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25.令嬢はペットを飼う

 裏庭を老人と壮年の男が歩いていた。言わずと知れた大公と宰相のコンビだ。

「聞きましたよ。先日割られた壺の代わりを、陶工がすぐ作ってくれると約束したそうで」

「おお、経緯を聞いて気の毒がってくれてのう。他の約束に優先して取り掛かってくれるそうじゃ……あの後、儂も寝込んでしまったからの。少しは気が楽になった気がする」

 話しているうちに池のほとりに差しかかり、大公が池の脇に植えてある木を見上げた。

「おお、実が熟してきたな」

 大きく育った木には、子供の拳ほどの小さな赤い実が鈴なりになっている。なかなかの豊作に、大公が嬉しそうに目を細めた。

「鳥たちが集まる水場に美味しい果物などあれば、より集まってくれるかと思って十年ほど前に姫リンゴを植えたんじゃ。今年もそろそろ食べ頃か……すでに齧った痕も見えるな」

「そうですね。……あっ、上の方に何かいますよ?」

 宰相の指さす方を大公も急いで見てみた。

「ほう、白い綿毛が可愛らしい」

「ええ、フワフワの毛がやわらかそうな……猿?」

 二人は顔を見合わせ、目をこすってもう一度木を見上げた。


 木の上の方で、枝から枝に猿が飛び移っていた。柔らかそうな白い短毛を全身にまとい、三十センチほどの体長と同じぐらいの長さのしっぽを持っている。

 サルは何故か背負い籠を担いでいて、日の当たる場所の完熟した実を選んで籠に放り込んでいた。

「猿……じゃな」

「猿、ですね。王宮に猿が出たなんて聞いたことが無いが」

 道具を担いでいるからには飼われている猿なのだろう。それにしても王宮で放し飼いになっている猿なんて……。

 猿は出来のいい実を収穫する傍ら、自分も齧って食べている。今も美味しい所だけを齧り終えた芯を投げ捨てようとして……二人に気が付いた。


 しばし見つめ合う猿と二人。


 猿は近くの良さそうな実を次々もぐと、二人に向かって五、六個投げつけて来た。

「うぉっ!?」

「なんじゃ!?」

 いくつか投げた猿は、ニッと笑ってウインクすると親指? をピッと立てた。

 その顔はまるで、

『腹減らしてるんだろ? 俺のおごりだ、たっぷり食えよ』

 と言っているかのよう。

 猿は籠が満杯になったらしく、ピョンピョン跳ねて木を降り始めた。

「やだ、あのおサル……男前」

「キュンキュン来ちゃいますな」


 地面に降りた猿がどこに行くのかを見ていると……手も使いながらトコトコ走り、かつてエンリケ(仮称)の消えた通風孔へ。

 中から若い女の子の声が聞こえてきた。

「まあヘイリー、たくさん取って来たわね。いい子ね、ありがとう」

大公と宰相は顔を見合わせた。

「エリオットより頼りになりそうじゃな」

「レイチェル嬢もいい男を捕まえましたな」




 エリオット王子は荒れていた。

「くそう……サイクスを守ってやれなかった……」

 取り巻きも涙ながらに報告する。

「昨日の出発の際に見送りに行きましたが……すっかり魂を抜かれた風情で、その姿はまるで運命を悟りながら屠殺場に引かれていく牡牛のようでした……あ、涙が……」

 ボランスキーも悲痛な顔で天井を見上げる。

「せめて……せめてエバンス嬢がペタだったら、サイクス殿も浮かばれたのに……」

「それはない」

エリオットが机を叩いた。

「くそっ、全部レイチェルのせいだ! マルティナを呼び寄せるなんて禁じ手だろう!? 王宮や騎士団の損害がどれだけデカくなったと思っているんだ……しかも、どいつもこいつも俺たちに責任があるように言いやがって……」

 そんな沈痛な空気のエリオットの執務室に侍従がやってきて、至急の件だと大公からのメモを置いていった。

「大公殿下が何の用事でしょう?」

「……またレイチェルだ……」

「でしょうね」

 エリオットが便箋を机に叩きつけた。

「今度は裏庭の果物を、サルを使って収穫しているそうだ!」

「……はっ?」




 聴き慣れたエリオットの荒々しい足音に気が付き、リクライニングチェアに寝そべっていたレイチェルは本から顔を上げた。

「いつもより遅いお越しですね」

「おかげさまでな!」

 レイチェルの腹の上で昼寝をしていた猿も目を覚まし、珍客を見る。エリオットと猿の目が合った。

「レイチェル、なんだコイツは」

「この子ですか? シロゲオナガザルのヘイリーです。ヘイリー、ご挨拶は?」

 レイチェルに言われ、一旦主の顔を見た猿はエリオットに視線を戻して右手を上げた。

『よお』

「それじゃないでしょヘイリー。それは親しい人へするの」

 ヘイリーは間違いに気が付き、立ち上がるとエリオットに尻を突き出して軽く叩いた。

『おととい来な?』

「それも違うでしょ? ヘイリー、相手をよく見てご挨拶」

 ヘイリーはエリオットをじっと見て、立ち上がると両手の親指を耳に突っこんで残りの指を舌と一緒に激しく上下させた。

『バーカバーカ』

「ごめんなさいね殿下。どうも芸を覚えきれないみたいで」

「悪意は十分伝わったわ! 貴様の関係者は猿までこうなのか!? どういう教育しているんだ!」

「愛情をこめてじっくり教えています」

「教えられないのは礼儀か!? 常識か!?」

「お世辞ですかね」

 エリオットがサルをビッと指さした。

「そもそもこいつは、なぜここにいるんだ!?」

 レイチェルが頬に手を当て、嬉しそうにウフフと笑った。

「屋敷に私がいないのが寂しかったみたいで、ここまで会いに来ちゃったみたいです」

 当たり前の事みたいに言われ、エリオットはファーガソン公爵邸と王宮の距離を頭の中で計算した。ざっと馬車で三十分。

「嘘をつくな!? 貴様の屋敷からここまで、相当な距離があるぞ!? 来たことも無い猿がどうやって来るんだ!」

 猿が折癖の付いた手書きの地図を出した。

「メイドに地図を描いてもらって、道を訊きながら来たみたいですね」

「門番は何をやっているんだ!? 猿なんか通すな!」

「ここの門ってほとんど素通しですね、あはははは」

「ここは王宮だぞ!? 笑い事じゃねえんだよっ!?」




 エリオットが咳払いをして仕切り直した。

「貴様の猿が野鳥用に栽培していた果物を勝手に取って行ってしまうと苦情があった」

キョトンとしている猿を指す。

「牢でペットは飼えません。捨てて来なさい!」

「私、出れないんで捨てに行けないんですけど」

「じゃあ自分で帰らせろ!」

 レイチェルと猿が抱き合う。

「聞いた? ヘイリー、殿下は貴方をたった一人で街に放り出せって……酷いよね? 人情が無いわよね? 迷子で野垂れ死んだらどうするのかしら? こんな人が次の王様になったら国はどうなってしまうのでしょうね? 我が国の未来は真っ暗ね」

「ウキー……」

 抱き合ってさめざめと泣く主従にエリオットが怒鳴る。

「ここまで自分で来たんだろ!? 初めての王宮に一匹で来たのに、自宅に帰れないってなんだよ!?」

「あら意外、わりと論理的に考えたわね」

「ウキー」

「揃って嘘泣きかよ!? ペットまで器用だな、おい!?」

 カンカンのエリオットにヘイリーがトコトコ近づき、鉄格子によじ登ってひょいと姫リンゴを差し出した。

「ん? なんだ?」

「ウキャ? ウキャキャ」

 思わず受け取ったエリオットに猿が何か言っている。また本を開いたレイチェルが翻訳した。

「お前も受け取ったから共犯な? だそうです」

「こいつホントに猿なのか!?」




 背もたれをリクライニングさせているレイチェルの腹の上に、猿がよじ登る。レイチェルの胸を枕に自分も寝そべると、チラッとエリオットを見てきた。

「うん?」

 エリオットが見返すと、猿はわざと頭をバウンドさせて主の胸のぷに感を強調してニヤリと笑ってきた。

「……こいつ」

 猿はさらにエリオットに向かって舌を出し、鼻の頭に親指を当てると他の指をひらひら振ってみせた。

「貴様、この野郎!」

 急に怒鳴りだしたエリオットをレイチェルが見た。

「急にどうしました、殿下?」

「このエテ公が俺を馬鹿にした!」

「猿が何を言うと言うんですか」

「いや、だって!? こいつさっきも俺を共犯に仕立てたじゃないか!」

「私がそうじゃないかって勝手に言っただけですよ。常識で考えてください」

「貴様が常識とか……」

「サルがそんなことをするわけないでしょう。殿下の被害妄想ですわ」

「くっ……! ふっ、まあな! ふんっ、猿ごときと同レベルでは争えんな!」

 強がりを言って猿を見やれば、猿はレイチェルにたしなめられたエリオットをニヤニヤ笑ってみている。

「この野郎……」

 エリオットが歯噛みしていると、猿が何かに気が付いたようにエリオットの後ろを覗く。そこにはついて来たマーガレットがいて……。

 猿が目を見開いて驚いた顔をすると、嫌な笑いを浮かべた口元を押さえて上目遣いにエリオットを覗き込んできた。

『ワオ、おまえそっちの趣味!? うーわ、趣味悪う!』

「貴様! 出て来い、ぶっ殺してやる!」

「また、なんですか殿下……」

「このエテ公が俺とマーガレットを思いっきり馬鹿にした!」

「えっ、あたし!?」

 マーガレットが驚いて割り込んできた。猿を見る。

「かわいいお猿さん~!」

 マーガレットの嬌声に、猿もかわいい顔を作ってフリフリとしっぽを振っている。

「この子が何したんですかぁ?」

「ぐっ……!?」

 まさか本人に胸を馬鹿にされたなどと言えない。

「……いろいろと人に言えない事だ」

「殿下……今のちょっとの時間で、猿とどこまで意思の疎通をしたんですか……」

 取り巻きも胡乱気な目で見て来る。

「いや、それはだな……」

 説明に困っているところに、レイチェルの追い打ち。

「猿は言葉がしゃべれないんだから、細かい事なんてわかるわけないじゃないですか……殿下が無意識に思っているから、猿のちょっとしたしぐさに重ねちゃうんですよ」

「ぐぐぅっ……!?」

 誰にも理解されずに奥歯を噛みしめるエリオットの前で、猿がまた嫌な笑顔で拳の中に親指を握りこんで突き出してきた。

『もうヤッた? ねえ、もうヤッた?』

「きぃさぁまぁああ! もう許さん、サーベルの錆にしてくれる!」

 刃が傷つくのも構わず、抜き放った刀でめちゃくちゃに鉄格子を切りつけるエリオット。

「殿下、どうしたんですか!?」

「しっかりして下さい! 落ち着いて、おちついてぇ!?」

「ああ、こんな時にサイクス殿がいれば……」

 取り巻きたちが大騒ぎになり、真剣を抜いているエリオットを何とか抑えようとする。

「エリオット様、落ち着いて下さい!」

 ゼイゼイ言っているエリオットにマーガレットがすがりつき、王子はなんとか落ち着きを取り戻した。

「どうしたんですか!?」

「あのエテ公が、あのエテ公が俺にふざけたことを……!」

「猿は寝ているばかりで、別に何もしてないじゃないですか」

「こいつは陰険なクズ野郎だ! 皆の見ていない時に限って……!」

 と言いながらエリオットが見ると、訝し気なレイチェルの上に猿がいない。

「うん? ヤツめ、どこへ……!?」

 思わず探したエリオットの視界に、いつの間にか鉄格子のこちら側に来ていた猿が入ってきた。

 猿は床にしゃがんで、そーっとマーガレットのスカートのすそを持ち上げて中を覗き込んでいる。エリオットの視線に気が付くと、パッと白い布を指し示した。

『白だぜ?』

「白なのか!?」

「何が白なんですか?」

「え!? いや、その……」

 全然猿が見えていないマーガレットに聞かれ、エリオットは返答に詰まった。まさか猿にお前のパンツの色を教えてもらったなどと言えるわけがない。


 不審を極めるエリオットに、レイチェルどころか自分の側近の目も痛い。

 説明しようにも、猿が人間並みに意思表示するなんて誰も信じない。唇をかみしめてどう言おうか悩んでいると……。

 気が付けばエリオットのすねに肘をついて寄りかかっていた猿が、肩を竦めて首を振った。

『おまえも大変だな』

「誰のせいだと思ってやがるんだっ、このエテ公がぁぁぁあああああ!!」

「きゃああああ!?」

 自分の足元に向かってめちゃくちゃにサーベルを振り回し始めたエリオット。マーガレットが悲鳴を上げ、取り巻きが逃げ惑う。

「殿下、おちついて!」

「医者を、医者を呼ぶんだ!」

 猿は軽々白刃を避け、さっさと鉄格子の向こうに逃げ込んでレイチェルの胸に飛びつく。

「ヘイリー、大丈夫!?」

「ウキー……ウキ、ウキ、ウキャキャ……ウキー? ウキャ、ウキャー……」

 猿はかわいい顔で目に涙を溜め、レイチェルの胸に顔をうずめながらしきりにエリオットがどれだけ怖かったかを身振り手振りを入れて訴えている。

「ああ、ヘイリー可哀想に。こんなに怯えちゃって……怖かったね?」

「ウキー……」

「殿下! ただの猿に当たり散らすなんて最低ですわ!」

「お、俺は! このエテ公があまりにふざけた事ばかりするから……!?」

「猿に何ができるというのです! ちょっと服を引っ張ったり物を取ったりするぐらいでしょう? そんな事で刀を抜くなんて……!」

「そうですよエリオット様! こればっかりはレイチェルさんの言う通りですよ?」

「マーガレット、俺は……!」

「殿下……ちょっと落ち着きましょう? ささ、執務室に戻ってお茶でも……」

「おまえたち!?」

 誰も信じてくれない。

「ウキャキャー……」

「よしよしヘイリー。酷い目にあったね? 泣きたいよね? いい子いい子、私が付いてますからね?」

「エリオット様、お猿さんを虐めちゃダメですよ? めっ!」

「殿下、このサーベルもうどうしようもないですよ……師範になんて言い訳しよう」

 口々に詰ってくる取り巻きの向こうで、レイチェルに抱きしめられた猿と目が合った。皆に見えない角度で、エテ公ヘイリー君が邪悪な笑みで勝ち誇っている。

「……泣きたいのはこっちだぁぁああああ!!」

 エリオットの絶叫が響いた。

 



 戻って来たエリオットたちに、ちょうど居合わせた大公が訊いた。

「どうじゃ? レイチェル嬢に猿の事は頼んでくれたかの?」

「それが……」

 側近の視線をたどると、憤懣やるかたないエリオットが絶叫している。

「納得いかねぇぇえええ!」

「それどころじゃありませんでした……」

「……そのようじゃの」




 レイチェルは昨日ヘイリーと一緒に運ばれてきた、珍しい南国フルーツのバナナをヘイリーに与えていた。

「はい、ヘイリーご褒美よ。よくできました」

「ウキャッ!」

 飼い主のレイチェルは、当然ヘイリーの本性を知っている。




 数日後。


 大公の机に、姫リンゴがいくつか転がっていた。

「これが殿下の取り分と言う事ですかね……猿が年貢を納めて来るとは」

「儂、分け前が欲しかったわけじゃないんじゃが……」

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