち初めてなんだぞ」
「ウキー!」
「ABC評価をつけて優先順位をはっきりしないからそうなるんだって? いやエテ公、そんなに大変なイベントだって知らなかったんだよ」
はっと何かに気がついたエリオットが周りを見回す。
「そう言えばジョージ、サイクスは?」
「成人向けジャンルを一巡した後に、企業ブースを見に行くって別れたっきりですが……」
「ウッキー……」
ヘイリーが合掌して瞑目するのを見て、エリオットとジョージは友人の戦果を悟った。
ヘイリーが自分のカバンを漁りだした。
「ウキ、ウッキャー」
「仕方ない、土産にするつもりだったが分けてやるって……」
ヘイリーが何冊かの同人誌をエリオットに渡した。
「ウキャキャー!」
「どぎついのばかりだから興奮しすぎて死ぬなよ、だって? おまえ、エテ公が人間の十八禁なんか買ってどうするんだよ? レイチェルがそんな物読むのか?」
呆れながらもサルに渡された薄い本を並べてみるエリオット。
『ゴリラ舎の熱い夜』
『君の瞳にチンパンジー』
『その男、ボノボ』
『NTR注意報! 僕のピグミー・マーモセットがあんなチャラ男に……!』
『異世界転生したら金絲猴ハーレムでした』
……。
「どこのサークルで買って来たんだエテ公!? ていうか書いたヤツ、何を考えてこんなニッチ過ぎる同人誌作ってんだよ!?」
「さすがコミケ、性癖万博ですね……世の中広いわぁ」
せっかヘイリーがあげた厳選同人誌を突っ返したエリオットは、急にハッとして時計を見た。
「そうだ、もう昼じゃないか!? いかん!」
「ウキー?」
「どうせ人気サークルは売り切れてるって? そうじゃない、昼からマーガレットがコスプレ広場に出るって言ってたんだ! マーガレットの雄姿を俺がバッチリ記録しないと!」
エリオットは急いで手提げに入れていた戦果を背負っていたナップザックにしまうと、代わりに準備していたカメラを取り出した。
「ウキャー……」
「初参加があれもこれもと欲張って荷物増やすと行き倒れるぞ? ははっ、勘違いするなエテ公! 俺はこの為に来たと言っても過言ではない、したがってこれは必要な装備よ!」
エリオットはカメラにレンズをセットするとストラップで首に通した。
「秒速十コマのフルサイズ一眼レフに105㎜/F2.5の中望遠レンズをチョイス! 扱いにくい単焦点での動体撮影も、事前にバッチリ練習を重ねて来た! これでマーガレットのかわいらしさを余すところなく撮り切ってくれるわ!」
「ウキー……」
興奮する王子のズボンの裾を、なんだかげんなりしているサルがクイクイ引っ張る。
「なんだ?」
サルが指さす方向をエリオットとジョージが見れば……。
『押さないでください! 押さないでください!』
スタッフがハンドマイクで叫ぶ中、コスプレ広場へつながる東西の連絡通路は見渡す限り人で埋まっていた。
『ただいま向こうへ渡るのに二時間ほどかかっています! 非常に混雑しています! どうしてもで無い人は行かないでください!』
「うっ……!」
ただでさえ混んでいるコミケ会場だけど、連絡通路はラッシュ時の通勤電車を凌ぐようなとんでもない混みっぷり……。
ジョージの頭まで登ったサルがエリオットの肩をポンと叩く。
「ウッキー?」
サルに憐れみのこもった眼でやめとけ? とか言われて、エリオットも決心がぐらつきかけたが……。
「……う、うぉぉぉおお! 負けるかぁっ!」
「で、殿下!?」
エリオットは唖然とする部下を置いて、カメラを潰されないよう頭上に掲げて待機列へと突進した。
「殿下、無理ですよぉ!?」
「ひっ、引かぬ! 媚びぬ! 省みぬ! それが俺の生きざまよっ!」
ジョージが止めるのも構わずエリオットは連絡通路に突撃し……すぐに人波に飲み込まれて見えなくなったのだった。
レイチェルがベッドに寝転がってだらだら小説誌を読んでいると、珍しく昼間に連絡係がやってきた。籠城物資の搬入と一緒に来たらしい。
フード付きの外套を脱ぐ女の方も見ず、レイチェルは誌面に目線を落としたまま怪訝そうに声をかける。
「珍しいわね、ソフィアが自分で来るなんて」
灰色髪の少女は一礼すると、ちょっとうんざりしたように理由を話した。
「大量に部下が休みまして。いささか手が回っておりませんので私が」
「わざわざ皆で有明に行ったの? 外国まで行列しに行くなんて、ご苦労様ね」
「そういう者もおりますが」
ソフィアは無理矢理渡された薄い本の束を出した。お嬢様へ渡してくれと頼まれた献本だ。
「ほとんどサークル参加です」
「そこまでやっているのね」
「お嬢様を見習う者が多いのは、喜んでいいやら悲しんでいいやら」
「手本になっているのはちょっと誇っていいのかしら」
「ちなみに」
ソフィアが無表情に同人誌の一冊を開き、奥付を見せた。
「もっとも有力なグループのサークル名が『貴腐人のメイドたち』です」
「……それ、まさか私の事?」
あまり興味なさそうに献本をパラパラめくりながら、レイチェルがソフィアを見上げた。
「貴方は行かなくていいの?」
納品物資の搬入を指揮しながらソフィアが肩をすくめる。
「サークル参加もコスプレも、若気の至りでやり尽くしまして……もういいかなって」
「あなた、私と同い年よね?」
「女の過去はミステリアスなもの物なのですよ、お嬢様。」
ソフィアは主人を振り返った。
「むしろ、お嬢様はこういうイベントは興味ないのですか?」
わざわざ言う必要もないぐらい引きこもりなレイチェルだが……。
「無いことは無いですよ」
意外なことに、ソフィアの質問をレイチェルが肯定した。そしてちょっと得意げに、搬入されたばかりの機材を示した。
「ちょうど今、準備ができました」
百インチの大型ディスプレイに、臨場感あふれる5,1chサラウンドスピーカー。
「じつは一度コミケ会場を体感してみたいと、現地に行った者にライブカメラを持たせたのです!」
「ほう」
スピーカー群の中央に配置された椅子にレイチェルがいそいそと座り、ソフィアはじめ黒猫商会の部下たちが見守る中でリモコンを押す。
パッと特大の画面に映像が映る……が、ほとんど足のドアップだ。
「?」
林立する無数の足の間をちょこまかと映像は動き回る。途中で嫌になったのか、いきなりいつ洗ったんだというデニム生地がクローズアップされ、それが高速で下へ流れてチェックの布地にバトンタッチする。それも一気に下に流れると一瞬黒髪が写って視界が開けた。
広い屋内に目いっぱい人間が詰まり、ほとんど頭ばかりが海みたいに無数に並んで広がっている。その中をカメラはいきなり空中へジャンプし、数メートル浮き上がったかと思うとちょっとずれた場所に着地。すぐにまた跳んだらしく浮遊感のある映像が流れて、また誰かの頭頂部へ着地。カメラを持った人物はそれを何度も繰り返す。
しばらく無言だったレイチェルは映像を一旦停止させて立ち上がると、ベッドにそっと横になった。
「お嬢様」
「……なんですか」
「カメラをヘイリーに持たせるぐらいなら、メイドの誰かに装着すればよろしかったのでは」
「ヘイリーの方が身軽で面白い映像になると思ったんですよう……うっぷ」
「酔い止め、飲みますか?」
「今から飲んでどうするんですか……ちょっと今、話しかけないで……」
ゆりかもめの中、戦果無しで消沈していたサイクスが疲れ果てたジョージの袖を引っ張った。
「なあジョージ」
「なんだ?」
サイクスは対面の席で、真っ白に燃え尽きているエリオットを指した。
「殿下、どうしたんだ?」
「ああ」
ジョージはいたわしそうに抜け殻になった上司を見た。
「午後を全部潰してなんとかコスプレ広場に駆け付けたら、マーガレットのコスプレが男キャラだったらしい」
「ああ……それは泣くに泣けねえな」
ガメラ館はなんか半球形のパビリオンがあって、そういう通称が付いていたらしい。
その頃の成人向けは二日目の新館一階が会場だったので、そう呼ばれるそうな。
遠い昔の、晴海会場の話です。




