表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/40

20.弟は昔を思い出す

 姉は美しかったが何故か影が薄く、「よく見れば美人」などと言われていた。

 じっくり見れば見惚れるほど美しいのに、意識して探さないと視界に入らない。殿下の妃の地位を狙う他の令嬢から「昼間の月」などと陰口を叩かれていたが、正直言いえて妙だと思う。

 エリオット殿下が男ながら光り輝くような美しさであるのもあって、隣で背景と化していた姉は確かに昼間の月だった。




 「おい、ジョージじゃないか!」

 サイクスの幾分焦りを含んだ大声に、ジョージはぼんやりと顔を上げた。

「ああ、サイクス……」

 庭園の段差に座っているジョージの元にサイクスが駆け寄った。

「最近殿下の所に来ないんで心配していたんだが……お前どうしたんだ、酷くやつれているぞ!? 寝不足か? 飯食ってないのか?」

「いや、そういう訳じゃないが……ちょっと疲れることがあってね……」

「そういうときはステーキだ。疲労はステーキで回復する。赤身肉のレアを五百ぐらい食えば大抵の肉体疲労は改善するぞ?」

「いやいや、そういう問題じゃないんだ……」

ジョージは力なく笑って友人に説明した。

「アレキサンドラが急に帰国したんだ……で、彼女に相応しい男に鍛え直すって言われて、外務で猛烈な詰め込み教育を受けているんだ……もう頭が詰め込み過ぎで破裂しそうだ」

「なるほど! うん、そういう時はステーキだな。ステーキを食えば大抵の精神疲労はたちまち解消する」

「その方法で何でも解決するのはおまえだけだ」


「しかしアレキサンドラか……親の海外視察について行ってもう一年くらいか」

「ああ」

「あれか? 再会した瞬間は盛り上がってキスとかしちゃったのか?」

「馬鹿言え。そんなシチュエーションじゃなかったよ」

 まさか姉に土下座中に彼女が隠れて見ていて、身内に一番聞かれたくない恥話を全部バラされたとは言えない。

「それ以来こき使われて殿下の所へ顔を出す余裕さえないんだ……」

「なるほどなあ」

 サイクスがニヤリと笑ってジョージの肩を小突いた。

「ま、おまえはアレキサンドラと仲良くやってろ。マーガレットは俺がエスコートするからよ」

「マーガレットは許嫁とは違う、もっと高尚な存在というか……おい、僕をなんだかんだという前に、サイクスお前だって立場は同じじゃないか。マーガレットにのぼせ上がっているって、マルティナは知っているのか?」

 ジョージが人の悪い笑みを浮かべた。

「マルティナはおまえを熱愛しているからなあ。殿下と姉上とか、僕とアレキサンドラとか、政略や腐れ縁の許嫁とは一味違うじゃないか。まあ殿下がいるからにはサイクスがマーガレットと結婚はないけど、マルティナよりもマーガレットに入れあげてるって知られたらまずいんじゃないのか?」

 サイクスの許嫁は政略による婚約とはいえ、幼少の頃からサイクスにべた惚れだったらしい。彼女もまた国境付近へ赴任して都にいないけど、サイクスと結婚するのだから行きっ放しという事にはなるまい。

 他人の事をからかう前に、おまえはどうなんだ? そんなちょっとした反発心を込めてジョージがサイクスを見たら……。


 サイクスが振動していた。


 彼の大柄でごつい身体が、小刻みというより何かの装置みたいに超微細な振動で震えている。

 よく見れば汗がとめどなく噴き出し、目はうつろで手は硬直している。

「……ごめん。マルティナの事は言うべきじゃなかったな」




 サイクスが落ち着いた頃。

 ジョージがぽつりと言った。

「……ここ最近の騒ぎでさ、思い出したことがあるんだ」

「なんだ? 昔の思い出か何かか?」

「ああ、思い出というかなんというか……おかしな記憶があるんだ」

 ジョージは足元の小石を拾って投げ飛ばした。軽く飛ばしたそれは何メートルか宙を飛び、芝生に打ち込まれた杭に当たる。

「どういう訳か、前後が判らなくってそのシーン一つだけを覚えているんだ」


 それが自分の見たものなのか、それとも夢なのかわからなかった。

 本を読んで衝撃を受けたシーンを幻視したのかも知れないし、全然違う光景を頭の中で合成してしまったのかもしれないとも思っていた。

「すごくいい天気で、青空の下に庭が広がっていて……」

 多分園遊会か何かの記憶なんだろう。ジョージの視界には、子供たちがいた。だけど……。

「問題は、その真ん中の脈絡もない光景なんだ」

 庭園の広い池のほとりに、赤茶けた髪を持つ女の子が立っていた。

 ワンピースを着た小さな女の子は、池をずっと見つめていた。手に小石を持っていて、時々池へ投げている。幼児がよくやる遊びだ……その先に人がいなければ。


 池の中には男の子が一人いて、岸から離れた所で溺れていた。必死に手をばたつかせ、水を飲んでしまうのか助けを呼ぶこともできない。必死にもがいて浮き上がろうとするのだけど、岸に近づくことはできない……女の子が石を投げつけるから。

 溺れる子が岸に近づこうとすると、女の子が子供と思えないシャープな投石で威嚇をする。彼女の投げた石が当たった瞬間だけ、男の子の悲鳴がかすかに聞こえる。

「異様なのは、その女の子の顔なんだ……」

 女の子は男の子を溺れさせているのに、何の感慨も無い平静な顔をしていた。

 虐めている子の事を見下したような嘲笑でもなく、怒りを込めた憎しみの顔でもない。ただ淡々と「親に焚火の跡がちゃんと消えているか確認しておけ」と言われて仕方なく見ているような……つまらない作業をやらされていると言わんばかりの、事務的な顔だった。

 そして女の子の周囲には、よそ行きの服を泥だらけにした男の子たちが座り込んで泣いている。

 彼女より体の大きい男の子たちが、顔を涙でくしゃくしゃにしながらしきりに「お願いだよ。もう勘弁してよぉ」「死んじゃうよぅ。もうやめてよぅ」と女の子に訴えているが……少女は無視して溺れている男の子を監視している。

 たまに女の子にすがりつこうとする子がいるけど……彼女はサッと躱し、その子にも石をぶつけて撃退していた。


「覚えているのはそれだけ。前後はないんだ。とにかくその光景だけが記憶に焼き付いているんだ」

「……なんていうか、ずいぶんシュールな光景だな」

「ああ。あまりにシュール過ぎて悪夢とも言えない。現実の物かも、何か絵で見たのかもわからなかった。何かの暗喩かと思って学者に聞いたこともあるけど、わからなかった」

「それを思い出したのか……ははっ、なんか最近のお前のねーちゃんみたいだな」

「そうなんだ……」

 ジョージががっくりと首を落とした。

「……それで気が付いたんだ」

 あの光景は、夢じゃない。

 あれは現実にあった事。

「この変な記憶は夢でも何でもない。ただ目の前で起きたことを覚えていただけなんだ」

「……もしかして」

「ああ……なにかの集まりで、気に食わない事をしたらしい男の子に姉上が制裁を加えているだけだった……」


 押し黙った二人の上を、陽気に誘われたツバメが一声鳴きながら通り過ぎた。




 ややあってジョージが顔を上げた。

「それでな。それを思い出したら、一つ気が付いたことがあるんだ」

「なんだ? もっと怖い話とか、勘弁だぞ?」

「それは聞いてもらわないと判らないが……僕、アレキサンドラが苦手だったんだ」


 アレキサンドラとは幼少時からの幼馴染とはいえ、正直それほど仲が良くない。

 何しろ彼女には昔から罵ったり酷いいたずらをしたりされていた。いじめに近い事をされていた記憶があるから苦手意識が刷り込まれている。

 さすがに最近では手が出てくることは無くなったけど、今でも上から目線で散々口撃されていて、彼女が親の視察旅行について行ったときは正直しばらく会わずに済むとホッとしたものだ。

「でも、それには僕の誤解もあったんだ」

「誤解? 俺はある程度の大きさになってからしか知らんけど、彼女はいつもそんな感じだったろ?」

「ああ。だけどさっきの記憶が何だったか判ってから思い返すとな……僕は色々記憶を混同していたんだよ」


 ジョージに何かしてくる女の子は一人じゃなかった(・・・・・・・・)


「よくよく考えれば、一人の女の子がしてきたんじゃなかったんだよ。顔を覚えてはいないけど、小さい頃に何かしてきた女の子には金髪だった時と赤茶色の髪だった時があるんだ」

「おい、それって……」

「そう。僕を見るなり罵ってきたのは金髪の子。だまって何かしてくるのは赤茶の髪の子……いたずら、というか実験をしてきたのはアレキサンドラじゃない。姉上だ」

 サイクスが天を仰いだ。今日も空は高い。

「……アレキサンドラもとんだ風評被害だな」

「そうなんだ。彼女には悪い事をした……彼女を一番苦手になった記憶が、彼女じゃなかったんだから」

「……何をやられたんだ?」

「……これも、一シーンしか覚えていないんだけどね」


 僕はいくつぐらいだっただろうか? 庭先で、カタツムリを見つけて遊んでいた時。

 いつの間にか横に来た女の子に手を取られ、庭の奥の方へ連れていかれたんだ……。


 赤茶の髪の子は人目のない所へ来るなり、いきなり僕のズボンを引き下ろした。

「な、何!?」

「うん、ちょっと……お尻貸して?」

 そういう彼女の手には、爆竹が箱で握られていて……。


「まて、おいそれは……どうなったんだ!? 何をされたんだ!? いったい何を……いや、やっぱいい! もう怖くて聞きたくねえ!?」

「ははは、心配するな! 僕だって覚えているのはこれだけなんだ! 姉上が僕で何をやったのか覚えてないんだ……覚えてないんだよぉ……」


 庭園から響いてくる男二人の悲鳴と妙に甲高い空笑いに、通りがかりのメイドはいったい何だろうと首を傾げた。




 最近姉上は綺麗になった。

 好きなように生きているせいか、自分を型にはめずに生きているせいか。

 本当の彼女は艶やかで、輝くような美しさを持つ人だった。美貌の殿下に引けを取らないくらいに。

 姉上は本当は、昼間の月なんかじゃない。




 太陽も食らいつくすような、シャレにならない爆発力の超新星だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 太陽も食らいつくすような、シャレにならない爆発力の超新星だった [一言] …(●´ー`● ).。oOしみじみシジミ
[良い点] おねぇちゃまがえげつなすぎて、ざまぁの爽快感が消し飛ぶ悪の所業。 そうだよね、人間本当に辛い時の記憶ってとぶことがあるんだよね。 7歳の花火を見ておもらしって、花火に対するトラウマによるも…
[良い点] ここここここここわいよううううううううwwww
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ