47.令嬢は修羅場に遭遇する
書籍版発売まであと3週間記念投稿です! クリスマスプレゼントとか思ってたら間に合いませんでした。
書籍版の編集に間に合いませんでしたので、この話はネットオリジナルになります。
並びとしては26~28の間辺りになります。
「きゃぁぁぁ……かぁわいぃぃぃ……!」
レイチェルは驚かせないように必死に音量を下げつつも、どうにも抑えきれない歓喜の叫びを漏らした。思わずこぼれる笑みが止まらない。
目の前にはグレーの濃淡で縞模様をまとった猫が一匹。
そう、ヌコ様だ。
王宮の地下牢なのにどこからかやってきて、今レイチェルの目の前に座っている。
「な~う」
牢内へスルリと入ってきた長毛種の猫は、一声鳴くと前足を毛づくろいし始めた。迷い込んできたくせに堂々としていて、元から地下牢に住んでいるかのようにくつろいでいる。
レイチェルは大抵のモフモフは大好きだ。犬もいけるが猫も嫌とは言わない。兎だろうと狼だろうとかわいくて仕方ない。近づくと危ないと言われる肉食獣連中も何故かレイチェルの前だと大人しくなるので好きなだけ触らせてもらっている。
それにしても牢屋暮らしを始めてから猫を見るのは初めてだ。
「ちょっと……ちょっと触らせてもらっても、いいでしょうか……」
なかなかお目にかかれないお猫様が手の届くところに来てくれるだなんて……。
自分の背中をシペシペ舐めている猫は、頭をそっと撫でても嫌がらない。
そーっとすくい上げて胸に抱いてもあくびをしている。柔らかく抱きしめて毛並みを梳いてやると、猫は目を細めて喉を鳴らし始めた。
「こんなに人懐こいなんて……ん~、良い子でちゅね~」
「んな~ん」
せっかくだから夢中で猫成分を補充するレイチェル。この機会を逃したら、次はいつになるかわからない。
しかし彼女はこの時、自分がとんでもない失策をしていることに気がついていなかった。
「そうだネコちゃん、コンビーフでも食べますか?」
「なーっ!」
嬉しそうに鳴く猫を抱えたまま缶詰を用意していると、カタンカタンと物が落ちて転がる乾いた音がした。
「ん?」
レイチェルが振り返ると、散歩から帰ってきたヘイリーがどこかで拾ってきた松ぼっくりを床に落としたところだった。ヘイリーは落とした物を拾いもせずに呆然と突っ立っている。
「ヘイリー?」
いつもは通らない辺りを歩いていたら、変わった形の木の実がなっていた。食べられそうにないけど、変な形をしているのが珍しい。
『取って行って、ご主人様に見せてやろうか』
ヘイリーは木によじ登っていくつか実をもいだ。今日は籠を背負っていないので、そうたくさんは持てない。それでも抱えられるだけ叩き落し、急いで拾ってレイチェルの住んでいる部屋にとって返し……そこで、ヘイリーは見てはならないものを見てしまった。
レイチェルが“毛玉”を抱えている。あれはレイチェルの屋敷にもいた「ネコ」とか言うヤツだ。
レイチェルはそのネコを抱きしめていた。
ヘイリーだけの定位置に。
レイチェルがそのネコにエサをやろうとしている。
ヘイリーだって食べさせてもらえない缶詰を。
「ヘイリー?」
固まっているヘイリーを怪訝に思ったレイチェルが声をかけると、ややあってヘイリーがぎくしゃくと動き出した。
「ウ……ウキー……」
ヘイリーは震える手つきでいつもの背負い籠を手に取ると、そこへ私物を入れ始めた。
いつもレイチェルと遊んでいる大好きな玩具。
綺麗な柄のレイチェルがあげたスカーフ。
お弁当にしている甘くて硬いリンゴ。
気に入っている様子だったぴかぴか光る何かの破片。
金髪のバカが座る場所へこっそり置くつもりらしい踏むと痛い尖った小石。
大事にしている宝物を全部籠に入れると肩に背負い、ヘイリーはレイチェルに向き直る。
「……ウキ……ウキャッ」
そしてペコリと頭を下げると、外へ向かって木箱を登り始めた。
「……あっ!? ちょっと、ちょっと待ってヘイリー!? 違うの、違うのよ!」
「ウキャッ!」
慌てて猫を置いて駆け寄ったレイチェルが手を出せば、目に涙を溜めたヘイリーがその手を怒って払いのける。それでも無理やり抱き上げると腕の中で、ヘイリーが泣きながらメチャクチャに暴れ始めた。
「ウキャ、ウキーッ!」
「ごめんね、びっくりしたよね!? 違うの、ヘイリーを捨てたわけじゃないの!」
「ウキャー!!」
「お願い、信じて!? 浮気じゃないの! たまたま、たまたまなのよ!」
捨てられたと思ったヘイリーを必死にレイチェルがなだめていると。
「んな~う!」
後ろでまだエサがもらえない猫が缶詰をひっかきながら催促の声を上げた。
だけど今のレイチェルは缶を開けるどころじゃない。
「あ……ネコちゃん、ちょっと待っててね!? 今大変なの!」
「ウキャーッ!」
「だからねヘイリー……」
猫は思った。
人間は、催促したにもかかわらず白い変なヤツと遊んでいて一向におやつを用意してくれない……。
「シャーッ!!」
「わっ、ネコちゃんまで!?」
なんとかヘイリーのご機嫌を取ろうと四苦八苦していると、待たされた猫まで話が違うと怒り始めて威嚇してくる。
コンビーフの丸い缶を前足でスタンピングしながら、丸めた背中を逆立てて猫がサッサとエサを出せと詰め寄りの脅迫!
そうは言われてもジタバタ暴れるヘイリーを置いて缶詰なんか開けていたら、今度こそ見限られたと信じてヘイリーは出て行ってしまうだろう。
「ちょっ……ああもう、どっちを先になだめたら……」
二匹に強い眼力で睨まれて、レイチェルはもうどうしていいかわからない。人間以外には意外と押しが弱い都会っ子レイチェル。
そんな彼女がオタオタしていると、事態はさらに予想外な方向へ。
「ウキーッ!」
今まで薄情なレイチェルに怒っていたヘイリーが、ご主人様に偉そうにわがままを言う猫に向かって怒鳴り始めた。
「シャーッ!」
おやつが出て来なくてイライラしているのに、人間の手をふさいでいる白いヤツがさらに当たり散らしてくるので猫も頭にきた。
「キーッ!」
「シャーッ!」
「二人とも待ってぇ!?」
自分をあいだに今にも手が出そうな二匹を全力で引き剥がしながら、レイチェルはいらない時にしか来ないアノ人の顔を思い浮かべる。
「もーっ、あのバカ様は何でこういう時に来ないの!? ヘイリーと会話できるの殿下だけなのに、唯一の出番に何してるんですか!」
レイチェルの人生で、これほどエリオットが恋しい事があっただろうか?
すでに爪を出している猫と、ワインのミニチュアボトルを逆手に持ったヘイリーに挟まれ……殺気立った二匹を前に、非常に珍しく令嬢はか細い悲鳴を上げた。
行方不明になった弟のペットを探してエリオット王子が地下牢に着いた時、何故かひどく疲れた様子の収監者はぐったりと床のラグマットに横たわっていた。
仰向けに寝ている彼女の胸の上ではエテ公がスンスン鼻を鳴らしながら必死にしがみついていて、太ももの上にはエリオットが探していた猫が機嫌悪そうに丸まっている。
状況がよく判らないその景色に、内心首を傾げつつも……こんな所にわざわざやって来た用事を思い出して、エリオットはレイチェルを怒鳴りつけた。
「その猫を勝手に連れて行ったのはやっぱり貴様か、レイチェル! 可愛がっている猫がいなくなって、レイモンドがどれほ……」
「遅いっ!!」
怒鳴り付けている最中に怒鳴り返された。王子様なのに。
「……ど心配をし……え?」
エリオットが迫力に飲まれて尻切れトンボに言葉を飲み込むと、珍しく怒った様子のレイチェルが厳しく糾弾して来る。
「まったく、なんで今頃来てるんですか!? ホントに役に立たない人ですね!? もう終わっちゃいましたよ!」
「えっ? 終わったって……何が?」
「何がじゃありません! 動物と同レベルで話せるのだけが唯一の取り柄なのに、いざという時に間に合わないでどうするんですか!」
レイチェルの理不尽な言いがかりに、エリオットは眉を逆立てて言い返した。
「はぁっ!? 貴様、何を言っている! 俺の唯一の取り柄は顔だろ、顔!」
猿と同レベルと言われたことに、気がつかない辺りが同レベル。
「殿下、自分で唯一とか言っちゃダメですよ!」
「そうだった」
ボランスキーにたしなめられるエリオットに、レイチェルが続ける。
「さっきまで大変だったんですからね!? もう、私じゃヘイリーやネコちゃんが何を言っているのかわからないのに……知能程度が同じ殿下じゃないと喧嘩の仲裁ができないんですから、必要な時にはちゃんと待機していて下さい! いらない時には来るくせに、ここしかない出番に間に合わないんだから!」
「おい待てレイチェル、貴様は俺にエテ公と猫の通訳をやれと言うのか!?」
「他に何ができるんですか」
「え? いや、それは……多分何か……できる……はず……」
「多分とは何ですか! 多くは期待してませんから、出来る仕事ぐらいはキチンとして下さい! いいですね? 以後気をつけてくださいね!」
「えーと? あの……何かすみません……」
回収してきた猫を抱えて地上に上がって来たエリオットは、なんだか割り切れないものを抱えながらボランスキーに尋ねた。
「なあボランスキー……この猫とレイチェルのエテ公が喧嘩したのは俺に責任ないよなあ?」
「なんでそこで疑問形なんですか」
側近に確認をして強気になったエリオットは意を強くした。
「うむ、そうだ! そうだよ、俺は何も悪くない! 猫も猿も俺が躾したんじゃないからな!」
問題点はそこではない。
しかしレイチェルの態度が不敬だとか、エリオットがレイチェルに代わって仲裁する義理はないとか、そもそもレイチェルの非常事態になんで駆けつけなくちゃならないんだとか、今はそういう事はどうでもいい。
エリオットはレイチェルにあのように言われて、さっきから気になっていたことをボランスキーに聞いてみた。
「……なあ、ボランスキー」
「はっ、なんでしょうか?」
「もしかして俺がその気になれば、動物王国を治められるんじゃね?」
「殿下。動物王国より先に、我らが人間の王国を治める努力をしてもらえませんか」
ツッコまれる前に言っておきますと、コンビーフは日本ではほとんどアノ缶ですが海外では普通の丸い缶の物もあります。というか地域によってはそもそもほぐし肉の缶詰ではなく塊の塩漬けを差す事が多いそうです。ベーコンの生っぽい感じ? 煮込みにコンビーフ使うとかおかしいなあとか思っていたら、日本で塩鮭を鍋に入れるとかと同じ感覚だった。そらそうだ。ツナ缶は鍋には入れないよね。




