16.侍女は主へ届け物をする
「いいか、ネズミ一匹通すなよ!? 確実に封鎖してレイチェルを締め上げろ!」
エリオット王子の指示を受け、地下牢のある建物の周囲に騎士たちが配置された。騎士団から交代で数名ずつを派遣させ、物陰に隠れてレイチェルが外部と連絡を取る現場を押さえさせる。
「どう考えてもレイチェル嬢は牢屋を開けて新しい物資を受け取っている。じゃないと一新された家具の説明がつかない。外部から運び込んでくるヤツを押さえて、目の前で兵糧攻めを実感させるんだ」
サイクスが騎士たちに作戦を説明する。牢の中にいるレイチェルに敢えて聞かせている。
騎士たちはそれぞれ入口や換気窓が見える植栽の影などに隠れ、うっかり近づいた連絡要員を捕縛する計画だ。目の前で頼みの綱が捕まれば、さすがのレイチェルもがっくり来るだろう。
「まったく……相変わらず公爵家には動きが無いという話だし、どうなっているんだ」
エリオットが苛立たし気に呟く。公爵家は救出の動きを見せるどころか、逆に公爵夫妻はのほほんと旅行に出かけてしまった。
「ヤツらは現状把握ができているのか!? 娘が犯罪を犯して捕まっているんだぞ!? 普通は差し入れの一つも持ってくるもんだろうが!」
「殿下、姉上に補給したいんですか? したくないんですか……?」
ジョージに指摘されてエリオットは憮然として応えた。
「もちろんレイチェルに支援物資が届くなど論外だ。しかし菓子の一つも届けたいのが親の情というものだろうが。まったく、公爵は何をしているのだ!」
「……私が城下の店から父の名で配達させましょうか?」
「うむ、それを目の前でバリバリ食ってやる」
「あ、ちゃんと嫌がらせは考えてたんだ……」
外で聞こえるように大騒ぎしているのを聞いているのかいないのか。レイチェルは今日もアイマスクを付けて、ベッドに潜り込んでスヤスヤ寝息を立てていた。
今日も今日とて忙しく、自分の仕事と主の代理仕事を片付けている執事の所へソフィアが顔を出した。
お嬢様付きの侍女はよそ行きの外套を着て頭巾を被っている。外出するつもりのようだ。
「ジョナサンさん、お嬢様に面会してきます」
「ああ、そうですか。館の一同が皆心配しているとお伝えしてきて下さい」
サインする手を止めて顔を上げた執事が頷く。が、次の言葉に固まった。
「合わせて二、三日出張してきますので、私とメイアはその間戻りません」
主がいないのに、侍女が出張って何だろう?
ちょっと考えたが、特に何も言わずジョナサンは署名を再開した。
「承知した。お気をつけて」
お嬢様関連で細かい事を気にしても仕方ない。
外出したソフィアは王宮には向かわず、ほど近い街区にある商店へ通用口から中に入った。
事務所に顔を出して商会の代表から報告を受ける。
隠れ蓑の表商売。裏でやっている遠隔地との連絡。お嬢様への補給物資の準備。お嬢様から特に頼まれたこと。全て問題ないのを確認すると、さっそく荷車を出すことにした。
ソフィアの到着で既に出発準備を整えていた荷車に、護衛と一緒に荷台の奥へ乗り込む。裏庭の木戸から馬車が出ると、商店は全く普段の光景と変わりなくなった。
王宮の門衛はそれなりに忙しい仕事だけれども、慌ただしいのは大体昼までだ。誰だって内に入ってから用事があるわけで、そんなに遅い時間には訪ねて来ない。午後もある程度の時間になると、入城を乞う来客も搬入の荷車もほとんどいなくなる。
そんな所へ、特に特徴もない小型の荷馬車がやってきた。
「停車! ……えーと、どの部署への納品か?」
年配の門衛が応対した。行き先の部署を聞く門衛に、御者台に座っていた初老の男が帽子を持ち上げ挨拶しながらにこやかに答えた。
「はい、キャットフードの配達です」
「了解した、通れ!」
通行許可証を渡しながら門衛が合図し、他の門衛が進路妨害用のバリケードをはずす。そちらにも会釈する御者を乗せ、荷馬車は王宮の中へと入っていった。
最初の門から通達が行ったらしく、後の門はフリーパスで荷馬車はそのまま通り抜けた。
地下牢の前までやってきた車は切り返して、扉に後ろを向けて停車する。
馬車の荷台からソフィアが降りた。御者と護衛が幌を開け、さっそく荷物を降ろし始める。
そこへ、近くの植え込みから騎士が走り出た。
騎士はソフィアの前まで来ると立礼をする。
ソフィアは落ち着き払って尋ねた。
「“犬”は?」
「この時間の当番は全て“猫”で固めています。他の者は周囲の警戒を。牢番の今日の巡回は三時間後です」
気が付けば、さらに数人王宮の使用人が集まって荷下ろしを手伝っている。搬入は彼らに任せ、ソフィアは地下牢へ降りた。
すでに上の状況を察したレイチェルは、南京錠を外して巻き付けた鎖を抜いていた。牢の扉自体の鍵も、器用に鉄格子の外へ伸ばした手でピッキングしている最中だ。
「お嬢様……扉を開けるのは合鍵を使ってください」
ソフィアが苦言を呈すれば、レイチェルが気にしてない様子で平然と答える。
「たまには使いませんと、技術が錆びてしまいます」
「変に傷がつくと手口を悟られます。鍵穴を鋳つぶされたらどうするんですか」
「この鉄格子がそのままスライドして壁に収納されたら面白いと思わない?」
「それは次回にして下さい」
「私、また入るの……?」
お嬢様を押しのけたソフィアが牢番しかもっていない筈の合鍵で扉を開ける。ちなみにレイチェルも持っている。けど使わない。それがピッカーの矜持(嘘)。
「生活上、何か不都合はございましたか?」
「特になかったですね。クッションからベッドに換えてからよく寝られるし……執筆もはかどるわ」
「マウス&ラット商会からもらってきた見本を馬車に積んであります。後で確認してください。……一か月も入っていないのに、なんで十巻まで書けるんですか?」
「ふふ、キャラが生きてると勝手に動いてくれるのよ」
レイチェルは扉をくぐって約一か月ぶりに前室へ出てきた。
「んふーっ! 久しぶりのシャバの空気だぜ!」
「鉄格子一枚じゃ、さっきまで呼吸していた空気と変わりませんよ。時間が無いのでさっさとこちらに座ってください」
ソフィアはレイチェルを牢番用の椅子に座らせると、用意してきたブルネットのウィッグを被せて櫛を通す。レイチェルが元々ロングヘアなので、より濃い色のウィッグをうまく透けないように馴染ませていく。人に会えるように髪型も整えた。
「こちら、王立劇場のボックス席のチケットです。演目は『王子と乞食』。今日明日はお坊ちゃまが家にいらっしゃいますので、“緑の若葉亭”でリビング付きツインの客室を取っておきました。地下牢へ帰る時の身支度用に、宿にメイアを待機させております。屋敷に用事があればメイアを通してリサへ指示してください」
すでに外出着を着ていたレイチェルは鏡で髪を確認しながら、嬉しそうに顔をほころばせる。
「アレキサンドラに会うのも久しぶりね! あちらのお父様の赴任について行ってからだから、もう一年以上経つのね……」
「向こう様からも、ぜひともお会いして詳しい話を聞きたいと伝言がございました。マルティナ様からも、間に合わないのを謝する手紙が」
答えながらソフィアは頭巾と外套を脱ぐ。
灰白色の髪はすでにチョコレートブラウンに染められ、主と同じ髪型にセットしてあった。服もレイチェルの部屋着を着てきている。普段は雰囲気や服装でごまかしているけど、実はこの二人、身長も体型もよく似ている。
「服ぐらいこちらで着替えればよかったのに。サイズは大丈夫?」
「時間の余裕が読めませんでした。胸に余裕があるのがムカつきます」
「貴方もそこそこあるのに、そんなこと言っちゃだめよ? サンド・バッグさんが化けて出て来ちゃう」
「あのご令嬢、ピンピンしてますよね……」
御者が搬出入の終了を知らせてきた。
レイチェルがソフィアの頭巾と外套を被る。ソフィアは牢の中に入り、見落としが無いか確認した。
「……そう言えばお嬢様、ゴミらしいゴミが前回も出ていませんでしたね。食べた後とかどうしているんですか?」
「ん? 置いとくと衛生上よくないでしょ? だから窓から裏庭に投げ捨てていたら、どこかから苦情が入ったらしくって……前室のゴミ箱に放り込んでおけば、牢番さんが分別回収してくれるようになったわ」
言ってきたのは多分、裏庭をこよなく愛するあの人。
「そうですか。それはようございましたね」
基本的に問題が解決していれば些細なことは気にしない似た者主従。
レイチェルが外から鍵をかけ、ソフィアが中から鎖を巻き付け南京錠を付ける。この時だけは、いつも余裕を見せているソフィアが落としかけて持ち直した。
「お嬢様、この鍵よく持ち上がりましたね……」
「それぐらい持ち上がらなかったら、弩弓なんて構えたまま世間話なんてしてられないわよ」
王子を脅したのを世間話と言っちゃう系令嬢は、多分世界にただ一人。
レイチェルもざっと前室に忘れ物が無いか確認する。
「ここのところ夜更かしして生活時間を変えているから、布団をかぶっている分には牢番さんは声をかけて来ないわ。たまに来る殿下たちの応対が問題だけど……大丈夫よね?」
牢の中のソフィアが喉を何ヶ所か押さえて咳払いする。そして。
「見た目はメイクでだいぶ近づけているし、照明を絞っていればあの人たちでは違和感も感じないんじゃないかしら……だって殿下もサンド・バッグさんもアレだし?」
レイチェルの声と口調で答えた。
レイチェルはニコッと笑って満足の意を示すと、御者を促して石段を登り始める。
「それじゃソフィア、明後日のこれぐらいの時間にね」
「はい、パジャマパーティを楽しんできてください」
「話題が殿下とジョージってのも、なんですけどね」
地下牢から外へ出たレイチェルは、一か月ぶりに見る満天の空を眺める間もなく荷馬車に乗り込む。
すぐにガタガタ動き始めた馬車の中で、頬杖を突きながらレイチェルは目を細めた。
「さーて……まずは手足からもいでいきましょうか」
皆様からご指摘のありました部分を修正いたしました。ありがとうございます。
一度公開したものを書き直すのはしないようにしているのですが、今回は法律に引っかかってくると言う事で、急遽変更させて戴きました。




