13.少女は令嬢に面会する
なんでこんなところに、という来客にはもう慣れてしまった牢番だったが……今日のはまた毛色が違うな、と彼は思った。
赤毛のロングヘアをツインテールにまとめた可愛らしい少女が、地下牢へ面会をしにやってきたのだ。
王子だの貴族のボンボンだの出前の兄ちゃんだのが今まで来たけど、女の子は初めてだ。
……こう並べてみると、むしろ珍しく無いのかもしれないが……。
「お嬢ちゃん、ここは無関係な人は立ち入り禁止でね……」
どうせ押し入るんだろうなあ……と思いつつも言いかける牢番を少女が手で制した。
「わかっています! レイチェルさんにマーガレット・ポワソンが面会に来たとお伝えください!」
「やっぱり聞いてねえよ……」
「なんですか? ほら、早く!」
なんか最近若いのに顎で使われてばっかりだ、なんてことを考えながら牢番は仕方なく地下牢へ降りる。
少女は意気揚々と後ろをついてくる。
「……お嬢ちゃん、『お伝えください』って言葉の意味、わかってる?」
「わかってますよ? さあ、早く案内してください!」
「もうやだ、こんなのばっかり……」
地下牢の前まで来ると、マーガレットと名乗る少女は鉄格子へ駆け寄った。
「レイチェルさん、マーガレットです! お久しぶりです!」
誰だかよくわからん女の子はめっちゃ張り切った大声で朝の御挨拶を叫んでいるが、牢番はそれだけで冷や冷やして来た。
理由は何故か知らないが、最近牢の住人は朝が遅いのだ。現に今もベッドに入ったままだ。それを叩き起こすって……。
そして短い付き合いの中で思ったが、あのトンデモお嬢は多分自分のペースを乱されるのを嫌う(いつも主導権を握っているので、乱されるのが想像つかないが)。このマイペースな女に無理やり起こされてどうなるか……。
知らず知らず牢番は鉄格子から距離を取った。
牢番の恐怖をよそに、レイチェルはわりと穏当に起きだした。
「むう?」
深くかぶっていた羽毛布団から頭を出し、グシグシと目をこする。上半身を起こしてぼんやりと自分を呼ぶ少女を見た。
「レイチェルさん! 私です、マーガレットです!」
「?」
言われてもまだしばらくはボーっとした顔をしていたレイチェルだったが、目の焦点が合うとカッと見開いてベッドから降り立った。
「もう、やっと目が覚めましたか!? ねぼすけさんなんだから!」
赤毛の女がテンション高く叫びながら鉄格子にしがみついて揺さぶると、レイチェルもそこに駆け寄った。
それを見て「あ、友達かなんかか」と思った牢番は、多分誰からも非難されないと思う。
牢番がそう思って安堵した瞬間だった。
「グフォッ!?」
鉄格子を器用にすり抜けたレイチェルの飛び膝打ちが、赤髪娘の鳩尾にめり込んだのは。
「ハンギャーッ!?」
面会の少女は訳の分からない雄叫びを上げて吹っ飛んだ。
床をゴロゴロ転がった赤毛娘が痛みにのたうち回る。あちこちぶつけても気にせず腹を抱えているからには、相当に膝の一撃が効いたみたいだ。
「な……なに、を……」
息も絶え絶えに少女が呟いた問いかけに、レイチェルがハッとした。
「あ、すいません。ついつい一発入れたくなる良いおなかをしていたので……」
「何よそれ!?」
歯を食いしばってやっと身を起こした少女に、レイチェルが鼻息荒く解説する。
「いや、ホントですよ? あなた、凄いイイ感じなんです! こう、思わず殴りたくなる頬っぺたとか、叩いてほしいと言わんばかりのお尻とか。もう全体的に私をぶってと言わんばかりのオーラが湧きだしているんです! 私、直接手は出さないようにもう十年以上気を付けていたんですけど……ついつい誘惑に負けて膝を入れてしまいました!」
赤毛娘が牢番を手招きする。
「な、なんだ?」
おそるおそる近寄った牢番の襟首を少女がねじり上げた。
「ちょっと、アイツなんなの!? 出会いがしらに“アイサツ”かますとか、あれホントに貴族のお嬢様!? スラムの“本職”だってあんな滑らかにできないわよ!?」
「そんな事を俺に言われても……」
赤毛の少女は下町育ちなのか、最初のキャピキャピしたテンションが嘘のようにキツイ語調で牢番を締め上げて来た。
「あれ、ホントにレイチェル・ファーガソンなのよね!? 公爵家令嬢の!?」
「俺だってよくは知らねえけど、そうなんじゃねえのか」
ボソボソ話していると、まだ興奮しているレイチェルが牢の中からしきりに少女を褒める。
「見れば見るほどあなた凄い! 十年、いや二十年に一人の逸材です! 間違いない、あなたには誰もかなわないサンドバッグの才能があるわ!」
「サンドバッグの才能って何!?」
褒め方がおかしいが。
鉄格子にしがみつくレイチェルが少女にかわいくお願いした。
「十発だけでいい、お願い、往復ビンタさせて!」
「一発だって嫌よ!」
お願いの内容がまたおかしいが。
「じゃあ五発! 五発だけでいいから!」
「人の話を聞けえ!?」
「いや、お前が言うなよ」
そんなやり取りをしていて……生まれたての小鹿みたいにプルプル震えながらやっと立ち上がった少女の顔に、ふとレイチェルは首を傾げた。
「ところであなた……どこかでお会いしましたっけ?」
赤毛娘がまた牢番を手招きする。
「な、なんだよ……」
嫌そうに近寄った牢番の襟首を少女がギリギリとねじり上げた。
「な・ん・な・の・あの女は!? あたしを知らないってどういう事よ!?」
「いや、俺は知らんがな……」
「それを置いといたって……いや、置いといてこそおかしいでしょ!? 初対面と思ってる相手に言葉も交わさないうちからいきなり腹バン食わせるとか、頭の中どうなってんのよ!?」
「だから俺に言うなよ……」
レイチェルはレイチェルで、牢の中から猫なで声で買収にかかってきた。
「ね~え~、欲しい物買ってあげるからぁ? ね、ちょっと殴らせて?」
「誰が殴らせるか!」
「そうよね……やっぱりこう、スナップを聞かせて叩かれる方がいいわよね? 頬っぺたの柔らかい肉に食い込む感覚が楽しめるもの……あなた、わかってるぅ」
「やり方の好みなんか知るかっつーの! なんでこんなホンモノが今まで野放しだったのよ……」
やっと足腰がしっかりしてきた赤毛娘がレイチェルをビシッと指さす。
「本当に忘れているんだか虚勢を張ってるんだか知らないけれど、あなたこのままじゃお先真っ暗なんだからね! エリオット様に謝るんなら今のうちよ? 私はそれを言いに来ただけなの!」
鉄格子の向こうでレイチェルがまた首を傾げた。
「謝るって……先にサンドバッグを使っちゃってごめんなさい?」
「誰か! 自警団を呼んで!? ヤバいのがいるわ!」
「いや、嬢ちゃんはもう牢屋に入っているし」
充分に鉄格子から距離を取りながら、少女はレイチェルに向かって叫んだ。
「ふんっ、あんたがそういう態度ならもうそれでいいわ! エリオット様のお妃になるこの私を甘く見ない事ね!? あとから後悔しても遅いわよ!」
足音高く石段を上がって出ていく彼女を、レイチェルと牢番は見送った。
「結局のところ、彼女は誰だったのかしら?」
「お妃になるとか言ってたから、王子様の関係者じゃねえのか?」
「どこかで見たような気はするんだけどなあ……名前もなんだか聞いたことがあるような」
レイチェルはちょっと考えたが思い出せないらしく、すぐに思考が他の事に切り替わったようだった。赤毛の少女が消えた方角を眺める。
「ああ、そんな事より叩いてみたい……なんか懐かしい感覚に火が点いちゃった。この際、殿下でもいいから叩かせてくれないかしら」
「この際の相手が大物過ぎねえか……?」
「あらそう? 大したことないわよ。昔、池に沈めかけたし」
「沈めかけたって……王子を!?」
驚いて聞き返したけど返事が無い。
牢番が振り返ると、レイチェルはベッドに戻ってアイマスクを付けているところだった。
「起きたばっかで、また寝るのか?」
「ええ。今の感触を忘れないうちに夢で見ようかと」
「よっぽど気に入ったんだな……誰だか知らねえが、あの姉ちゃんも災難だな」
エリオット王子の執務室に、王子最愛の人にして取り巻きたちも思いを捧げるマーガレットがやってきた。やってくるなりくしゃみをする。
「どうしたマーガレット。風邪かい?」
「いえ、そうじゃないと思うんですけど……なんか悪寒が……」
「そうか、奇遇だな……何故か俺もさっきから……」




