表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/40

29.令嬢は嵐に恐怖する

  “エリオット王子があまりに間抜けだから”

 突き詰めて言うと、その一言に尽きるかもしれない。

 エリオット王子の攻撃は毎回お話にもならなくて。

 レイチェルは無意識に慢心していたのかもしれない。

 地下牢の平穏は誰も壊すことができないのだと。


 国王の帰還が期待を込めて王宮の人々の口に登る頃。

 ……地下牢に嵐がやってきた。




 ボランスキー逮捕の知らせはエリオットの執務室に衝撃をもたらしていた。

「なんだと、ボランスキーが……?」

 エリオットも顔色を無くしている。これでジョージ、サイクスに続き側近が上から三人も脱落してしまった。王子のショックは計り知れない。

 報告する伯爵令息も悲痛な顔を隠し切れない様子だ。

「見ていた者の話では昨夜、女官長から解放されて帰宅する途中に……酔っておかしな事を叫んでいると、城門の衛兵に見咎められて連行されたそうです」

「そんな……!? いや、確かにあのお説教の後では酒の一つも飲みたくなるが……ボランスキーが捕まるようなことをするはずがない! 衛兵に抗議を……」

「なんでも泥酔して城門に現れ、女物の下着を被りながら『ロリコン最高!』と叫び続けていたとか……」

「……いや、そうか……早く解放されるといいな」

 エリオットは力なく腰を下ろした。マーガレットが心配そうに駆け寄る。さすがに至高の時間を反芻している場合じゃないらしい。

「エリオット様……元気を出して下さい!」

「マーガレット……俺はもう、どうしたらいいのか……」

「そうだ、これを持てばきっと元気になりますよ!」

 マーガレットがポケットから、派手な紫色の布を取り出した。

「ん? これは何だい?」

「最後に投げ渡してくれた時、他のご令嬢たちとの争奪戦に勝って入手したアダム様のパンツです!」

 さすがに履いてるところを奪い取ったわけではないらしい。

「いや、いい!? いらない!」

 思わず後ずさるエリオットを不思議そうに見るマーガレット。


 そんな楽しい空気の所へ、王子の取り巻きの一人が駆け込んできた。

「失礼します! 地下牢でレイチェル嬢が……」

「なんだよ!? 今それどころじゃないのに、また何かやらかしたのか!?」

「いえ、それが……面会客に詰られて、悲鳴を上げているそうです!」

「はあっ!?」




 レイチェルが立て籠もる地下牢……の奥の、シャワールームのカーテンの中に立て籠もるレイチェル。

 エリオットたちが駆けつけた時、レイチェルの様子はそんな状態だった。

 先客はエリオットたちに気が付く様子もなく、レイチェルに向かって呼び掛けている。

「レイチェルさん! 一日休めば二日分の努力が無駄になるのですよ! さっさと出ていらっしゃい!」

「そうですよ! “継続は力なり”です。すでに取り返すのに半年は時間が必要ですよ!?」

「いーやーでーすーぅ! 私は殿下に婚約破棄されたんだから、もう王妃教育はいらないんですぅ!」

「馬鹿な事を言ってないで出て来なさい!」

 あのレイチェルが押されている。


 仁王立ちで牢に向かって怒鳴っている二人を見て、エリオットも“うわぁ……”という顔になった。

「サマーセット公爵夫人とマールボロ伯爵夫人か……」


 サマーセット公爵夫人は、王妃教育の教養講義を担当する王宮の生き字引だ。公爵夫人の称号をもらっているが独身の王族で、ヴィバルディ大公の姉に当たる。

 もう一方のマールボロ伯爵夫人は臣下でありながら王宮で生まれ育った異色の経歴の持ち主で、典礼を担当する。父も夫も宮中で儀典官を務めてきた関係で、これ以上ないほどの風紀(マナー)の鬼。

 王妃教育どころか宮中でのマナー全般で恐れられている双璧が、二人とも揃っている。


「此度の一件に関して、旅先の両陛下に貴方の解放嘆願と方針の確認を尋ねる書状を送り続けて参りましたが……やっと妃陛下から継続のお返事がいただけました。王子の乱心にはどうすれば良いのか切歯扼腕しておりましたが……方針が決まりました以上、遅れを取り戻すためにも今まで以上に力を入れて参りますよ!」

 拳に力を入れて怒鳴るマールボロ夫人。ちょっとマナーがなってない。

「まったく……二か月以上も手紙を送り続けてやっと返事が届くなど、両陛下も決断力が無さ過ぎでございます。お帰りになられたら、一言申し上げなくては……」

 サマーセット夫人が眉間に皺を寄せている。

 うるさ方からのしつこい書状に触りたくないので、侍従に内容だけ確認させて放置していた国王陛下。もう説教決定。

「むーりーでーすー! 私はここに閉じ込められて出られないんですぅ! 王妃教育なんて受けに行けないんですぅ!」

「座学はここで学べば宜しい! できないのはダンスの練習ぐらいでございます!」

「せっかく別荘に来てるのに、なんで勉強しなくちゃいけないの!?」

「勉強することがたまっているからでございます!」

 レイチェルが何を言おうと諦めてくれないお婆様方。小娘に迫力負けするようでは教育係は勤まらない。


 カーテンに隠れて顔も出さないレイチェルが言い募る。

「だいたい殿下に婚約破棄されているのに王妃教育を受ける意味って何ですか!?」

「将来の王妃に必要な素養を身につけるためでございます!」

 かみ合っていない。

「だから殿下が……!」

「エリオットの事はどうでもよろしい!」

 グダグダ言うレイチェルをサマーセット夫人が一喝する。

「王妃にはレイチェルさん! これは決まりです。妃陛下から続行の返事が来たということは、両陛下もそのつもりです。エリオットなど二、三発根性を注入(・・・・・)すれば聞きわけが良くなります!」

 前時代的な教育方針の公爵夫人。

「それでも嫌だって言ったら……!?」

「二、三十発根性を注入(・・・・・)すれば聞きわけが良くなります!」

 実はマルティナと相性が良さそうな公爵夫人。

「そもそも私も嫌なんです! 見てくれだけのおバカな王子なんて!」

 婚約破棄した相手の言葉とはいえ、流れ弾に傷つく王子から呻きが上がった。ヒートアップしている女性陣は気が付かないけど。

「見てくれだけのナルシストで頭が空っぽのエリオットだからこそ、しっかりした王妃が必要なのです!」

 サマーセット夫人はヒートアップする。エリオット一行に気が付かないまま。

「そもそも! あの底に穴が開いている役立たずの花びん頭に、生涯にわたって国王が勤まらないのは判っていたことです。長子相続だから跡継ぎ予定ですが、だからこそ、万事ひび割れを隠すことができるレイチェルさんが必要なのです!」

 本人が訊きたくなかった裏事情をバンバン暴露する夫人。

「王妃になるのも殿下と結婚も私だって嫌なんですけど!?」

「そんな些細な事はどうでもよろしい!」

「気にして!? 私の意思も尊重して!?」

「どうせ政略結婚が基本の貴族令嬢なのです! 陛下が望むのですからレイチェルさんに選択肢はありません!」

「それでもあのバカ殿さまは嫌だぁーっ!」

 ガンガン流れ矢が刺さっているエリオット。立っていられなくてうずくまる。

「アレが嫌ならば、この際レイモンドでも良いです。とりあえず王妃にレイチェルさんを据えて、旦那は後から考える予定です」

「それ逆~!? 普通王家なら嫁の方をチェンジでしょ!?」

「そんな生易しい事では国は存続できません!」




 言いたい放題の御婦人方に、もう心の傷が痛くて床に手を突くエリオット。

「エリオット様! しっかりしてエリオット様!」

 背中をさすっていたマーガレットは、王子の代わりにババアどもに物申した……無謀にも。

「ちょっと、エリオット様をこき下ろすって何様のつもり!? エリオット様はレイチェルさんの横暴に、このままじゃいけないと思って立ち上がったのよ!」

「マーガレット……!」

 感涙に潤むエリオット。

「エリオット様……!」

 見つめ合う二人。


 という雰囲気を無粋にも破壊する熟女様方。

「エリオットさん!? よくも堂々と顔を出せましたね!?」

「エリオット……おまえは昔から講義を逃げ出してばかりでロクな人間にならないと思っていましたが……やっていい事と悪い事の区別もつきませんか!?」

「お、俺は正しい事を……!」

「私っ!」

「はいっ!」

 まるで伝説に出て来るオーガのように、怒りでヤバい顔になっているマールボロ伯爵夫人が一歩一歩近づいてくる。

「エリオットさん……貴方がその態度では、レイチェルさんに謝る前にお仕置きが必要ですね……!」

「え、なに、を……!?」

 マールボロ伯爵夫人が、いきなりエリオットを後ろ向きに横抱きにした。

「うえっ!?」

 夫人はほぼ成人のエリオットを軽々小脇に抱えると……。

 ズルッ!

「え!?」

「キャーッ!」

 エリオットのズボンを膝までずり下げた。

「マールボロ夫人、何をする!?」

「何をしたはこちらが言いたいことでございます! 貴方の愚かな行動に罰を与えて、レイチェルさんに誠意を見てもらうにはお仕置きです!」

 マールボロ伯爵夫人は手を振り上げ、エリオットの意外とつるんと綺麗なお尻に……。


 パァンッ!


「や、止めろ!?」

「まだたった一発ではありませんか、堪え性のいない」

「そ、そういう問題では……!」

 夫人は聞く耳持たず、再度手を振り上げ……。


 パァンッ! パァンッ! パァンッ! パァンッ!


 爽やかなまでに小気味のいい音が連続する。

「待ってくれマールボロ夫人!? 俺にもメンツというものが……」

「私っ!」

 さらにひどくなる平手打ち……。

「止めろ、止めてくれぇ……!」

 エリオットが止めるのは痛いから、だけじゃない。

 

 最愛のマーガレットが見ている。

 憎たらしいレイチェルもカーテンの陰から顔を覗かせている。

 威信を見せるべき取り巻きたちも固まっている。


 メンツを立てなくてはならない相手が勢ぞろいしているのに、児童のように尻をむき出しにされて叩かれる……これは痛みより先に精神的にクる!

 しかしマールボロ伯爵夫人はそんな事はお構いなし。


 パァンッ! パァンッ! パァンッ! パァンッ!


 延々続く。

 いつまでも続く。

「頼む、これは止めて! 痛いっ! お願い!? 恥ずかしいから!」

 エリオットがいくら懇願しても止めてくれない。

 側近たちも……相手が誰かわかっているだけに止められない。騎士とかなら序列の高いエリオットの指示を優先したかもしれないけれど、貴族にとってこの妖怪ババア(アンタッチャブル)のやることに逆らうのは王子の命令を無視するよりヤバい。


 尻が腫れ上がり、もう呻き声しか出なくなったエリオットを見て、サマーセット公爵夫人がマールボロ伯爵夫人に声をかけた。

「夫人、そろそろ……」

 もう声も出ないエリオットが嬉しそうな表情を浮かべたが……。

「……私に代わりなさい」

 この時の絶望感は、筆舌に尽くしがたい……と後にエリオットは語った。


 ヴィバルディ大公より三歳年上な王家の番人は、歳を感じさせない力強さでエリオットを受け取った(・・・・・)。!

「よいですかマールボロ伯爵夫人。私のように老いさらばえては、貴方のように何度も平手を喰らわすことなどできません」

 その割に准成人男性(エリオット)を小脇に抱えているが。

 公爵夫人の手には、いつの間にか皮サンダルが握られていた。

「代わりに、年齢で衰えた分は経験と知識で代替することができるのです」


 スッパァン! スッパァン! スッパァン! スッパァン!


 より威力と速度を増した軽やかな衝撃音が響き渡る。

「勉強になりました。ありがとうございます」

「うむ」

「余計な事をォォォッ……!?」




 エリオットが声も出なくなり床に下ろされると……。

「ちょっとあんたたち! エリオット様になんてことしてくれてんのよ!?」

 無謀にもマーガレットが食ってかかった。取り巻きたちが“やめろ!”としきりにゼスチャーしているけど、マーガレットの目には入らない。

「おや、貴方は?」

マーガレットが胸を張って答えた。

「あたしはマーガレット・ポワソン! ポワソン男爵家のマーガレットよ!」

「貴族令嬢が何たる口の利き方ですか!? ……これはお仕置きが必要ですね」

「ふえっ?」


 マールボロ伯爵夫人が状況を飲み込めないマーガレットを横抱きにすると、スカートをまくり上げてパンツを膝まで引きずりおろした。

「いや、ちょっと!? あたし女の子よ!? みんなが見てる前で何してくれちゃってんのよ!?」

「こんな青い尻で欲情する男はいません」

「いや、みんな目を背けているし!? 赤くなっているし!?」


 パァンッ! パァンッ! パァンッ! パァンッ!


「ぎゃああああああ!」

「令嬢がなんと慎みのない悲鳴を上げるのですか」

「あたしにこんな事して、エリオット様が黙ってないわよ!?」

「私っ! 令嬢が下町言葉であたしとはなんですか!」

「ぎゃあああああああああ!」


 音が変わったことに気が付き、ヒョコっとレイチェルが顔を出し……悲鳴を上げた。

「それ私の! 私のサンドバッグなのに! 初めて叩くの楽しみにしてたのに!」

「だぁれがサンドバッグじゃあ!?」

「なんですか、その汚い言葉は!」


 パァンッ! パァンッ! パァンッ! パァンッ!


「夫人、そろそろ私にも叩かせなさい」

「おまえらお仕置きなんて嘘だろ!? 楽しんでるだけだろ!?」

「次、私! 私ぃ!」

「おまえも黙れ! このイカれたサド野郎!」


 スッパァン! スッパァン! スッパァン! スッパァン!


「ふむ。なんという叩き心地!」

「で、ございましょう?」

「あ~ん、私のサンドバッグがドンドン使い込まれて……!」

「おまえらまとめて死んじまえ!」

「なんですか、その汚い言葉は!」


「いいですかレイチェルさん。いつまでも聞きわけがないと、貴方もこうですからね?」

 王妃教育の鬼教官二人は、どこか満足げに去って行った。

「……」

 後にはレイチェルのほかに……むき出しのお尻を突き上げたまま床に突っ伏す王子様(エリオット)貴族令嬢(マーガレット)、気まずげに黙っているエリオットの取り巻きが残された。




 皆が押し黙ったままの中。

 もぞもぞ起き上がったエリオットが、へっぴり腰でズボンを上げようとし……腫れ上がった尻が痛くて途中で断念した。マーガレットもグスグス泣きながら、なんとかパンツを上げる。スカートは問題なく下りた……当たり前だ。


 全員が無言の空間で。

 部屋の主であるレイチェルが何か言おうとして言葉を探し……ウィンクして親指を立てた。

「キュート!」

「うるせえっ!」


 膝を叩かれてエリオットが下を見下ろせば、ヘイリーが気の毒そうな顔をしてオレンジを差し出している。

『気に病むなよ。ほら、これ食え』

「うるせえ! エテ公に同情されてたまるか!」


「畜生、覚えてろよ!」

 エリオットが泣きながら走り去った。マーガレットが続き……他の取り巻きたちは追いかけていいのかわからず、顔を見合わせあった。




 その後一週間。エリオットは自室から出てこなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 仮にも王太子を「底に穴が開いてる花びん頭」扱い。この表現が面白い。 [一言] 今まで何でも軽く受け流し、何事にも動じず対処したレイチェルが初めて押されて焦ってるのは驚きました。風紀の鬼の双…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ