22.少女は暁に叫ぶ
早朝の礼拝堂。
祭壇の前にマーガレットが跪き、熱心に祈っていた。
……正確には、熱心に祈っているように見えた。
誰にも邪魔されずに考え事をまとめるには、礼拝堂で祈るのが一番よ。マーガレットは母にそう教わった。
祈っている人に話しかけるのは失礼だ。普段人気者でも、ここでは邪魔されることはない(母・談)。
何より世の中の苦情を言いたいことは、だいたい神様の責任だ(母・談)。
マーガレットは両手を合わせ、目を閉じて首を垂れていた。ぶつぶつとつぶやくその言葉は傍目には聖句に聞こえる。
例え隣に座っても聞き取れない音量で、彼女はこう口に出していた。
「なんとかここまで持って来たっつーのに、なんであと一歩がうまくいかないんですか神様! やっと……やっと王子様をゲットしたんすよ!? だけどあのクソ女が屈服してくれなきゃ、王様が帰ってきたらひっくり返されるかもしれないじゃない! そのあたりよろしくお願いしますよ?」
マーガレットの掌を合わせて握った指先にギュッと力がこもる。
「そりゃここまでの幸運は感謝してますよ? 貧民街で生まれて十歳まで元気に育つなんて運がいい方だし? ちょっとそこらじゃ見ない美少女に育ったし? 変態親父に売り飛ばされる前にママが男爵様をゲットしてくれたし? 貴族のボンボンたちは素直で可愛いあたしにメロメロだし? 王子様だってあんな血も涙もないイカれた女よりあたしが良いって言ってくれてんですよ……もう幸せエピローグまで突っ走るっきゃないでしょ!」
マーガレットの呟く声がだんだん大きくなる。
「だいたい貴族令嬢ってのはなってないのよ! 何あの自分は特別みたいな顔してお高くとまるサルどもは!? あたしの婚約者に近づかないで? はぁ? 木で鼻をくくったみたいな態度であしらって、政略結婚だから仕方なくって言い放って男を幻滅させてたのはどこの誰なの!? そのくせあたしが彼に優しい声かけたら、婚約者を取られるって焦りだすとか馬鹿なの!? 死ねよブタども! てめえらの態度が全部火ぃつけとるんじゃボケが!」
マーガレットの独り言はどんどん大きくなる。怒りに肩も震えてきた。
「フレンドリーな態度で、こまめにケアするのは基本でしょ!? 単純な男どもなんか『貴方だけだよ?』『私はわかってるよ? 貴方が頑張ってるの!』『誰に何を言われたって、貴方には私が付いてる!』の三つだけ囁けばその気になっちゃうんだから! こっちは好かれる努力をしてるんだよ!? 営業努力をちったあしろよクソッタレな嬢ちゃんどもが! そんな態度で結婚して、あとは長男さえ生めば一生左うちわの終身雇用だと!? ふざけろクズが!」
とうとう怒りで頭が沸騰してきて叫び始めるマーガレット。
「ふんぞり返ってろくろく顧客対応もしないくせに、横から契約取られたら業界ルールを無視してるだと!? だったら足で取り返さんかエリートども! 場末の娼婦だって常連客には細かく気遣いしてんだよ! お偉いおまえらができないとは言わせんわ!」
もう完全に頭に血がのぼって、祈ってる体さえ忘れるマーガレット。
「あたしはエリオット様を無事ゲットしてアイツらを見下してやるんだから! ママは貧民街の娼婦だったけど、ちゃんとお客を選んで付き合ったから男爵夫人にまで成れたんだもん。娘のあたしはママ譲りのこの美貌で、男爵家から一気に王子様取ったる!」
祭壇の前でビシッと勝利のポーズを決めるマーガレット。不信心この上ない。
「それにしても……あのレイチェルを何とかしない事にはエリオット様との未来が薔薇色にならないわ。幸いレイチェルの方はエリオット様にあんまり惚れてる様子が無いけれど……あんなにカッコいいのに、なんでレイチェルは気にならないのかしら。まあ確かにジョージもカッコいい方だから見慣れているのかもしれないけれど……でもエリオット様は別格にカッコいいじゃない。何が不満なのかしら」
主に中身が。
「まあ、あいつも確かに見た目が良いもんね。男にチヤホヤされるのに慣れているからなのかな……」
多分違う。
「にしても……あの女、地下牢に入ったら薄着のせいか、素材の良さが目立つわね……。あれホントにコルセットで“作って”ないの? ウエストなんかこーんなんだし……あの胸、マジでパット入ってない? ケツのラインから見て足も長いわよね……」
意外にちゃんと見てるマーガレット。薄着だけでエキサイトしている男たちとは大違い。
マーガレットはハッとする。
「いや、ちょっと待って……顔があたしといい勝負な上に、スタイルがメッチャ良くって……しかも公爵令嬢で頭もいい? 王様だか王妃様だかから覚えめでたくって、エリオット様に何されても余裕で躱してるって……」
マーガレットは愕然とした。キッと祭壇を睨むと、主神像をビシッと指さす。
「ちょっと神様、どういうことよ!? 生まれは最高で才色兼備、運もあるって……レイチェルばっかりエコ贔屓じゃない! 幸運を平等に分配するのがあんたの仕事でしょ!? 寄付金もらってる分だけ働きなさいよ給料泥棒! ……いや、もちろんあたしに多めに配ってくれる分には嫌とは言わないけどね?」
少女は顎に手を当て考えながら祭壇の前をうろうろ歩き回る。
「いや、そもそも考え方が違うのかしら? レイチェルはもらい過ぎでしょ? あたしはいまいち上がり切れないし……貴族でも、もっとパッとしない連中もいるわよね? 神の恩寵にこれだけ差がつくって、いったい何が違うのかしら……」
うろうろ歩き回ったマーガレットがぴたりと止まった。
「まさか……いえ、そうよ……きっとこれだわ!」
主神像を再度指さし、マーガレットが叫んだ。
「神様、あんた面食いでしょ!? 顔が良いレイチェルやあたしは運が良くって、さらにスタイルが良いレイチェルは特別枠! くそう、謎は全て解けた!」
祭壇前で地団太を踏む少女。不信心を通り越してバチあたり。
「そう言う事かぁ! クソッ! それじゃあたしはいつまで経ってもレイチェルの上に行けないじゃない! 神様め! 今までの喜捨が全部無駄じゃない!? 祈れば人生なんとかなると思ってた、あたしの純情を返せ!」
返済を主張できるほどご立派な信仰心でも無いし、通算で財布をひっくり返せば弁済できる程度の寄付金だったのはこの際無視するマーガレットだった。
礼拝堂から何やら奇声が聞こえると言うので駆けつけた神父は、遠目に少し扉が開いているのを見つけた。動物が入ってしまって鳴いているのかもしれない。
「はて、発情期の猫でも入り込んだかな?」
中を確認しようと近寄った神父が扉に手をかける前に、両開きの扉が中から押し開けられた。
「?」
綺麗な赤毛をツインテールにした少女が、取手に手をかけ立っている。俯き加減で、肩が震えていた。
「おや、お嬢さん。何かありましたかな?」
「……神は」
「はい?」
上を向いた可愛らしい少女は、鬼の形相で絶叫した。
「神は、死んだ!」
「なにごと!?」
腰を抜かす神父を横目に、マーガレットは泣きながら走り去る。
「くそう……ちくしょう……あたしはてっぺん取ってやるんだからぁ……」
神様が面食いでレイチェル優先だろうと、私はそんなのぶっ飛ばしてエリオットと結婚してやる!
マーガレットはくじけない。雑草のごとき生命力で、何度だってトライしてやる。
生まれついての貴族令嬢の上を行ってやる。
走るマーガレットは進路を睨んだ。
「そうよ、お貴族様にはお貴族様をぶつけてやるのも一興じゃない。レイチェルを引きずり降ろそうとしていた、エリオット様狙いのブスどもを焚きつけてやれば……よし、それで行こう!」
マーガレットは、上がり始めた太陽に向かって拳を突きあげた。
「神が何だぁ! まっけるもんかぁーッ!!」
レイチェルは闇に忍んで来たメイドから、定期報告でマーガレット爆走の一件を聞いた。
「なるほど……そういう方でしたか」
「はい。独り言の多い方ですね……調査担当が三日がかりで調べた身の上話を全部口に出してましたよ」
「調査担当は泣くに泣けませんね。先に言ってくれたらよかったのに」
令嬢はすっかり冷めきったお茶を一口含み、天井を見上げた。
「しかし……」
「はい」
「めんどくさそうな方ですね」
帰りかけたメイドが腰を落として投擲用のナイフを抜いた。レイチェルが手を上げて制する。
外からの扉が開き、鎧のこすれる音を響かせて一人の少女が降りて来た。簡素な略式鎧に埃避けのマントを羽織り、騎士の旅装に身を包んだポニーテールの少女だ。漆黒の髪とお揃いの黒い瞳を持っている。
「すまないな、もっと早く会いたかったんだが遅くなった! これでも家にもよらずに直行してきたんだが」
「いいえ、マルティナ。よく来てくれたわ」
メイドに牢番の椅子を用意させ、レイチェルは微笑んだ。
「近況の報告の前に……お茶でもどう?」




